【松本山雅】 全員で掴んだ昇格 輝った松本山雅「らしさ」 【J2】
2014/11/04 17:57配信
カテゴリ:コラム
J1へ最速での昇格を決めた湘南ベルマーレに続き、2チーム目のJ1昇格チームが決定した。
松本山雅。
地域決勝からJ1昇格までの道は最速という記録となった。
各リーグで印象を残し続けた山雅が、ついに悲願のJ1昇格を決めた。
●松本山雅の今季
松本山雅は昨年、プレーオフまであと一歩というところでシーズンを終えた。
プレーオフ争いに絡めるほどに成長した松本山雅を観て、もうこんなところまで来てるのか…と正直驚いたほどだ。
今年は昇格争いに絡むはずと思われた松本山雅だったが、まだシーズンは終わってはいないものの松本山雅の強さは今年さらに磨きがかかり「本物」への進化した。
今年は湘南ベルマーレの強さが目立ったJ2だったものの、松本山雅の強さも十分に光った。
これまで39試合を消化し、負けたのはたったの6。現在勝ち点は77となっており、残り3試合を残してJ1昇格を決めた。
首位湘南には勝つことができなかったものの、それでも3位磐田には負けなかった。
全員で勝ち取る試合が多いのが特徴の松本山雅は、チームとサポーターが一体となってつかんだ昇格だ。
●松田直樹の想い…しかしそれだけではない全員力
2011年。
松本山雅最大の出来事といっても良いであろう松田直樹の獲得の話題は 大きく世間を動かした。
まだJの舞台でもないJFLという場所で、松田直樹というサッカーを知らない人でも知っているようなビッグ選手が松本山雅でプレーすることが決まり、これから松本山雅には革命が起こるとワクワクさせてくれた。
しかし―。
―。
還らぬ人となってしまった松田直樹だったが、大きなものを松本山雅に残した。
選手がサポーターがスタッフが、松田直樹と共に戦っていくことを誓ったあの日。
その時から、松田直樹と松本山雅は「永遠」で繋がった。
絶対にJへ!と松本山雅のその後に全力を注ぐことを誓った松田直樹の意思を継いだ選手やサポーター、そしてスタッフは全力でその道を駆け上がった。
現在、松田直樹と共にプレーした選手は多くはいない。
しかし、松田直樹を知る大きな大きな選手が松本山雅に加入した。
それは横浜Fマリノス時代、共にプレーし、その背中を追い続け、公使共に影響を大きく受けたという田中隼磨の加入だ。
田中隼磨が背負った背番号は松田直樹の「3」だった。
松田直樹の家族からも背中を押され、その重い重い背番号を背負うことに決めた。
それはきっと本人にしかわからないほどのとんでもない重みだったことであろう。
松本山雅だけの番号ではない背番号「3」。全サッカーファン、そして世間から特別な番号であると大事に大事にされている番号で松田直樹を重ねてみることはイコールであるからこそ、とんでもなく重い番号だ。
それだけ想いが籠っているものだけに、賛否両論が出た。
この番号を背負う上で、ちょっとやそっとのことでは認めてはくれないだろうとも思ったことだろう。
それでも背負ったからは必ず結果を出さなくてはならない。チームとしても個人としても重い重い決意と責任を背負って田中隼磨は戦った。
松田直樹の影響力、そして日本中に愛された選手だからこそ松本山雅と松田直樹は切っても切れない存在であり、イコールで結ばれている。
しかし、松田直樹スピリッツを背負っているのはもちろんだが、それだけではもちろんない。
今の選手たちだからこその想いも当然存在する。
松本山雅にはスター選手はいない。
山雅の選手たちの名前をみても、一人もわからないというサッカーファンもいることだろう。
挙げるとするならばビッグネームは田中隼磨。それ以外の選手たちは決して今まで注目を受け光に当たってきた選手たちではない。
J2といえども各チームJ1で輝かしい結果を残してきた選手や、若い世代で代表する選手たちが在籍していることが多い中で、松本山雅の選手たちは決してそういった選手たちではない。
それでも強さを発揮できるのは。
チーム力。これに尽きる。
全員が同じ方向を向き、全員が同じ志と同じ目標を追うことは理想だが、実はそれはとても難しいことだ。
J2は特にJ1よりも多くの選手たちが毎年入れ替わり、結果を残した選手たちはJ1にいってしまう中で、チーム予算もなかなか難しいものがある。
その中で、松本山雅は常にひとつになって戦ってきた。
それは松田直樹のことだけが要因ではなく。松本山雅にはひとつになるべきチームの雰囲気と監督のチーム作り、そしてサポーターたちが届ける一体感がチームに伝わっているからだと考える。
選手一人一人の能力は決して高いものではないかもしれないが、それでも11人になった時には100%以上の力を出せることが多い。
そして1人が他の10名の選手に支えてもらうこと、活かしてもらうことで自分でも知らなかった能力の扉を開けることができる。
J2最多の動員を誇る温かくいつも一緒に戦ってくれる、山雅のサポーターから力を届けられて、自分たちの能力以上の試合をできたことも数多く選手たちは実感していることだろう。
一体という言葉はサッカー界で多く使われる言葉だが、なかなかその一体を完璧に創り出すことは難しい中で
松本山雅は「一体」を武器としているチームなのだ。
ひとつになったチームは強い。
それを証明したシーズンとなっただろう。
●創り上げたエースの存在
松本山雅は今年大きな存在の選手を一人怪我で欠いた。
エースと称されることも多い、塩沢勝吾の存在だ。
塩沢は 5月、アキレス靭帯断裂という大けがを負った。
今の日本のスポーツ医学の力によって以前は復帰も難しかったアキレス靭帯の断裂だが、今では復帰できる選手も多くなった。
しかし、それでも選手生命を大きく左右する大きな大きな怪我であることは間違いない。
松本山雅ではたくさんのゴールを決め松本山雅になくてはならない存在となった塩沢だが、決して輝かしい道を歩んできたわけではない。
私が彼をはじめて観たのは、大学時代のデンソーカップでのこと。
デンソーカップとは各地域で組まれた大学選抜代表チームによって戦う大会なのだが、北海道東北選抜にて塩沢はプレーしていた。
北海道といえば札幌大・道都大、東北といえば仙台大が強豪大学として君臨している時代に、山形大から一人選出されていた選手だからこそ目立った。
強豪大学の名前が大きいからこそそこに集まる選手たちの能力は高くなるが、一人山形大からということは能力が高い選手だから選出されたのだろうと思った。
しかし、そこに存在したのはただの背の高さ以上に大きな存在感を感じる選手というだけの選手だった。
言い方は残酷だが、そうとしか映らなかったというのが正直な感想だ。
当時同じく選抜で一緒にプレーした選手たちも、塩沢がプロ選手としてプレーすることに疑問を感じている選手が多かったほどだった。
それほどまでに飛び抜けた特徴があった選手ではなかった。
しかし、彼が変わったのは松本山雅に所属してからではないだろうか。
水戸時代や佐川印刷時代も観た機会はあったがそれほどまでに変化を感じることはなかった。
しかし、松本で得点を量産する塩沢の姿を観て、その姿から放たれる空気だけをみても、こんなに変わるものかと驚いたほどだ。
松本山雅で、反町監督の下でプレーするようになってからの塩沢はエースとしての貫録が出るまでにゴールを量産し、決めるべき時に決めるエースとしての役割をこなせる選手となっていた。
その結果から、いつしか松本山雅でとても愛される選手となり、そんな中でのアキレス腱断裂という大きな怪我はチームにもサポーターにも大きなダメージを与えた。
アキレス腱断裂はサッカー選手にとってとてもつらい怪我であり、重い怪我だ。
それでも待っていると示してくれたチーム、一緒にプレーする仲間、そして多くのサポーターに力をもらっていることだろう。
今年は開幕スタメンから外れ途中出場が多かったものの、それでも全試合に出場するほどにチームの期待が大きかった塩沢。
その塩沢が帰ってくるまで待つ―。という想いはチームをひとつにした。
試合に出場している選手も、ベンチにいる選手たちも 負傷している選手たちも
ひとつの想いでつながることは今、とても難しい。
そんな中で、ひとつになれているのは松本山雅の「らしさ」なのだ。
松本山雅が創り上げたエース。
能力以上のものを引き出し、新たな可能性を無限に開花させたのは、松本山雅だからであろう。
●アウェイサポーターをも歓迎する松本山雅のサポーターの力
松本山雅のサポーターの温かさには賛否両論がある。
footballにおけるサポーター「とは」という文化の部分で非難されることもあるという。
しかし、松本山雅のサポーターのそのスタイルは「松本山雅」独自のスタイルだからこそ、その独自性が「らしさ」なのではないだろうか。
以前文章として書いたこともあるが、http://chantsoccer.com/posts/415
松本山雅のサポーターはアウェイサポーターにも歓迎の意思を示す。
ようこそ!という気持ちと感謝の気持ち、そして敬意を持つ。
地域リーグの頃から1万人を動員するなど、地域密着に成功しているチームであり、子どもからお年寄りまでたくさんの年代の人々がfootballを楽しんでいるのだ。
アウェイにも数多くのサポーターがどこであっても駆けつけてくれる。
長野県初めてのJリーグチームであり、サッカーが盛んとはいえない土地にサッカー文化を浸透させたチームだからこそ、たくさんの人たちの愛に包まれ、存在感を示している。
そのサポーターの力は選手たちにもストレートに伝わり、多くの選手たちがアルウィンでプレーすることに幸せを感じている。
かつて、松田直樹も松本山雅移籍を決めた時。
サポーターが熱い ピッチからサポーターを近くに感じられる という魅力を感じ、決めたと話していた。
松本山雅を語る上で松田直樹が=なのと同じで、松本山雅といえばサポーター、そしてアルウィンなのだ。
J2のクラブでこんなにもスタジアムの名前が有名なチームがあるだろうか。
全国的に知られている日本代表戦をやるほどの大規模なスタジアムでもなく、深緑に埋め尽くされるホームスタジアムとしての魅力で有名になったアルウィンはアウェイサポーターにとっても「行ってみたいスタジアム」だ。
昇格を決めた今シーズン、戦ったのは選手たちだけではない。
このサポーターがいたからこそ、実現できたものだったであろう。
松本山雅がサッカー界を沸かせたのは、天皇杯で史上初めて地域リーグのチームがJ1を破った 浦和レッズに勝利した2009年。
全社で優勝し、地域決勝でも優勝を果たしJFLへ昇格を決めた。
2011年。
日本中がどうして―。と悔やんだ 悲しすぎた 別れ。
松田直樹の命日近くの試合では
全員が背番号3のユニフォームを着て、試合前のピッチ練習に向かった―。
松田直樹スピリットは
松本山雅スピリット
でもそれがすべてじゃない。
選手たちは個々にそれぞれに力を最大限に出し、そして想いを重ねた。
多くのサポーターは、
時に支え、時に力を加え、全力でピッチに想いを届けた。
厳しいことで知られる反町監督が、今でも厳しい中でも やわらかい雰囲気になったのは
フリューゲルス時代の反町 を感じさせる。
それもきっと松本山雅というチームがそう変えたのだろう。
選手たちの多くは他のクラブでプレー経験がある選手たちだが
松本山雅でプレーする姿が選手としてのサッカー人生の中で、一番の充実を感じているのではないかと感じさせるほどに
充実感が伝わってくる。
強さにも
能力にも
限界はない―。
それを感じることができているからかもしれない。
松本山雅だからこそ、感じられるものなのだろう。
2015年、はじめてのJ1に挑む松本山雅。
もちろんその道は険しいことだろう。簡単な場所ではないことは十分承知だ。
それを すでに松田直樹が伝えてくれているはずだ。
松本山雅の挑戦はまだまだ終わってはいない。
これからまたひとつひとつ歴史を大きく積み上げる。
松本山雅は大きな歴史をたくさん創ってきたチームだからこそ。
J1での戦いに
そして残り3試合の戦いに
何事にもあきらめない
そしてひとつになる松本山雅を 期待したいと思う。
山雅の事をよくわかって頂けてる素敵な記事でした。昇格決定してからニュースや特集をメディアで取り上げて頂いてますが、その中でもこの記事が一番まとまった今の山雅を表す素晴らしい記事でした。これからも素敵な記事をよろしくお願いします。
ONE SOUL | 9 0 |2014/11/05|15:39 返信
コメントありがとうございます!
そう言っていただけると大変うれしく思います。
これからも注目させていただきます。読んでいただきありがとうございます。
Tomoko Iimori | 0 0 |2014/11/07|12:32
素敵な記事をいつもありがとうございます!
ヤマガ☆ | 7 1 |2014/11/04|20:19 返信
コメントありがとうございます。
松本山雅、昇格おめでとうございます!
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
来年はアルウィンにもお邪魔したいと思っております。
よろしくお願いいたします♪
Tomoko Iimori | 0 0 |2014/11/05|12:48