【横浜Fマリノス】 松田直樹 亡くなる1か月前のある日 【松本山雅】
2014/08/04 11:33配信
カテゴリ:コラム
8月4日。
この日が忘れられない日になったのは3年前のあの日。
松田直樹が亡くなって3年目を迎えた。
いまだにたくさんの人が松田直樹を想い、たくさんの人が松田直樹から魂を感じている毎日。
3年前のあの日から、現実がうまく受け入れられない日もあったがさすがに受け入れざる得なかった。
松田直樹はこの世にいないという事実を。
私を含め、人々の心に強く響く松田直樹はまだまだ強く存在感は絶大。
私が松田直樹に出会ったのは95年のこと。
前橋育英サッカー部高校選手権での活躍後、マリノス入りした松田直樹から思い出ははじまった。
個人的な話になってしまうがあの頃、共に過ごした友人と松田直樹の 亡くなる1か月前の出来事を伝えたいと思う。
●あの日。
Jリーグがまだまだバブル的な人気があった頃。
私はまだ青春時代を過ごしていた中、サッカーに明け暮れる毎日を送っていた。
その当時、地元にはプロサッカークラブがなく、気づけば遠く横浜マリノスの応援に通い飛行機を駆使して横浜まで何度も旅をしていた生活。
その頃マリノスを介して偶然出会った地元が同じ友人と共に、横浜通いをするようになった。
彼女は入団当初から松田直樹を応援し、横浜に行くと自然と松田直樹と友人という図式で思い出になる機会が多く、楽しそうな二人の姿を隣で見て感じてきた。
何年も共に同じサッカーを観て同じ時間を共有してきた友人だったが、「あの時」。
しばらく疎遠になってしまい時間が経過していた。
何年も連絡は途絶えてしまっていた時、あの出来事が起こったのだ。
松田直樹が倒れ、心肺停止。
この一報を聞いた時はツイッターから流れた情報だった。
その後、直樹と繋がる共通の友人や知人たちに電話をかけ、何度も何度も状況を確認した。
その時。
頭に浮かんでいたのは、彼女のことだった。
彼女は直樹が倒れたこの状況で、どうしているだろうか―。
直樹が倒れたとき、そして亡くなってしまった後も、ずっとそのことが気がかりだった。
大きな心の穴の中で、どの場面を見つめ返しても直樹と笑う彼女が存在したからだ。
連絡を取らなくなってしまってから8年近くが経過していた。
それだけ時間が経過していることで、
もうサッカーを観ていないかもしれない
もう松田直樹を観ていなかったかもしれない
そうどこかで思いながら。
直樹の死を知って心を痛めているに違いない。あの当時を一緒に振り返ることができるのは私なのになんで私は近くにいてあげられないのだろう…という気持ちに駆られた。
私でこんなに涙が出るのだから、きっと彼女はもっと心を痛めていることだろう。
なんで私は一緒に泣いてあげられないのか。
●松田直樹が再び繋げてくれた縁
そんな時、松田直樹メモリアルの追悼試合が日産で年明けに行われるという発表があった。
この試合には絶対に行かなくてはと心に決めた時、ふと頭に過った。
きっと彼女もココに来るはずだ、と。
そこでダメ元で開いたFacebook。
たった3年前だが当時はまだ日本では今ほど普及していなかったFacebook。
本名登録が今は便利と感じるが、当時は本名で登録するのがまだこわいと思われていた頃。
Facebookで彼女の名前を検索してみた。
すると同じ名前で8件ヒットしたものの すぐにわかった。
松本山雅の「3」のユニフォームがアイコンだったからだ。
やはり彼女が直樹を見ていないことなんて、ありえない。
そのアイコンを発見して彼女のページを開いて私は泣き崩れた。
すぐに連絡をした彼女から、返事がきた。
彼女はやはり心をとても痛めていた。
そして話してくれた。
直樹が亡くなる約1か月前のある日のことを。
●亡くなる1か月前。七夕。
松田直樹が亡くなる約1か月前。
七夕の日に彼女は松本にいた。
2人の子どもと7か月になる子をお腹に抱えて、松本の地へと飛んでいたという。
不思議と会いに行かなきゃ!と思ったという彼女は、大きなお腹の状態でもどうしても、と松本の地へと飛んでいた。
グラウンドで彼女を見つけた直樹は、遠くからでも「そーかなーと思った!」と嬉しそうに笑ったという、再会。
再会を喜び、彼女の子どもたちにもたくさん話をしてくれたという。
長男の男の子にはサッカーやらないの?やれよー!という言葉をかけた。
亡くなる1か月前に彼女は直樹に会っていた。
その事実に私は良かったと心の底から言葉が出た。
最期に会えていたこと。
それはきっと引き寄せられたなにかがあった。
それを感じたからだ。
亡くなる1か月前。
松田直樹は松本でサッカーをしていた。
マリノスでは考えられなかった環境の中、自分でスパイクを持って着替えを持って練習場に行き練習をしていた。
その時の写真を見せてもらった。
その松田直樹は穏やかないい顔で、二人の中に共有するなにかがなければこんな顔にはならないだろうと感じさせる姿だった。
3人目も無事に元気に生まれますように
そう願ってお腹に手を当ててくれたその写真は彼女の宝物となっている。
その約1か月後の突然の出来事。
だってあの時あんなに元気だったのに…!と信じられない気持ちに襲われ苦しんだ彼女は最大の悲しみを背負いながらも、その後11月に出産。
直樹が手を当ててくれたお腹。元気な子どもに生んでと言ってくれたその思い出。
誕生した元気な男の子に
直 と書いて
なおき という名前を命名した。
直樹にサッカーやれよーと言われた長男は、直樹から一文字をとって「樹」いつきくん。
長男は松田直樹が亡くなった後、サッカーをはじめた。
まだはじめたばかりのサッカーだったが、与えられたポジションはディフェンダー、そして背番号は松田直樹がマリノスではじめてつけた背番号14だった。
偶然か必然か。
そこには松田直樹の存在を感じた。
私たちは近くに住んでいることがわかっていながら、あえて松田直樹メモリアル…横浜の地で再会を誓った。
私たちが通ったあの横浜であのスタジアムで会おうと決めた。
そしてはじめての開催となった松田直樹メモリアルゲーム
試合中で会場中が試合を楽しんでいる時間に座席裏の通路で再会した彼女は、小さな赤ちゃんを抱っこしていた。
直樹に元気に生まれたよ、名前もらったよって報告したくて
と、まだ生後2か月で小さなナオキくんが抱っこされていた。
日産の歓声の中、すやすやと気持ちよさそうに眠っていた。
その後、松本山雅を家族で観戦。
毎年山雅のゴール裏に足を運ぶことが直樹に会える場だと思っているという。
2011年七夕。
松田直樹は松本の高い空の下、暑い夏の日差しで真っ黒になりながら楽しそうに練習をしていた。
自分を昔から応援してくれる人間を見つけ、嬉しそうな顔でいつも以上によく話した。
子どもたちの高さに目線を合わせ、子どもたちにも語り掛けた。
サッカーやれよ と残した言葉通り、長男くんはサッカーをはじめ、
元気な子が生まれますようにと願って当ててくれた手。
お腹の中にいた子はナオキという名前で元気に日々成長している。
穏やかな笑顔で、お腹に手を当てるその表情。
それが私の中の最期の松田直樹の表情となった。
その後
松田直樹メモリアルとして活動する松田直樹の親友たちにもこの話は伝わり、子どもたちと共に会うことができたという。
そしてそれぞれの直樹の思い出話をする時間を過ごしたという。
松田直樹の姿を見てきた人々。
松田直樹に関わったたくさんの人々。
それぞれにたくさんの想いがあり、たくさんの場面があると思う。
毎年この日にさまざまなところで語られ、松田直樹というサッカー選手を知らない人でも松田直樹の名を耳にする日になっているかもしれない。
3年経った今でもたくさんの人が想い、悲しみ、悔しみ、思い出す。
この世からいなくなってしまったとは思えないほどに、いまだに影響力を持ち、サッカーを伝えている。
それが、松田直樹の姿だと時間が経てば経つほどに感じられる。
人々の心の中で、記憶の中でまだまだ生き続けている松田直樹を想い、今日を過ごそう―。
その中で、このひとつのお話が響くといいなと思い執筆しました。
最後に、大切なこの話を取り上げることに了承してくれた友人へ
ありがとう。
松田直樹メモリアルで親交のあった横浜出身アーティストゆずが歌った「逢いたい」。
もしも願いが叶うなら
もう一度あなたに会いたい
この曲を聴いて執筆しました。
松田直樹の亡くなる直前の姿。
こんなに穏やかに笑っていたということが、たくさんの人に伝わりますように―。
Hello!
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online | 0 0 |2015/08/18|01:12 返信
札幌ドームを思い出の場所のひとつに選んでくれてありがとう。
松田直樹とともにFマリノスで闘った河合竜二は今年も元気に頑張ってくれるよ。
今年一年は闘えないけど、松田直樹と、そして遺志を継いだ者と来年また闘えるよう頑張るよ。
名無しさん | 4 0 |2015/02/05|23:29 返信
はじめまして
facebookを通じてシェアさせてください
とても心に刺さりました!
横浜Fマリノスと松本山雅FCのAED普及マッチをきっかけに多くの方に命について考えていただければいいなと思います
よろしくお願いします!
Foot × Social facebookページ
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Foot × Social | 2 0 |2015/01/21|22:56 返信
みっちー頑張れ!
名無しさん | 4 0 |2014/11/09|22:07 返信
泣きたくなりますね…
名無しさん | 4 1 |2014/09/05|19:28 返信
初めまして。素晴らしいエピソード、とても感動しました。
僕にも、紹介させて頂きたいエピソードがあるので紹介させて下さい。
2008年9月に、マリノスタウンで松さんからサインを頂きました。隣にいた女性サポーターが「サイン下さい。」と、他の選手にサインを求めてました。しかし、気付かなかったのか通り過ぎて行きました。
その時松さんは「サポーターがサイン下さいって言ってんのに、無視すんなよ。サポーターのお陰でサッカー出来てんだろ。戻ってサインして来いよ。」と言いました。みんな笑顔になり、その選手もサインをしてました。
長文失礼しました。
松田直樹メモリアル宮城支部(自称) | 21 4 |2014/08/19|20:37 返信
素敵ですね。
とっても穏やかないい写真。
私も子供を連れてAED講習会に行きました。
サッカーの素晴らしさと命の大切さと松田選手のすごさを伝えて行きます。
素敵な写真ありがとうございました。
恵美 | 5 0 |2014/08/09|22:08 返信
先日、7才の娘が習っているサッカースクールの大好きなコーチが2人出るので行きたい!と娘にせがまれnextgeneration matchを見にフクアリまで行きました。その際、流れた松田直樹さんの映像に娘は釘づけに。サッカーのことがこんなに大好きで一生懸命ボール追ってカッコいい!って。こんな風にして、松田直樹さんを通してサッカーの良さが伝わるといいですね。これからの子供達にサッカーの素晴らしさを知ってほしいって松田直樹さんは思っていると、この写真を見ていると強く思います。
名無しさん | 7 1 |2014/08/06|20:42 返信
素晴らしい美談…
涙が溢れました。
私の兄の名前 直樹 です。
名無しさん | 8 1 |2014/08/06|11:25 返信
すみませんコメントをお返しした名前欄が名無しになってしまいました。執筆者です。
コメントありがとうございました。
飯守 友子 (CHANT編集部) | 4 2 |2014/08/06|12:15
この話を聞いたのは3年前でしたが、こうやって形にできたこと、3年越しで伝える場が持てたこと。本当に感謝しています。
たくさんの人たちに読んでいただけてよかったです。ありがとうございます!
名無しさん | 5 0 |2014/08/06|12:10
直樹さんはサッカーの原点。これからサッカーを始める子ども達、今サッカーをしている子ども達全てが、直樹さんのサッカー魂を受け継いで欲しい。
名無しさん | 6 1 |2014/08/06|06:14 返信
コメントをお返しした名前欄が名無しになってしまっていました。すみません。
執筆者です。コメントありがとうございました!
飯守 友子 (CHANT編集部) | 3 0 |2014/08/06|12:15
これからの子どもたちに伝えていくのは私たちだと思っています。私たち松田直樹を知る人間たちが、松田直樹を伝えることできっと伝わっていきますよね。
読んでいただきありがとうございます。
名無しさん | 6 0 |2014/08/06|12:08
松本山雅絶対J1に昇格しよう
松田直樹を喜ばすために!
名無しさん | 8 0 |2014/08/04|21:39 返信
お返事の名前欄が名無しになってしまいました。すみなせん執筆者でした。
コメントありがとうございました!
飯守 友子 (CHANT編集部) | 3 1 |2014/08/06|12:15
山雅の選手たちは前日の試合のアップ時に「3」を着ていましたね。
しっかりと背負って戦ってくれているのだと思いました。昇格してほしいですね!
読んでいただき、ありがとうございます。
名無しさん | 6 0 |2014/08/06|12:07
直樹ーーーーーー!!!!!!!!
名無しさん | 3 1 |2014/08/04|20:23 返信
お返事をする際に、名前が名無しになってしまい申し訳ございません。
執筆者でした。コメントありがとうございました!
飯守 友子 (CHANT編集部) | 4 1 |2014/08/06|12:16
多くの人々が松田直樹に触れる日。この話が書けて良かったです。読んでいただきありがとうございます。
名無しさん | 5 1 |2014/08/06|12:07
涙。。
名無しさん | 5 0 |2014/08/04|12:45 返信
コメントのお返事が名無しになってしまいました。執筆者からのお返事でした。
コメントありがとうございました!
飯守 友子 (CHANT編集部) | 4 0 |2014/08/06|12:16
この話を取り扱うのに自分の文章で伝えられるか心配でした。
伝わってくれて嬉しいです。読んでいただきありがとうございます!
名無しさん | 4 0 |2014/08/06|12:06