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【鹿島アントラーズ】 どうして鹿島は強いのか―。他にはないクラブ理念と取り組みという武器 【Jリーグ】

2015/10/31 11:25配信

Tomoko Iimori

カテゴリ:コラム


1993年。
Jリーグが開幕し、世間はサッカー一色となった。
日本中がブームとも呼べるJリーグブームに湧く中で、象徴となったのがヴェルディ川崎の存在だった。
スター選手を多く抱え、華となる存在のクラブとして多くファンを集めた。
実力的にも飛び抜けていると思われたが、年間優勝こそ優勝候補の筆頭ヴェルディ川崎が輝いたが当時2ステージ制のJリーグの最初のステージとなるサントリーシリーズで優勝したのは、鹿島アントラーズだった。

鹿島アントラーズの前身となったのは住友金属工業蹴球団。
茨城県鹿島という場所柄もあり、Jリーグへの参入へと手を挙げた時には人口の問題から集客が難しいとされ、Jリーグ加盟は難しいと考えられていた。
クラブの歴史は深いものの、決して強くはなかったチーム。Jリーグの前身となったJSLでも2部に所属していたチームであり、Jリーグに参加するとなるとそれは飛び級的な扱いとなる。
数々の問題点をクリアするために招聘したのが、あのジーコだ。

ブラジル代表黄金カルテットの一角であるスーパースター・ジーコが、なんの結果も出していない設備も整っていないJSL2部の住友金属に移籍したのは奇跡に近い出来事だった。
しかし、何事もそこには理由が存在する。
そこから鹿島の「本気」が始まっていたのだ―。

ジーコが来た1991年。
当時の監督を務めていたのが、現鹿島アントラーズ常務取締役・強化部長 鈴木満氏だったことも今の鹿島アントラーズに繋がっている歴史だ。

●鹿島アントラーズの強さとは?

鹿島アントラーズはなぜこんなにも強いのだろうか。
サッカーファンならそう一度は考えたことがあるのではないだろうか。
鹿島アントラーズはJリーグ開幕からコンスタントに力を発揮し、上位に食い込んできたクラブだ。
王者という言い方をすると必ず鹿島を念頭に挙げる。そのくらいの存在感と歴史が鹿島アントラーズにはあるのだ。

2部から飛び級でJリーグ入りしたチームながら、初年度に誰もが予想していなかったステージ優勝を決めた。
ジーコを中心とした鹿島のサッカーは、完全なるダークホースだったが、それもその時だけ。
鹿島の王者への道はそこからはじまった。Jリーグスタートと共に鹿島の歴史はJリーグの歴史とリンクするほどの結果を出し続けてきた。
今はもう鹿島は強い。そのイメージしかない。


なぜ鹿島は強いのだろうか―。

現在、鹿島はリーグ4位という位置につけているが、スタメン、そしてベンチの選手たちの名前を見てピンとこない人たちも多いかもしれない。
鹿島のサポーター以外の人たちにはまだまだ馴染みのない名前が並んでいることだろう。
鹿島は今大幅な世代交代にスイッチを入れ、選手たちの起用をしている。
しかし、鹿島のサッカーはブレてはいない。鹿島のサッカーは「鹿島のサッカー」なのだ。

若手が育つクラブ、そして誰を起用しても鹿島のサッカーを表現することができるチーム。
そこには鹿島のクラブとしてのやり方が生んでいるのだ。

●監督任せではないサッカーとクラブとしての誠意

鹿島アントラーズは多くの時間、ブラジル人監督にチームを任せ進んできたことは有名だろう。
Jリーグがはじまる前に監督をしていた鈴木満氏が強化部長となり、その後の鹿島アントラーズの初代監督の宮本氏以降、監督はブラジル人で進んできた。
それはジーコが導いたレールが大きく関係しており、鹿島のサッカーはブラジルにありという歴史を曲げずにきた結果だ。

鹿島にとってジーコスピリットはとても重要なものだった。
サッカーに関してだけではなくクラブの内部のこと、フロントの在り方や選手獲得方法、選手とクラブの信頼関係の距離感までさまざまなプロ意識の土台を作った。
そこから鹿島らしさを独自に創って築いているのだ。

鹿島は監督が絶対ではないチーム作りをしている。
ほとんどのチームでは監督が絶対で、チームの戦い方は監督に任せているというところがほとんどだが、鹿島は違う。
鹿島はまず監督をお願いする際に鹿島のこれまでの歴史、歩んできた道、そして方針や理念などを徹底的に話し込み向き合ってもらう。
その上で、監督だけが作るチームではなく強化部が入り込み戦術から戦力的なことまでを 言い方は悪いが口出しすることを了解してもらう形を取っている。

監督の独裁場ではなく、強化部が深く関わり歴史や方針、理念に乗っ取ってしっかりとチームとしての方向性の舵取りをするのだ。
そのため鹿島の練習場には常に選手たちの近くに強化部のスタッフたちがいる。

強化部のスタッフや強化部長が選手の獲得をする。
それは監督がどんな選手がほしいかというところも念頭にいれながら、強化部が鹿島のスタイルにどんな選手が必要かを考案し、強化部が時間をかけて交渉に臨む。
振り返ってみてほしいが、鹿島はあまり突然の争奪戦競争に手を挙げることは少ない。それは時間をかけて選手を獲得したいから。選手の人間性も熟知した上で信頼関係を築き、獲得したいという方針があるからだ。

若い次世代を期待される高卒や大卒の選手たちが鹿島を選択することが多いのには理由がある。
強化部の熱心さと、鹿島には特別な準備があるからだ。

それは選手たちの次の場所を見つけてあげること。

鹿島で力を出すことができなかった選手、起用することができなかった選手に対し、鹿島は次の場所をほとんどの場合で用意するようにしている。
通常は選手が戦力外通告を受けるとトライアウトに参加したり代理人が次を探すなど戦力外となったことで自分たちで次のチームを探すことになるが、鹿島は違う。

鹿島はクラブとして獲得をした責任があるからという理由で、選手たちの次のプレーの場を探してくれるのだ。
鹿島がダメだったときの次の場所まで責任を持って探してくれる。そういうクラブなのだ。
時には鹿島を退団したその次の次までも探したこともあるという。
一度選手の人生に大きく関わったからにはその道に責任があると考えを持っているクラブなのだ。

試合に出られるのは11名。交代を入れても14名。
それに入れない選手たちのストレスが溜まっていくことを知る強化部は、常に身近に在り続けることを意識し、選手たちの日々の努力やアピールを見逃さない。
監督にそれが届いていない場合は強化部が監督にそれを届け、起用してもらうこともあるという。

選手たちのデリケートなストレスを解消するために寄り添い直接話を聞く。
そういった体制を鈴木氏を中心に創り上げてきた。

先日、日本代表の技術委員長へ鈴木氏にオファーを出し、断られたという報道があったが、日本サッカー協会はこういった鈴木氏の実績を知っていたからこそオファーを出したのだ。

鈴木氏は代表オファーを断った。
そこには鹿島への愛が存在するからだ。

●帰属意識を持ってもらう意識作り

鹿島は選手たちをクラブに属することで大切にしている理念がある。
それが帰属意識だ。言葉にすると「チーム愛」の部分である。

サッカー選手は所属しているクラブにチーム愛を持たないことには戦うことはできないであろう。
しかし、一人の事業者であり、プロサッカー選手は自分が第一でなくてはいけない職業だ。
そのため、時にクラブ愛とだけ言っていられない時や選択も当然出てくる。それはプレーに対しても現れることも当然あるのだ。
特に現在海外志向が多くなってきた中で、なかなか芯の部分からのクラブ愛を唱えるのは難しくなってきた。
それでも鹿島はチーム愛の部分が選手たちに生まれるようなクラブの在り方を心がけている。

選手たちにクラブ側ができるだけのことをしてあげる。
そうすることで、選手たちの中でプレーで返そう、クラブの結果として返そう、自分が成長することで返そうという意識になるのだ。
できる限りのことをしてあげる、そう徹することで選手たちが鹿島アントラーズというクラブに対しお世話になっているから恩返しを、このチームのために戦おうという気持ちになってくれるという。

鹿島には実力ある選手たちが揃っているのではなく、鹿島が実力ある選手たちに育てた選手が多い。
中途採用というような他クラブから獲得した選手たちも、獲得以前よりも着実に力をつけ、大きくなる。

そして今まで感じたことのないクラブからの愛情を受けて育つのだ。

他のクラブにはない取り組みが鹿島には存在する。
選手たちに帰属意識を持ってい貰おうとする鈴木氏が、代表へ行くことはこれを考えると…断ったことがわかる。
鹿島には鈴木氏がいなくなることで離れる選手だって出てくるかもしれない。きっと鈴木氏は昔と変わらず鹿島アントラーズを創りあげたいのだ。

●偉大なる先輩の背中を見る育成

鹿島の選手たちは先輩たちの背中を追うことから育成がスタートする。
ジーコを筆頭に選手たちは常に同じポジションで、代表クラスの選手たちの背中を追うことになる。
そしてそれを越そうと同じラインに立ったときには代表クラスの選手となっている図式だ。

当然選手たちの意識も高い。
多くの先輩たちが行ってきた選手としての意識づくりが根付く。
生活から食事方法、睡眠方法、筋力トレーニングまで意識を持って取り組んでいる選手が多い。

先輩から学ぶ意識。それが長くプレーする身体作りやチーム全体のレベルの質の向上にも関係し、チーム力が上がっていくことに繋がる。
どうやったらあのレベルまで到達できるのかを選手たち自身が模索し、それを実践する。追われる選手たちも負けるわけにはいかないという意地を持つ。

わからないとき、行き詰ったときはチームを常に上位に導くためにチーム作りをしてきた経験ある強化部がサポートする。
それが鹿島アントラーズなのだ。

ある鹿島の選手は言う。
鈴木強化部長がいるから、自分は鹿島でサッカーをしている。幸せだ。
と。


そう選手が人生をかけて鹿島でプレーすることになるまでの信頼を置く、特別な存在になるスタッフがいるということはとても大きく、クラブとしての武器だ。
鹿島のために。そう心に誓ってプレーしている選手たちが多い。

 

鹿島アントラーズは大幅な世代交代に着手しているが、そのほとんどが次世代の代表に絡んでくるのではないかと思うほどに完成されてきている。
鹿島を長く見てきているサポーターたちはまだまだと感じている人も多いかもしれないが、それでも鹿島の現在スタメンで定着している多くの若き選手たちはレベルが高く日本を代表する選手になってもおかしくはない。
有望な選手たちを獲得し、育て上げるのは鹿島の強い武器だ。
それはクラブとして一貫して曲げずにやってきた理念があるから。
ジーコが築いた土台をしっかりと大きくし、積み重ねているからこそ。
新しいことを導入しなかったわけではないが、大幅に変えたことはない。それもひとつの武器なのだ。

貫くからこそ生まれる強さ。

「鹿島らしさ」を背負い、これからも築いていくことが鹿島アントラーズの「責任」の在り方なのだ。

 


1991年。
ジーコが鹿島の地に立ったのも、きっとこういった熱意と信頼が生まれたからだ。

時間をかけて本気を伝えることで、動かすものがある。
それが鹿島の最初に出した「答え」だったのかもしれない―。

 

 (訂正2015.10.31)

 

 

 

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自分は茨城出身で、現在は埼玉に住んでいるがずっとアントラーズファンです。他のチームにない貫禄があります。だからこそ、レアルとの試合でも、日本中を釘付けにしました。日本のトップチームとして益々のご活躍を期待してます。

名無しさん  Good!!1 イエローカード0 2017/02/25|14:48 返信

アントラーズは勝利してこそ王者です。 レッドキングダムという別名をつけようと思いますがこれからもっと強くしましょう

名無しさん  Good!!4 イエローカード0 2015/04/07|19:50 返信

会った事もないけれど、こうしてコメントを寄せる鹿島サポーター、鹿島スタジアムですれ違う鹿島サポーター、僕は東京在住でなかなか鹿島スタジアムに行くことができないけれど、共通の理念を信奉するサポーターとして、目には見えない共感を感じます。

ユッキー8番  Good!!3 イエローカード0 2014/12/10|22:19 返信

「理念」に基づく「強化」手法が安定した地位を確保し続けている原動力であることは確かだろうが、次回以降にはチームの継続性を保証する財政といった部分のレポートもいただけるとありがたい。

calibra16v  Good!!5 イエローカード0 2014/12/10|10:49 返信

金満クラブと違ってスピリッツが浸透しまた選手を将棋の駒ではなく一人の人間として向き合い最後まで面倒を見る!これこそがteamカラーの赤き血の通うクラブなのだ!選手もホイッスルが鳴るまであきらめずにボールを追い必死にプレーするからこそ数々のタイトルが獲れている!こんなクラブ世界を探しても希少だと思う!だからこそサポーターの誇りなのだ!

アントラーズ魂  Good!!14 イエローカード1 2014/08/12|21:34 返信

何も言うことが出来ない!
素晴らしすぎる。

名無しさん  Good!!12 イエローカード0 2014/08/07|20:22 返信

素晴らしい記事をありがとうございます。
一点だけ。アントラーズはブラジル人監督を招聘し続けてきていますが、初代監督が故宮本氏であった点をご留意ください。

kiryu  Good!!17 イエローカード7 2014/08/07|16:47 返信

文中に宮本監督のことは記載されていますよ。

鹿島愛  Good!!0 イエローカード0 2016/03/25|00:58

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