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【ガンバ大阪】 宇佐美貴史の今。世界的プレーヤーとなるであろう未来を見る 偉大なサッカー人の言葉 【日本代表】

2015/09/16 14:50配信

Tomoko Iimori

カテゴリ:コラム


ちょうど一年前のある日。
ある外国人に出会い、今、日本サッカーを代表する注目選手は誰だと問われた。
こう改めて問われると、今の日本サッカーを象徴するに説明しやすく、伝えやすく、相手を納得させるほど率直な注目高き選手が思い浮かぶものだ。

宇佐美貴史。

質問に対し直感で頭に浮かんだ名前を口にした―。

ハリルホジッチ監督が就任してから唯一日本代表で全試合に出場し続けている日本代表のエース候補の一角。
昨年のガンバ大阪の三冠に大きく貢献し、今季もゴールから遠ざかった時期はあったものの現在リーグ、ナビスコ杯、そしてACLと先にある天皇杯とガンバ大阪のタイトルの可能性を背負っている「エース」だ。

ガンバ大阪は昨年、夏の中断期から一気に調子を上げリーグ、ナビスコ杯、天皇杯と勝ち続けた。
勝ち続けるということはそれだけ試合の数が多くなり、スケジュールはタイトさを増したが、それでもガンバ大阪は勝ち続け三冠を達成。
昨年三冠を達成し事実上日本サッカーを制したというその大きな重圧を背負う形で、今年はACLにも挑み、現在も戦いを続けている。
ガンバ大阪がJリーグで再び強豪クラブとして存在を高めることとなった背景には、宇佐美貴史がガンバ大阪のエースとなったことが大きい。

天才という名を少年期からほしいままにしてきた宇佐美貴史は、さまざまな経験を重ねてきたが
まだ、23歳。

宇佐美貴史という名前が日本サッカー界に浸透してからどれだけの時間が経過したであろうかと感じるほどに、何年も前からその名を響かせてきたが宇佐美はまだ23歳。
ここからが、宇佐美の勝負どころだ。
世界と戦うには充分の経験を持っているはじめての選手かもしれない。

●バイエルン移籍は失敗ではなく大成功だった

宇佐美が世界有数の強豪クラブであるバイエルン・ミュンヘンに移籍したのは宇佐美が19歳の時のこと。
世界を獲るほどのクラブが若き日本人選手に強く興味を抱き、獲得するのは大きな事件だった。

日本人選手の海外組と呼ばれる選手たちの多くは、ドイツ・ブンデスリーガでプレーしている。
ドイツで日本人選手が結果を残すことで、ドイツ国内での日本人選手の価値も向上しており、外国人枠がほぼないブンデスリーガでは日本人選手にとって出場機会が得られやすいリーグでもある。
そのブンデスリーガでも圧倒的な世界強豪クラブとして欧州トップクラスのクラブであるバイエルン・ミュンヘンが、宇佐美を見出したのは大きな事件だった。

世界のトップクラスであるクラブが動くというのは、日本のクラブでは考えられないほどの組織が動き、獲得に検討を重ね、準備したはずだ。
日本人選手を獲得し、レンタルへと出し選手として育ち成功すると他へ放出するというやり方であったなら、宇佐美を一年近くもチームには置いておかなかったはずだ。
それだけバイエルンの中で育てたいという意向があったこと、宇佐美に可能性を見出した期待を持っていたこと、そして戦力になりえる存在だと感じていたからこそ、だ。
バイエルンミュンヘンのクラブ規模でいうと、19歳の日本人選手を育て価値を高めて市場で売るというやり方をしなくとも、他の有望なサッカー主要国の外国人選手でも良かったはずだ。
「あの」バイエルンが日本人選手を獲得するというのは、超がつく異例だったということだ。

宇佐美は約一年間、誰もが経験したことのないバイエルンで練習し、揉まれ続けた。

日本で天才という呼び名をほしいがままにしてきた宇佐美が、はじめて自分が頂点に立てない場所を経験した。
小さな頃からずっとチームでは中心となり、頂点に立ってきた。
その自信は満ち溢れ、日本でも早い段階からその存在に注目が集まっていた。

しかし。
バイエルンミュンヘンという日本では感じられないようなビッグクラブで、宇佐美ははじめての待遇を受けることとなる。
言葉のコミュニケーションが取りづらいことや日本人だからという偏見以前に、プレーヤーとしての質が全く足りてなかった。
はじめて感じる自分への「使えなさ」。

はじめて世界に出て自分と照らし合わせた「世界」の標準がリベリやロッベンといった世界的プレーヤーだった。
自分がどれだけ小さいのか。
自分がどれだけ足りていないのか。
それを身をもって実感する日々を過ごした。
自分の見えていない視界が世界的プレーヤーたちの目には映っていたことがわかった。
日本では宇佐美にしか見えていないであろう優れたサッカー感も、世界に出るとそれよりももっと広い視野が基準として存在した。

プレーだけでなくメンタルの強さも学んだ。
絶対に自分に任せてくれたら結果を出してやる、と強く常に出すリベリの姿を観て、その自信がどこから来るのかをリアルに共に練習しながら研究した。
動き出す前の仕掛けや、スピードの緩急によっての相手の抜き去り方、パワーでチャレンジする方法。
なにかを起こすことで自分のプレーを自ら引き出し、それを結果に繋げる。
世界的なプレーヤーたちと共に練習することで、たくさんのことを学んだ。
それは、Jリーグではできない経験だった。

試合に長い間充分に出場できない状況となることは初めてだった。
もちろん悔しい。試合に出られないことを「仕方ない」と思ってしまう選手ならば、そこで終わってしまう選手ということになるであろう。

一年間でバイエルンが宇佐美を変えた。
頂点に立っていたとしても常にチャレンジすること、強いメンタルを持ってやること。
やれることはすべて出すこと。
「絶対」という位置は自らが求めるからこそ、存在すること。その絶対を守るべく自分が常に向上していなければならないこと。

その後ホッフェンハイムへとレンタル移籍し、ブンデスリーガで初得点を記録し一時期はスタメン起用もあったものの、成績不振が続きチームが監督交代を繰り返し不安定なチーム状況となった。
そして選択した、ガンバ大阪へ戻るという道。
ガンバ大阪へと帰ってきた宇佐美は、天才という呼び名を持って俺様を極めるような姿ではなくなっていた。
ドイツでぶつかった大きな壁、世界という高い基準と本場の厳しさを知ったからこそ、再チャレンジを誓っていた。

このまま俺は、終われない。


宇佐美の海外挑戦を失敗だったとみる人もいるかもしれない。
それは短期間だったからという理由でだろうか。試合に出れなかったからであろうか。
今の宇佐美を観て、海外挑戦は本当に失敗だったのであろうか。
今一度、考えてみてほしい。

宇佐美貴史の、「今」を。

●特別な場所で成長を続け世界を目指す

海外挑戦をして帰ってきた選手が、Jリーグにはたくさんいる。
中には失敗に終わったと感じる選手もどうしても存在してしまうが、海外挑戦を一度と決めつけてはいけない。

海外に行ってみて、あまりに自分がやれない現実に押しつぶされてしまう選手もいる。
海外に挑戦できるような選手のほとんどは小さな頃から日本ではトップクラスにいた選手たちだ。
少年期に日本一になったりと栄光を手にしてる選手も多い。
しかし、そのなにもかもが通用しない世界へ行くと、自分の持っていた自信や、やってきた日々のすべてを否定されたような気持ちになり
なかなか立ち直れないままにそのリーグの特徴的なサッカーについていけなくなる選手も多い。

宇佐美も同じく、へし折られた一人だ。
それでも宇佐美は折られに折られながらも、立ち上がった。
海外挑戦から一度帰ってきた自分を包み隠さず宇佐美は「恥ずかしい」という言葉を使って表現した。

帰ってきた時、ガンバ大阪はJ2で戦っていた。
チーム初のJ2での戦い。ガンバ大阪はJ1に戻るためにも新しいガンバ大阪を創らなければならなかった。
新しい若い選手を起用し、我慢してJ2で戦い続けた結果、結果がついてこない状況となったこともある。
そんな我慢のガンバ大阪に、ガンバ愛を持って帰還した宇佐美。

世界最高峰のひとつであるバイエルンにいたことを考えるとホッフェンハイムを経由してるものの
何段階も下のリーグでプレーする選手になったことになる。
日本に限らず世界中からfootballの競争に勝ちあがってきた一部の選手たちが在籍することができるという
その「位」というものをJリーグでは感じられぬほどに「価値」を植え付けられたはずだ。
バイエルンでプレーするということは、それだけで選ばれし者。

宇佐美にとってはそれでも、ガンバ大阪は特別だった。
例えJ2であっても、ガンバ大阪でプレーするということが宇佐美にとって特別なものなのだ。


日本へ帰ってきた21歳の宇佐美貴史は、若手ではなかった。
チームをけん引できる中心選手として、日本サッカーをリードすることとなったのは
海外での経験があったからこそだ。

一度、海外に挑戦して、その後帰ってきた。
それで海外挑戦は終わりではない。
今までの日本人選手は一度帰ってくるとなかなかまた海外へ再チャレンジできる機会を得る選手は出てこなかった。
と、いうのも海外に行く前はJリーグで目立つ活躍ができていたが、その後は難しくなってしまうことが多いからだ。
海外でへし折られたまま、Jリーグへと帰ってくると、元々のプレーでそれなりの結果を残せても海外挑戦以前よりも向上することが難しい。
これはメンタルの部分にも大きな問題があるであろう。
一度へし折られた場所に戻る勇気も必要となる

大久保嘉人のように海外挑戦から帰ってきて、日本でさらなる成長を重ね、日本代表で活躍を重ね再び海外へと挑戦した例もある。そしてその後30歳を越えてW杯へギリギリで招集されたほどのゴールという結果を刻み続けたというのは、メンタルの強さを信念を感じる。
宇佐美は、かなり早い段階で世界トップクラスで世界基準を経験できたことはかなり大きかったであろう。
それが今後に必ずいきるはずだ。いや、すでにもうそれは結果として生んでいるはずだ。

19歳で海外へと渡り、そこで経験したものを持ってJリーグで再トライし、その経験を存分に活かしながらJリーグで活躍することができ、日本代表へも復帰しその存在を求められる選手となった。
宇佐美が海外にもう一度挑戦する時間は、これから充分に残されている。

宇佐美貴史が目指すは、W杯だ。
日本代表でエースとなること。それが目指す目標だ。

世界と戦うためには、世界での経験があるか否かという経験の違いが大きく出る。
今となってはなかなか海外で合宿をすることや、試合をすることのない日本代表にとって、海外でプレーし、世界のトッププレーヤーと質の高いサッカーの中でプレーしている選手はやはり貴重だ。
その経験を持った選手たちと共にプレーすることで、国内選手も当然意識が高くなるが、海外の最高峰を経験したことのある宇佐美だからこそ
海外組と呼ばれる日本代表の主力選手たちが求めるスピードや動きを 本能でキャッチすることができる。

自分が世界で通用した部分も理解し、そこを持ってチャレンジできることもよく知っている。

自分の勝負はボールタッチがすべてだと語る宇佐美。
ボールタッチから宇佐美のプレーのすべてが決まる。

ボールを持つ前の仕掛けやスピードの緩急、相手を抜き去る方法や全力で向かっていき相手のミスを誘いボールを奪いゴールする方法。
身体が、頭が、そのすべての感覚を経験として覚え、繰り出す。

ハリル・ホジッチ監督は一芸よりもバランスを重視する選手の選択を行っている。
もちろんW杯を戦う上で一芸でプラスアルファの可能性を持つ選手の選出も時と場合によって必ず必要となるが、宇佐美は90分という時間の中でスタートから勝負ができる選手として認められ信頼してもらえる点取り屋となることが目標だ。

献身的であり、バランスも良い。
そして点が獲れる。

宇佐美の得点能力は天才だから本能的に生まれているわけではない。
若き頃の宇佐美貴史とは違うのだ。

宇佐美貴史というサッカー史の歴史から繰り出されるゴールの数々。
一度へし折られたところから這い上がってきた宇佐美だからこそ、生むことのできる経験から生まれるゴールだ。


俺は このままでは終わらない―。

今はまだ宇佐美の目指す道の途中だ。
これから先へと続いている。

―。
今、日本で一番注目の選手は誰だと質問され
宇佐美貴史だと答えると
やわらかい笑顔で、やっぱりねと流ちょうな日本語で返答があった。

その外国人とは。

Jリーグでも活躍した元選手であり現在はブンデスリーガ ヴォルフスブルクのスカウト部長を務めている
世界的プレーヤーであった元西ドイツ代表

ピエール・リトバルスキー氏だ。


宇佐美は、素晴らしい選手だ。
世界のプレーヤーになるよ。


世界を知るリトバルスキー氏の評価の言葉は、リップサービスではなく信念を持った目で語られた―。

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