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【RKU】 頂点から見えたのは最上学年への覚悟 不可能を可能にする努力とスタンス 小池裕太 【流通経済大学】

2018/02/01 22:19配信

CHANT編集部

カテゴリ:コラム

昨年末インカレ優勝という大きなタイトルでシーズンを締め括った 流通経済大学。
誰を出場させても問題ないと、中野雄二監督が胸を張った層が厚いチームは、ベンチメンバー含めて20名の内、4年生が12名。
スターティングメンバーでは8名が4年生と、最上学年の選手たちが多く占める中。
高い能力を持つ最上学年の選手たちでさえも追い抜くことが難しく、替えの利かない選手だったといえば、DF小池裕太であろう。

インカレでは、初戦となった2回戦からフル出場。
優勝を果たすまで、すべてピッチの上で戦い続けた。

「全然(優勝の)実感がないです」
優勝後、そう話した小池は、自身初めてとなる全国のタイトルを前に戸惑っていたわけでも、フワフワしていたわけでもない。

優勝を手にしたからこそ、実感をしたのは優勝ではなかった、という顔つきをしていた。
頂点に立ったところからいち早く見えたのは、チームで最上学年を迎えるという次なる道、だった。

●自身中心から、チーム中心へ。欠かせない1年が変えた成長

小池裕太の大学3年目は、変化のあった大学2年時を重ねたからこそ、濃厚な一年となった。

あまりの大きな変化に、もっと長い月日が流れたように感じるほど、顔付きにも放つ雰囲気にも変化をみせた3年生となった春。
大学に入学後、順風満帆に大学サッカーの舞台で活躍し注目され、特別強化指定となりプロの舞台にも早い時期に立った。
リズムよく駆け抜けているように感じた環境の変化や周囲からの高い評価に、自身に厳しくなれず、満足しかけてしまった時期もあった。

たった数か月という時間ながら、自身と向き合い気づいたことによって改めた時間はとても重要な時間だった。
これからのサッカー人生において、振り返り見つめ直す機会を迎えた時に、必ず思い起こすポイントになるであろう大学2年時の変化。
壁にぶつかりながら、自分と向き合いながら、人としてもサッカー選手としても大きく大きく成長した1年だった。

精神的な成長を経て3年生となった昨季、小池にとって大きな存在となったのは、
キャプテン石田和希の存在と、4年生の先輩たちの姿にあった『チームのために』という精神だった。

最初は石田の背中を感じながら引っ張られた形だったかもしれない。
しかし、小池はチームが熟成されていくごとに、そして自身がチームを離れる機会を重ねるごとに
自らがチームのためになにができるかを考え、よりチームのために、と自然に行動するようになっていた。
チームが苦しい時期を迎えると、苦しい時だからこそ自分になにができるかを考え、自分が思うようにチームの力になれないと反省と自身へのイラ立ちを抱き、よりトレーニングに磨きをかけた。

ユニバーシアード大会という大きな大会。成し遂げると強く決意した金メダルへの道。
2年に一度の貴重な世界と戦う大きな大会を目の前にすると、比重がチーム以上に代表に向く選手も多い中で、
小池は、チームでの結果が代表に繋がるというよりは、代表でしっかりと戦いそこにプライドも強く持ちながらも、チームに早く合流したいという気持ちを常に持ち続け、代表で結果を出さなければチームでの自分の場所はないと、良い危機感を持って多忙なスケジュールの中で戦い続けていた。

総理大臣杯を前に、ユニバーシアード大会から戻った小池に 中野監督は休養を指示したが、
自ら大会前の練習試合に「どうしても出たいです」と直訴した。

「早くチームでサッカーがしたかった。大会を勝ち抜くことは簡単ではないだけに、少しでもチームの空気に入りたかった。ユニバーシアードで優勝できた経験をチームで出せなければ、大会前にチームを留守にして迷惑をかけたことを返すことができない」

と、小池は帰国後すぐにユニバーシアード大会から頭を切り替え、疲れは二の次と、次の目標に向けて走り出していた。

準決勝で敗退した、大阪夏の陣。
試合後、大きなアクションは見せず静かながらも、悔しさを噛み殺している姿が在った。
ユニバーシアードで疲れていた、ということは一番言われたくない言葉だった。
むしろ代表選手が多いからこそ、どこの大学にも勝たなければならないと思い挑んでいた。

いつまでもチームを指して「惜しかった」とも「選手は揃っているのに」とも言われたくなかった。
自分たちで結果を出さなくてはなにも繋がらないと、前の年にすべての全国大会を逃して知った。
絶対に借りを返す―。
呑み込みたくはない悔しさを無理矢理受け止め誓った 大阪の夜となった。

誰よりも、実は負けず嫌い。
静かに秘める闘争心にさらなる炎が激しく燃え盛った。


●求められたことは、必ずやってみせる。「できない」「やらない」は絶対に言わないスタンス。

インカレ前、流通経済大学サッカー部では最終ラインで起用する選手をどの組み合わせとするのかと、さまざまな形が試されていた。
練習試合や紅白戦でさまざまな選手たちの起用と組み合わせを経て、どのディフェンスラインで戦うのかと中野監督が可能性を探る中で、
小池裕太に右サイドバックをやらせてみるのは?という策が挙げられた。

中野監督が小池に「裕太、右もできるか?」と問うと、小池は「できます」と即答した。
小池といえば左サイドバック。流通経済大学ではボランチで起用されたことも数試合だが、ある。
しかし、右サイドバックでの起用はまだなかった。
小池に改めて右の可能性を問うと、小池は「できないとは言いたくないんです」と言った。

「ポジションは自分が決めるものじゃないし、絶対に約束された場所でもない。
監督が右、というなら右を務めてみせる。自分が左にこだわりを持ってそこじゃなきゃ嫌だ、という選手だと
きっと選手としての幅もなくなってしまうし、チャンスも少なくなってしまう。
与えられるということは、期待してくれている証拠。だったら自分はそれを全うして、期待以上に応えたいと思う。
監督が右を自分に頼んだと言ってくれるなら、右を普通以上にできる選手にならなければならない。
だから、やったことがなくても、やれない。わからない。なんて、自分からは絶対に言いたくない」。

小池は疲れているかという問いにも、一度も疲れていると言ったことはない。
どんな場面であっても、あの場面ではできなかった、ということも口にしたことがない。

やれない、できない、という言葉はプロの練習に参加した時でも、公式戦や練習試合でプロ相手に対峙した時でも
思えば一度も口にしたことがないのだ。

結果的に、小池は左サイドバックとして、インカレで最初から最後まで戦い抜いた。
中野監督は小池について、
「優勝はできたが、小池にとってはおそらく悔しさがあるんじゃないかと思う。
連戦でどうしても疲れが出てしまって、自分が思い描くようにはプレーできなかった試合が多かったと思う。
チームは勝ってきたけど、個人的にはもっとできたと感じているはず」と、話した。

延長戦まで戦った試合が2試合あったことも含め、フル出場した小池のコンディションはすべての試合で万端だったわけではなかったであろう。
それでも大会中、小池は「もう(連戦には)慣れていますし、疲れてるなんて言ってられない。監督が(良いパフォーマンスができていない)自分を理解していながらも指名してくれるからには、それに応えたい。
むしろ充分に自分で納得がいくほど応えられないことに(自分に)腹が立つ」と、厳しく自分を見つめていた。

優勝の実感がない、というのは 自分が貢献したという確たる実感をもっと自身が感じたかったという気持ちもあってのことなのかもしれない。
「自分的にはもっとできたなという思いがあって、悔しいという気持ちもある。チームとしての結果はよかったけど、自分的には100%ではなかった」と自身の大会を振り返った。

試合後、優勝で湧く中、同期の選手たちで写真を撮ってほしいと珍しくリクエストした。
高校を卒業してプロ選手にはなれず、絶対にプロになってやると決めて生意気盛りのやんちゃさを持った個性派の1年生時から、時に共に文句を言い合い時に共に大学の歴史を刻み、時に全ての答えを求めず自分で考える力が必要だと気づき、時にぶつかり、時にお互いに納得いかない時も、
時間を共にし戦ってきた同期たちと、力となり果たした優勝をひとつの形として残しておきたかった。

「次は、俺たちの番だ」。


インカレ優勝を果たした流通経済大学で、唯一替えのきかない欠かせない左サイドバック・小池裕太。
だが、小池としては、まだまだ「足りない」。
満足をしてしまうということは、先がないことだと知ったのは大学2年生の時。

自分の場所が当たり前だとも思っていない。当たり前ではないが、自身に自信は持っている。
そして誰より強い負けず嫌いな気持ちも、持っている。

歓喜溢れるスタジアムで、優勝の実感よりも最上学年となる覚悟が先に湧いた。
インカレの頂点から見えたのは、ゴールではなくスタートだった。

ここからが、スタート。

小池裕太が無意識に青空を見上げた姿からは、そう決意が聞こえた気がしたのだ。

 

 

 

 

 

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