CHANT(チャント) ヴァンフォーレ甲府

【ヴァンフォーレ甲府】 たくさんの人への感謝と恩返しの誓い。大卒ルーキー今津佑太 プロ初シーズン魂を込め戦う 『今』。 【J2】

2018/06/15 12:10配信

CHANT編集部

カテゴリ:コラム


濃い青が拡がり、真っ白な雲が高く感じられる晴天の下、
すでにトレードマークとして定着している坊主頭のその姿を すぐに見つけることができた。

たった半年ぶりに見る姿ながら、プロサッカー選手としての経験を日々重ね、充実した経験を積んでいるのであろうことが伝わってくる。

流通経済大学サッカー部を卒業し、ヴァンフォーレ甲府へと加入したDF今津佑太。
Jリーグの舞台で、今津が全力で向かう「今」に触れてきた。

●流通経済大学サッカー部からヴァンフォーレ甲府へ。開いたJリーガーとしての道。

「キャンプに参加させてもらった時に、自分で言うのもおかしいのかもしれないけど…すごく『しっくりきた』という感覚があったんです。
すごくやりやすかったし、溶け込めた感覚がありました」。

年が明け、ヴァンフォーレ甲府のキャンプに参加した時のことを、そう振り返る。
今津佑太は、大学サッカーで早くから注目を集める選手となり期待され続けた選手であったが、思い描いたような順風満帆な4年間を進んできたわけではなかった。
4年生最後の集大成をインカレ優勝という最高の形で終えそのピッチにも立っていたが、目指していたJリーグの舞台からの誘いは、その時点では なかった。

昨季、大学ラストシーズンを迎える前、今津は大きな怪我を抱えた。
何度も違和感と痛みを繰り返し、自分の状況を把握するに至らない診断に悩み、セカンドオピニオンに出向いたり、治療の方法と向き合ったりとしている中、やっと納得のいく診断が出た。
長期離脱を覚悟しなくてはならない 半月板損傷という結果だった。

繰り返す痛みに、苛立ちと焦り、不安を覚え 呑み込まれそうになる日々を過ごしていたが、理由を突き止めた時。
今津は苦しみから解き放たれたように、潔く前を向いて、答えを出した。
ユニバーシアード代表を諦め、チームのためにそして今後の自分のために無理をせず時間をかけて完治させることを選択した。

同期たちのJクラブ内定が出る中、ユニバーシアード代表選手たちが海外遠征や世界大会を戦う。
葛藤しなかったというと嘘になるが、それでも今できることはなにかと常に探し続け、チームのためにスタンドから大きな声を出し応援役に徹した。
ピッチの中にいるときも大きな声を出すのが今津の『特色』だが、それよりもさらに大きな声でピッチにいる選手たちに応援の声を届け、スタンドで戦った。
周囲の進路が先に決まっていく中でも「不思議と(自分のその先に)焦りはなかったですね」と、今津。

怪我をして諦めたものが大きかっただけに、自分にしかできないこの先がある、と
今津は確信を持って力強く残された少ないシーズンを進んでいた。

復帰した夏の総理大臣杯では3位。
関東大学リーグ 3位。
そしてインカレでは優勝という、結果として大学サッカーの主役となったチームでピッチに立っていた今津だが
決して揺るぎない100%の信頼を寄せられての定位置を確保していたシーズンだったわけではなかった。

それでも、やはり光った存在感と貢献。
走り続けた今津だが、Jクラブからの声はなかなか かからなかった。

焦ることなく、今津はシーズンオフに入っても大学に残りトレーニングを続けた。
「4年生はインカレ優勝を最後に引退しましたが、仲が良かった同期たちも一緒に大学に残り練習相手になってくれていました。
流経大サッカー部OBで現在Jリーグでプレーする先輩たちがシーズンオフを迎え、大学で自主トレをする中で一緒に走ってくれたりもしました。
ほとんどのサッカー選手たちが休む期間の中で、自分はいつでもいけるという身体を作っておかないと、と思っていましたね。
それを言葉にして言わなくても汲み取ってくれて、付き合ってくれた仲間たちに、感謝しかないですね」。

「その同期たちに言われてました。
きっと今、このオフシーズンにこんなに身体動かしてるお前が、日本で一番コンディションがいいんじゃないかって(笑)」

身体を動かし続けていたことで、キャンプに参加した際も自身がかなり動けているなと感じられるほどに、
良い状態でチャレンジすることができたと話す。

「大学でシーズンを戦っている時よりもコンディションは良かったのかもしれないってくらいに、身体にキレがありましたね。
絶対チャンスを掴まなくては、っていう強いモチベーションがあったことも大きかった。
一緒に練習してくれた同期や、Jですでにプレーしている先輩たちにも良い報告をしなくては、という気持ちもありましたね」

高い志と決意を持って挑んだヴァンフォーレ甲府のキャンプは、良い意味でとても過ごしやすかったという印象を語る。
「自分で説明するのも難しいくらい、自然に本当に溶け込めていたんです。はじめてプレーする場じゃないみたいな感覚。
楽しくてやりがいがあって嬉しくて」。

その感覚を得た時には、おそらくもう繋がっていたのだ。
ヴァンフォーレ甲府の今津佑太という その後に繋がる未来に。

●プロデビュー、初めての監督交代、プロ初ゴール、同期たちの活躍…今津佑太の『今』。

ヴァンフォーレ甲府に加入が決まったとサプライズ発表したのは、優勝祝賀会でのことだった。
全国高校サッカー選手権で準優勝という結果を残した今津の母校でもある流通経済大学付属柏高等学校サッカー部と、
流通経済大学サッカー部のインカレ優勝報告を含めた大規模な優勝祝賀パーティーが1月の下旬、都内ホテルで行われた。-

「あの時はまだOKをもらった、と大学の監督(中野雄二監督)や、スタッフに聞いた段階で、まだ正式にサインもしてなかったし本当に大丈夫かなっていう…(笑)言っていいのかなって。
決まったのがギリギリだっただけに、サインしてはじめて安心というか次に行けるんだという実感があると思うんですけど…まだサインをしていなかったけどチーム側と大学側が話をしてくれて、発表していいよとのことでした。」

他のJリーグに進んだ選手たちはすでにチームに合流し、キャンプ先から駆けつけていた。
背番号も決まり、それぞれのチームのユニフォームを着て壇上に立ったが、
今津はまだ決まったばかり。自らのユニフォームはもちろん手にしていない、背番号も決まっていなかった中での発表となったが
サプライズとして発表された今津の進路に、大きな歓声と拍手が響いた。

「地元のチームということで、常に身近にあるのが当たり前のチームでした。
小さな頃からスクールやイベントなどが行われていて、日常的に目にもしたし、参加したこともある。
地元であるこの地域では、ヴァンフォーレのアカデミーに入ることがエリートとされてきた。
自分は、そのエリートの中の選手だったわけではないからこそ、今思えばその選手たちに絶対に負けたくないという気持ちを持ってやってきた部分は少なからずありましたね。」

今津は山梨県南アルプス市の出身。
クラブチーム・甲西トラベッソでプレーしていたが、指導者間で交流があり流経大柏高・本田監督を通じて、強豪校である流経柏高へと進めるチャンスを掴んだ。
高校時代、不動のセンターバックという定位置を獲得していた選手ではなかったが、だからこそ流経大へと進んだ時には「自分が絶対的な存在にならなくては」と改めて決意を持ち、さらなる向上と高みを目指した。

「小さな頃から身近に感じていたチームに、まさか自分がトップチームの選手になって帰ってくることになるとは思ってもみなかったけど、
(キャンプで)最初にやらせてもらった時に『しっくり』きた感覚は、やはり地元のクラブだからという、やりやすさと親しみが自然にあったからかもしれませんね」。

甲府でプロサッカー選手としてスタートを切った 今津。
大卒選手は即戦力でなくてはならないとされているものの DFの選手にとって機会が早々に巡ってくることは難しいが
公式戦がスタートすると、今津はメンバー入りやピッチに立つチャンスを与えられ、その回数を重ねた。

今季からルヴァンカップに前年のJ1リーグにて17位と16位で降格となったJ2チームが参戦するという新たな方式となったこともあり、
日程が厳しい中、総力戦で戦うチームで早い時期からチャンスが与えられ、J1のチームとも戦うという経験も重ねた。

シーズン途中、成績不振を理由に吉田達磨前監督がチームを去ることとなった時。
チームの監督が代わる、という経験は今津にとってはじめてのことだった。

「プロの世界だから、そういうこともあるのは理解はしているけれど、自分にとっては達磨さんの解任は…正直、きつかったです。
自分がキャンプに参加して、自分の上限ではなくのびしろの部分に可能性を感じ獲得してくれた監督だったので、自分の人生を大きく動かしてくれた方。

試合でも早い段階で試して使ってくれていたので、必ずこの感謝を恩返ししなくては、と思っていた。
でも、なにも恩返しができないまま監督が責任を負ってチームを離れることになってしまった…本当に申し訳ないと思っています」。

「達磨さんが、最後の試合になった日に。
いつもはそんなにシンプルじゃないのに、『今日だけは絶対に勝とう!』って力込めて伝えてくれたんです。
もう最後なんだ、と伝わる言葉でした。たくさんのことを教えてくれたし、経験させてくれたし、本当に本当に感謝している方です。
でも、なにも返すことができないままお別れになってしまいました」。

今津は、大学時代から常に自分に関わるすべての人に「感謝の気持ちを持って」「少しでも恩返しがしたい」という言葉を繰り返し重ねてきた。
サッカーができるということは、自分だけの力ではなく支えてくれる人や機会を与えてくれた人、応援してくれている人等、たくさんの人が関わってくれているからということを
自分に何度も何度も刻むように言葉にしてきた。

ひとつ、またひとつと心からの感謝と共に至らなかったという後悔を込めて話し、時折 吉田前監督への想いが涙として溢れ出そうになるほど、目に熱いものを浮かべ語った 今津。
短い期間ながら、多くのことを学び、はじめてのプロの世界を、戦いを 教えてくれた吉田前監督が今津にとって、本当に特別で大切な存在だったことが伝わってくる。

「だからこそ」
と、続けた『今』を言葉にして話し始めると、つらい別れがあったからこそ責任感をより強くしたのであろう決意を持った強い眼差しで、語り始めた。

「上野さんが監督になって、それまでのサッカーへの上積みを本当に良い形で表現してくれて、上野さんのサッカーの充実さというか面白さに、非常に刺激を受けている毎日ですね。
結果が出ている、ということもあるけれど、毎日が充実しています。
あまり上野さんは言葉では言われないけれど、本当によく細かい部分まで観てくれていることも、自分のことを日々知ろうとしてくれていることも理解してくれていることもすごく伝わってくるので、
もっともっと吸収して、自分ももっと上野さんのようにサッカーを知らないと、と勉強になる毎日です」。


ルヴァンカップ プレーオフ第1戦、ホームで対戦した浦和レッズとの試合では
勝利に繋がるプロ初ゴールをマークした今津だが、決して満足はしていない。

「試合に出してもらっていて、今は試合の結果も出ていて。初ゴールも決めたけど、まだまだ足りない。
自分はもっともっと上手くなりたいし、ならなきゃいけない」

まだ満足をするわけにはいけない。自分ののびしろはまだ先にあると可能性を信じてくれた吉田前監督。
日々サッカーの深さを感じさせてくれる、自分のことを細かい部分まで探って理解してくれる上野監督。
毎日を共に過ごし共にチームのために、プロサッカー選手として戦うチームメイト。
自分を信じ、応援してくれるサポーター。
支えてくれる家族や、友達、相談にのってくれたOBや自分を育ててくれた恩師たち。

すべての人たちへの恩返しは、まだはじまったばかり、というように今津は、もっともっと先を追い続ける。

プロサッカー選手として必死に走る中で、刺激を与えてくれる存在がいる。
共に流通経済大学サッカー部で戦ったチームメイト 現在Jリーガーとなった仲間たちだ。

「自分も少しでも早くチームの絶対的な存在になりたいと良い意味で慌てさせてくれる、同期からの刺激があります。
同期の仲間たちとはオフに集まったこともあったし、連絡も取りながらお互いの話を聞いたりもしますし、速報などでスタメンに名前を確認したり、映像で活躍を見たりするとやっぱりその存在が刺激になります。
俺ももっとがんばらなきゃと、まだまだだな、と追いかけさせてくれる存在ですね」。

高校時代から大学時代の7年間を過ごした選手、大学時代の4年間を共に過ごし戦った選手たちの活躍が聞こえることは
刺激になると同時に、負けるわけにはいかないという競争心にも火をつけてくれる存在だ。
かけがえのない仲間であり、負けられないライバルであると同時に、一番の理解者で応援者でもある。

今津佑太の『過去』を語る上でも『今』を語る上でも、欠かせない存在となっている。

 


利き足は、右でもなく左でもなく、気持ち。
今津佑太の『感謝』を刻んだ魂で吠える姿は、今Jリーグのピッチに在る―。


南アルプスの山々が雄大に広がり 自然の大きさと美しさを感じさせる高い高い青空の下、
今津佑太の声は、熱さを持って 響き渡っていた。

 

 

Writing / Photo 飯守 友子(CHANT編集部)

 

 

 

 

 

Good!!(95%) Bad!!(4%)

この記事も読んでみる