CHANT(チャント) サンフレッチェ広島

【サンフレッチェ広島】 森保監督、退任―。最大限の「ありがとう」に籠める、絶対残留という使命 【J1】

2017/07/05 12:09配信

Tomoko Iimori

カテゴリ:コラム


サンフレッチェ広島、森保一監督が辞任した―。
この一報の衝撃は大きなショックとなり襲ってきた。
ついに来てしまった。森保監督が去るという日。

これまでの結果、順位では、そういった選択が過ってしまうのは当たり前という言葉を使っても良い状況であったことは確かだが、
森保監督率いるサンフレッチェ広島だからこそ、苦しい状況を打開できるのではないかと信じていた。

サンフレッチェ広島に大きな愛情を持って率いた、5年半。
言葉では言い表せないほどに、大きな大きな存在だった。

5年半―。
言葉にしても、1チームの監督としてはかなり長いものだったという印象を受けるのではないであろうか。
監督が5年以上に渡り同じチームを率いることは、Jリーグの世界ではまだあまりない例だ。

この5年半の中で、リーグ優勝3回。
ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)では準優勝を1回
天皇杯 準優勝1回
クラブW杯で上位、ACL出場…サンフレッチェ広島史上に残る、史上最高の成績を残した監督だった。

数々の結果を築き上げた森保監督だが、クラブとしての危機に当たる厳しい状況の中、この成績を残してきたのは本当に難しいことだったであろう。
クラブがタイトルを狙うために、大幅な強化資金UPをしたわけではない。
むしろ、ライセンス制度になるにあたり、クラブはこれまで積み重ねてきた累積赤字を解消するために全体的な資金削減を掲げ、コンパクト経営に切り替わった中での就任だった。
現浦和レッズの監督であるペドロヴィッチ氏との契約更新を行わなかったのも、資金的な問題があったからだと伝えられている。

クラブ初となる 生え抜き元選手の監督就任。
森保一という日本を代表するボランチ。初期のサンフレッチェ広島を引っ張った存在が、監督としてついにサンフレッチェ広島を率いることとなったのは 2012年。
資金も少なく、充分な補強ができなかった中で、就任1年目にリーグ優勝を果たす。

リーグの頂点に立ったサンフレッチェ広島だが、そこからもチーム状況は厳しかった。
リーグ優勝後には、森脇良太が浦和レッズへと移籍し、主力の一角を失った。

2013年には、Jリーグ史上に残されるであろう逆転劇で これまでほぼ勝ったことがなかった、しかもアウェイでは1勝もしたことのなかった鹿島相手に勝利を掴み取り
リーグ連覇の偉業を達成した。
それでも、選手の流出は続く。
守護神であった西川周作が浦和レッズへと移籍。

2014年には、リーグで難しいシーズンを送りながらも、ナビスコカップでは準優勝。
シーズンオフには高萩、石原という広島の看板であった2シャドーのどちらもを失う。

2015年には、広島サッカーで重要であるシャドーのポジションへの適合を試す中で、柴崎晃誠をボランチからシャドーへとコンバート。
新たに加わったドウグラスがシーズン途中で広島サッカーのシステムで開花し、得点を量産。
得点ランキング2位となる活躍を魅せ、チームとしても徐々に上昇。
リーグ史上最高勝ち点となる勝ち点74を積み重ね、再びサンフレッチェ広島はリーグの頂点に立った。

毎年、主力が抜かれる状況にありながら。そしてリーグ連覇によって他チームからのチーム分析は丸裸に近い状態であったにも関わらず、新しい戦力や既存の戦力の新しい可能性を見出すことで、再び頂点に立った。
それも、森保監督が選手ひとりひとりと近い距離で、我慢の時間も重ねながら寄り添って強化し、理解してきた結果であったであろうと感じる。

2016年にはドウグラスを失い、森保監督が苦しい時でも経験を積ませようと我慢の時間を要しながらも起用し育て、日本を代表するスピードスターとなった浅野拓磨がリーグを戦っている最中に海外チームへと挑戦。
この年加入となったピーター・ウタカが得点王になるなど活躍したが、シーズン終了後には再び広島を離れてしまった。

そして今季は、苦しく厳しく険しく戦ってきている中で、塩谷司が中東のチームへの挑戦を選択。
怪我人も多く抱え、これまでにないほどに勝てない今シーズンを戦ってきた。

毎年、チームの軸となる主力が抜けてく。
新たな選手だけでなく、戦術としてもトレーニングとしてもまた変えなければならないこととなり、悩みは増えていく。
適合するには時間を要し、我慢と駆け引きが必要となる。それを毎年何度も繰り返してきた。
それでも森保監督は、最大限を常に出せるチームを創ってきたのだ。

何度結果を出しても、クラブW杯で躍動し大きなお金が入っても、決して強化費はビッグクラブのように潤うことはなかった。
広島の主力選手たちの下へは、毎年のようにビッグクラブからの誘いがある。
広島よりも高い金額提示でのオファーがあっても、チーム愛という選手が持つ愛情によって保たれてきているのが現状だ。
結果を積み重ねても、潤わない台所事情というのは、監督としては厳しく難しかったはずだ。


森保監督は、多くの人たちに愛されていた。
それは、結果を残す監督だから、という理由ではないであろう。
理由は、垣間見える人柄の部分にある。

自身も所属していたクラブへの溢れる愛情と、チームのためを想う姿。
一人一人の選手への距離感を近くし、愛情を持って接する姿。

時には、選手に対して厳しい行動を取ることもあった。
優しさだけでなく、心を鬼とすることもある。
それもこれも、愛情から来るものだと伝わってくる。

練習のトレーニングメニューを、選手の能力やチームの持つ力を日々分析し、熟知しながらも軽く扱うことはなく、
毎日長い時間をかけて考え出されたのであろうトレーニングを選手たちに落とす。
出場できる選手は11名。そしてベンチメンバー。
その枠に捉われることなく、選手たちへの声かけや、きちんとみているといった姿勢を伝えることを、常に行動で示す監督だった。

若手たちや試合出場がなかなかない選手たちのトレーニングにもしっかりと目を配り、オフザピッチの部分にも目を向けて、受け止めるものはないかと見つめる姿を何度も見た。
時に声をかけ、時に冗談を言って笑う。

サポーターにも、丁寧に接することが印象的だった。
応援してくれていると伝えられる前に、手を差し出す。握手をして、目を見て、ありがとうを伝える監督。
サンフレッチェ広島だけでなく、Jリーグ全体のサポーターに向けて、Jリーグアウォーズの檀上で話した言葉のひとつひとつに重みがあり、
森保監督の人柄が込められた 優しく温かい言葉がたくさんの人に響いたこともあった。

おそらく。
森保監督になって今までの5年半で、多くの人がサンフレッチェ広島というチームを知り、応援するようになったのではないであろうか。
広島サポーターの中には、森保監督のサンフレッチェしか知らないという人も、きっと多くいることであろう。
それほど、大きな影響力を持って、サンフレッチェ広島を率いてきた監督だったと感じる。
森保監督だったから、サンフレッチェ広島を好きになったという人はきっと、すごく多い。

現在、17位。
17試合を終えて、得た勝ち点は10。
まだ2勝しかしていない現状にある。

苦しい。
かなり苦しいシーズンを送っている。
一番苦しかったのは、苦しい中戦っている選手たちもそうだが、サポーターからのクラブからの選手からの苦しみを一身に受け止め、責任を背負っていた
森保監督なのかもしれない。


過去にどんな結果を残していても、プロの世界は結果がすべて。
それが、森保監督のプロ意識であるのかもしれない。

苦しいのは今はもちろんだが、連覇をした次の年の2014シーズンも苦しい時期を過ごした。
それでもその次の年には、リーグ史上最高勝ち点での年間首位に、チャンピオンシップも制し、リーグ優勝したことから
森保監督なら、立て直してくれるはず。という信念といっても良いであろう信頼をたくさんの人が持っていたはずだ。

監督に愛情を持って、応援してきた多くのサポーター。
そして、森保監督を心の底から信頼してきたであろう、選手たち。
チームを去るという決断に、悲しみ、悔やみ…複雑な気持ちを抱いているであろう。

森保監督が残したものが、とても大きいからこそ、それを引き継ぎ証明しなくてはならない。


絶対に、降格するわけにはいかない。
森保監督と戦った、団結・一丸・全力・結集・挑戦・そして、一心。
残り17試合を戦い残留という結果を掴むという目標を達成し得て、はじめて「森保さん、ありがとう」が言えるのかもしれない。

森保監督はいつも、サポーターのいるすべての方向へ頭を下げ、挨拶をし、感謝を伝える人だった。
掲げたシャーレは、3度すべて違った輝きを放って眩しかった。


大切な人が、チームを去った―。

誰かのために戦うこと は、強い力を生み出すものであるはずだ。
そうでなくてはならないという使命を持って、絶対残留へと向かう。

Good!!(100%) Bad!!(0%)

F東戦の後、ロッカーに戻ろうとしたポイチに思わず「次は頼む、次は頼む」と半ば懇願したけど、ポイチは立ち止まって真っ直ぐこちらを見てお辞儀をしてくれた。本当に悲しい。

名無しさん  Good!!0 イエローカード0 2017/07/06|22:23 返信

この記事も読んでみる