CHANT(チャント) アスルクラロ沼津

【アスルクラロ沼津】 中山雅史 ついにチャレンジへ。 夢を追い続ける48歳の挑戦が始まった。 【あの日あの時】

2015/09/14 22:56配信

CHANT編集部

カテゴリ:コラム


有言実行がついに現実となる。

「未練たらたらです。」

と言葉を放ったその目には、まだまだサッカーがやりたいという気持ちを映していた。
サッカーのためなら、どんなに苦しくてももがいても前を向いて進んできた。
だが、中山の所属する場所はなくなってしまった。

あれから3年。
日本を代表するゴールゲッター中山雅史がついに、現役復帰となる。

コンサドーレ札幌退団から3年。
頑なに「引退」という重い言葉を口にしなかった意味が今、繋がった。
今月の23日で48歳を迎える中山雅史が、「選手」として戻ってくることが決まった。


●日本サッカーが生んだスーパースター中山雅史

ジュビロ磐田をヤマハ発動機時代から引っ張ってきた中山雅史は、日本代表をも引っ張ってきた存在だった。

日本サッカーがプロ化し、迎えたJリーグ開幕。
当時はJ2がまだ存在せずJリーグ開幕のオリジナル10のチームとしてスタートとはならなかったジュビロ磐田は、ひとつ下のリーグという位置となったJFLで戦っていた。
その頃にはすでにゴールゲッターとして日本を代表する選手として評価され、日本代表にも選出され、W杯アメリカ大会を目指すアジア予選で魂あるままに戦った。

はじめてのW杯出場を懸け戦った、最終予選。
プロ化したJリーグ開幕があったことで史上最高潮に盛り上がり国民の注目を受けた日本代表の戦いは、一次予選を圧倒的な強さで突破したものの、最終予選に入ると厳しい戦いが続いたが、イラン戦にてリードされた中でもぎ取ったゴール後、すぐにボールを持ってセンターサークルに走る中山の姿は日本代表を応援していた日本国民の誰もが感動を覚え、今も記憶に深く残るシーンだ。
スーパーサブとして期待された中山だが、その熱きプレースタイルや影響力、そしてゴールを生む能力からスタメンで戦うこととなり、日本代表のムードメーカーとして全力で予選を戦った。

ドーハの悲劇と呼ばれ、今も語り継がれるあの悪夢の瞬間は
仲間たちと組んでいた肩を解き、仰向けに倒れ転がり泣きじゃくった。

あの時流した悔しさを越えた絶望にも近い目の前が真っ暗な中で流した涙。
W杯へ行きたい―。
その気持ちは中山を大きく大きくした。

ジュビロ磐田で重ねた157のゴール記録や4試合連続ハットトリック、得点王にJリーグMVP等数々の歴史を残し、日本代表としてはじめて出場を果たしたW杯フランス大会では手を骨折しながらも戦い、日本にとってW杯ではじめてのゴールを奪うなど
記録にも記憶にも強烈に残る歴史を積み重ねてきた。

日本ではじめての開催となった2002日韓W杯では背番号10を付けた。
出場はわずか18分だったものの日本代表の精神的支柱として、ベスト16という結果に大きく貢献。
タレント揃いで個性派揃いだった日本代表をうまくまとめることができたのも、中山という大きな存在があってこそだった。

中山は自分のことを
下手くそだと表現する。

周囲もそれを挙げて、中山さんは下手くそだけどと共に戦い黄金時代を築いた選手たちは言葉にして笑うが
そうではないことを本質では知っている。
中山雅史はディフェンダーにとって、かなり嫌な選手だったことは間違いない。
そのゴールに繋がる「感覚」はいつでも変わりなかった。
コンサドーレ札幌へと移籍した時にはすでに、かなり身体はボロボロと取れるような状態であったが
それでも少ない出場時間でもその嗅覚を魅せる場面は多々存在した。

ディフェンスの裏を狙い視界から消える動きが特に超一級だった。
世界を経験し、Jリーグの一時代を築いたことが見えるようなプレーを魅せる。
ディフェンスが付きにくい動きをすること、ボールを呼び寄せるようなスペースへの飛び出し、ディフェンスの選手の死角で仕掛けることができること。
ボールを持っていないところでの動きにこだわりを持ってプレーしてきたことがわかるプレーヤーだった。
日本が世界で戦いゴールを生んできた歴史を感じさせる ゴールゲッターのなせる技で会場を何度も沸かせた。

泥臭く、どんなボールにも恐怖を見せることなくに飛び込んでいく。
人にいかされる選手だからと笑うが、それもひとつの特別な能力だ。

中山雅史は日本サッカーが生んだ 誰もが知るスーパースターなのだ。


●あの日、あの時。ある日の1ページ。


3年前。
中山雅史はある練習生と食事に出かけた。

練習生というのは各チーム、年間通じて何人もの選手が参加するが、ほとんどの選手は慣れないプロという場、目指してきたプロという高い敷居を前に
自分を練習でどうアピールするか、良いパフォーマンスをするかということに重点を置き、その期間を過ごすこととなる。
しかし、彼のハングリーさは他の練習生とはちょっと違ったものを持っていた。

中山雅史という偉大なプレーヤーと共に練習できることは、もう二度とないかもしれない。
その機会を最大限良い時間にしたいと考えた練習生は、練習生ながら中山雅史を自ら食事に誘った。

お話をしたいです。食事にいきませんか。

通常であれば、どんなベテランの選手であってもまだ関係が浅い状態で、中山雅史を食事に気軽に誘うことはできないであろう。
何年もの付き合いがある場合や、長年共にプレーした選手であれば後輩でも誘うことができるかもしれないが、練習生の大学生が誘うことは驚きの行動だった。

そのハングリーさに中山は食事に行くことを快諾し、どこへ行きたい?と聞いた。
すると驚くことに、彼は場所を通う大学の学食と指定した。

突然、大学の食堂に中山雅史が現れたことで、大学構内は騒然となったという。
それでも中山は嫌な顔せずに、大学生である練習生として訪れたその選手のハングリーさに応え
彼のホームである大学の食堂で二人、数時間に渡り食事をしながらサッカーの話をした。

中山雅史という偉大な存在からプレーだけでなく、少しでもその生き方や考え方を吸収し
世界観を少しでも知ることでその後のサッカープレーヤーとしての時間にプラスにすることができたらと考えた彼は
積極的に自分の世界観も話し、交流の時間を過ごした。

長く日本のスター選手として注目されてきた選手故に、それを目指す選手たちからの存在も大きく
たくさんの選手たちに出会ってきたであろう中山だが、それでも練習生から食事に誘われ大学の学食で語った経験はおそらくこの時だけだったのではないだろうか。
大学の学食を食べながら、過ごしたfootballな時間。
熱心な練習生の話を聞き、お前は俊哉の考え方に似てるなと黄金世代共にプレーした藤田俊哉の名を出し、話をしたという。

その後、彼はプロサッカー選手になることはなかった。
プロサッカー選手を目指し、練習生として複数のチームに練習参加はしたが、獲得には至らなかった。
しかし、練習試合で中山と出会った時、ハイタッチを求め中山から手を上げ、力強く目いっぱいの強さでハイタッチを交わし、ギラつく目で力強く言った。


がんばれよ。

また、な。


強い言葉を送ることが中山から彼への激励の言葉だった。再開を意味する「また」という言葉には
諦めるなという言葉が込められ、頭にではなく心に届く一言だった。

●サッカー選手 中山雅史。沼津での再出発。

両ひざに毎日グルグルと巻かれたアイシングをして、歩行するのに困難ほど膝を曲げることができない。
そんな毎日を過ごしていた。
練習が終わると一度食事に帰り、食事を終えるとクラブハウスへと戻る。
そのマッサージやケアは、数時間に及ぶ。
40歳を越えた身体を戦う身体にするには、奇跡なんかには頼れない。
自らの力、そして信頼を置くスタッフの支え等、さまざまな人たちの力が必要となる。
その人々が期待を込めるからこそ、それを実現しようと強いモチベーションにも繋がるであろう。

なにより、サッカーが大好きだ。
どんなに痛くても、厳しいトレーニングが続き苦しくても、思うように身体が動いてくれなくても、膝が限界を超えてしまっていても

サッカーがしたい―。

中山雅史は喋って盛り上げることも得意で、所属チームを失ってからはテレビでも引っ張りだこであった。
引退後が難しいとされているサッカー界の中でも、仕事に困ることはないであろう偉大で貴重な存在であることは間違いない。
生活するのにはお金がかかる。サッカー選手であるうちは食べていける選手も、引退すると生きて行くには大変だ。
そんな中でも、中山雅史の引退後はその偉大な功績とキャラクターから誰にも愛され求められ、仕事が多く存在する生活だったであろう。

しかし、中山雅史はサッカー選手となることを選択した。

コンサドーレ札幌でプレーする時も、ジュビロ磐田の何分の1であろうかというほど年俸は下がったと言われていたが
JFLでプレーすることは、それよりもはるかに下回ることであろう。

それでも、中山はサッカーがしたいのだ。
選手として、戦うことを選択した。
「元選手」ではない。引退という言葉は口にしなかった。中山はサッカー選手なのだ。


ブランクは3年。
通常1か月のブランクでも、戻すにはその倍の時間がかかると言われているほど
現役選手としての生活は過酷であり、続けることで維持できるものだ。

中山雅史という存在の大きさももちろん関係しての復活だが、それでも限界を超えた両ひざを持ってして
まだピッチに立ちボールを蹴りたいという「夢」を持って、前を向き進んできた。


中山雅史。
もうすぐ、48歳。


日本にはもう一人偉大なキングが存在する。
生まれた年は同じだが、学年的には1つ上となるキングカズこと、三浦知良だ。
三浦知良はスタメンで出場することもあるほど、まだ走り続けている。


共にプレーし、身近な一番の目標であり、偉大な先輩であるカズの背中を
また追うことができる日が きた―。


狙うは ゴンゴール。
貪欲に生まれるゴンゴールを 日本サッカーを愛するすべての人たちが待っている。


中山雅史の再挑戦が ついにはじまった―。

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