CHANT(チャント) 北海道コンサドーレ札幌

■赤黒日記■ 唯一無二の存在 俺たちの西大伍との対戦

2018/09/25 15:04配信

東雲夜雀

カテゴリ:日記

こんにちは。
■赤黒日記■です。
お久しぶりです。

地震が起きてから2週間以上が経過し、やっと札幌ドームでコンサドーレを観ることができました。
前節では0-7という結果となり、目を伏せたくなるような試合となってしまいました。
それでも北海道に勇気をと最後まで戦った選手たちの姿をしっかりと観て、その現実も受け止めました。

そして、迎えた地震後初となった札幌ドームでのホームゲーム。
この試合は本当に意味を持つ試合だったと思います。

相手は、鹿島アントラーズ。
コンサドーレを愛している人間にとって、特別な存在が鹿島アントラーズには在籍しています。
西大伍選手です。

コンサドーレで戦ったくれた選手はこれまでに多くいますし、
今でも愛情を持った選手もたくさんいます。
それでも西選手は。…いつも選手のことは選手を付けて書いていますが西選手ではなく親しみを込めて大伍と呼びたくなるほど
特別で、コンサドーレに在籍していた時と同じく、応援して常に気にする選手です。

スターティングメンバー発表時。
札幌ドームに響いた、多くの拍手は今でもたくさんの人たちが大伍に愛情を持って応援していることがわかる拍手でした。

■俺たちの西大伍となった日

「俺たちーの西大伍ー♪」
コンサドーレゴール裏で歌われた大伍のチャントは、今でも特別で今でも歌いたいチャントです。

ジュニアユース期からコンサドーレに在籍していた選手でしたが、
ユース時代、とても有名な選手というわけではありませんでした。
高円宮杯全日本ユース選手権準優勝に大きく貢献したことで注目を集め、トップチームに昇格してきました。

最初の年はまだ18歳ということもあり、出場機会にあまり恵まれずブラジルに留学。
しかし、チームにけが人が多く出たことで留学途中で帰国し、チームに合流。
そのたった3日後のことでした。

当時J2だったコンサドーレ。
愛媛との試合0-0で迎えた途中から投入され、Jリーグデビューを果たすと、
試合終了間際にゴールを決めます。
この瞬間のことはとてもよく覚えています。
若い選手がブラジル留学に行く選手というのは当時、コンサドーレでも数年あったことでしたが
ブラジル武者修行から帰ってきてすぐにゴールという結果を出し、チームを勝利に導くという衝撃は
あの時だけだと記憶しています。立ち上がり大興奮で西大伍の名を連呼した覚えがあります。

その後も決して出場機会に恵まれていたわけではないですが、時間と共に出場機会を増やしていき
2007年にはJ1昇格、2008年にはJ1で半分以上の試合に出場し、コンサドーレには欠かせない存在へと成長していました。

そして、降格の場面。
昇格して1年で、力足りずにあっさりと降格を決めてしまったコンサドーレ。
決まったとき、聖地厚別での選手のゴール裏挨拶の時、ゴール裏から立ち去る選手たちが多い中
大伍だけがその場に残り、サポーターの訴えの声に向き合いました。
当時、21歳。
どんなベテラン選手も立ち去った中で、21歳の若き生え抜き選手がゴール裏のサポーターの声に唯一、耳を傾け
降格という向き合わなくてはいけない厳しい現実に対してサポーターが今どう思っているのか、感じているのかを受け止めてくれた。
それが、西大伍選手でした。

その姿とその想いを知り、多くのサポーターが西大伍選手に信頼を置き、愛し、応援することになりました。

再びJ2で戦った2009年には不動のスタメンを確立し、GK以外はどこでもこなすオールラウンドプレーヤーとして
チーム状況が難しい中であってもどのポジションでも期待をこめて応援できる選手となり
チームにとって大切な大切な選手となりました。

■俺たちの西大伍 旅立ちの時 伝えられる愛情

俺たちの西大伍、と歌うことが誇らしかった当時。

そして、西大伍選手は移籍の決断をします。
コンサドーレが2008年J1で戦って、足りなかった部分は経験だと感じた。
コンサドーレを強くするために、J1で欠かせない選手になってまた戻ってきたい。

そんな内容の移籍コメントだったと思います。
生え抜き選手であってもサッカー選手としてキャリアアップしたいと考え移籍することや
サッカー選手の可能性を引き延ばすためにチームを去ることを選択することは、当然サッカーの世界では存在すること。
しかし、俺たちの西大伍はコンサドーレのために自分はJ1を知らなくてはいけないと思った、強くなるためにはJ1で欠かせない選手となる選手が在籍することだと
札幌のことを考え、移籍するという決断に至った経緯を語った映像をニュースで見て
当時、別れが悲しい寂しいことと同時に、誇らしく嬉しい気持ちもいっぱいで
「大伍、いってこい!」と心から応援する気持ちを持ったことを、覚えています。

コンサドーレからレンタル移籍で、新潟。
新潟でも活躍し、アジアカップに挑む日本代表の予備登録メンバーの中に名前があると報道されたときは
本当に嬉しく、誇らしかったです。

そして鹿島アントラーズに完全移籍。
この時、コンサドーレにできるだけお金を多く払ってくれるクラブに行くと
移籍先を選択したことを、代理人が明かしました。
自分を少しでも高い金額で買ってくれる、そしてコンサドーレに少しでもお金を多く払ってくれるクラブに行くことで
コンサドーレの経営や運営に少しでもプラスになってほしいという想い。

本当にコンサドーレというチームを愛してくれているということが、チームを離れても伝わってくる
特別な特別な選手でした。
自分たちも計り知れない大きな愛情を大伍へ、と多くの人たちが鹿島アントラーズでプレーする大伍を応援し続けています。
日本代表に選ばれたときは飛び跳ねるほどうれしかったし、代表のユニフォームも張り切って購入しました。
東日本大震災で鹿島が被災し、練習ができずコンサドーレに戻ってきて練習をする姿や、J1がお休みになるとJ2で戦っていたコンサドーレに戻り
謎の練習生として練習する姿は懐かしく、心があたたまり、その元気な姿を札幌で観られることが本当に嬉しくて普段はあまりいかない練習場に何度も足を運んだりもしました。

日本を代表する強豪クラブでありビッグクラブの鹿島アントラーズで
堂々とサイドを駆け上がる姿に、応援と尊敬を重ね見ています。

西大伍選手が、札幌のピッチでプレーすることは特別な日。
今ではほとんどの選手が、当時の選手とは変わってしまいましたが
当時チームで共にプレーした石川直樹選手が先日の試合でスタメンだったことも、歴史をみてきたサポーターとしては
熱くなるものがありました。

俺たちーの西大伍ー
大伍ー大伍ー大伍ー
さぁいこうぜ西大伍ー
魅せろ 俺たちを躍らせろ
俺たちーの西大伍ー

0-2 内容も含め完敗。
喜べない結果でしたが、大伍が躍動していることが J1を代表する選手の一人となっていることがわかる試合となり
多くの人がこの日限定でコンサドーレ時代の22番のユニフォームを着て
鹿島の22番の背中を見つめた日となったと思います。

まだ22番という番号を背負い続けていることが、本当に嬉しい。

俺たちの西大伍を歌うことはできなかったけれど、また必ず歌える日が来ると信じて。
赤黒のユニフォームを再び着る日がいつか来ると信じて。

俺たちの西大伍は、本当に誇らしい最高にかっこいい選手になっていると
改めて感じることができた1日になりました。

試合後、前を歩いていた鹿島サポーターさんが
「札幌での大伍愛され度、思っていたよりもハンパなかったね」
と話されていました。
その言葉に、思わずフッと口元が緩み 多くの人に伝わるほどの愛情を伝えられたのかなと感じ
違うチームに負けた後とは少し違う気持ちで、家路につきました。

読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

 

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