【連載】 サッカー選手を支える人々~家族というポジション~ 【第一回】
2014/08/01 08:32配信
カテゴリ:コラム
支えてくれた家族―。
サッカー選手の多くのインタビューで言葉にされてきたこの言葉。
その家族に感謝をする選手たちの言葉の中にはどんな意味が隠されているのだろうと考えたことはないだろうか。
選手たちの口にする「家族」。
プロサッカー選手の家族として、プロサッカー選手になるまでの生き方、接し方そして生活がもちろん存在する。
サッカー選手の家族として、そしてサッカー選手たちを育てる側としての二面を持っている西友純氏に話を聞いた。
●家族としての接し方
西友純氏は北海道札幌市の真栄サッカー少年団で監督をしている。
自身の子どもは鹿島アントラーズ・西大伍選手だ。
西監督は、少年団の監督という視線からそして自身がプロサッカー選手の子供を持つ親としての経験から「親」としての接し方を独自ながら持っている。
どうしてもサッカー選手になるには競争が存在し、サッカーが巧くなると同時に親の期待はどんどん増していくものだという。
巧くなればなるほど、過剰なほどの期待をかけ、選抜に選ばれたり、年代別の代表に選ばれるなどすることで周囲の期待は膨れ上がっていくものだ。
その中で、重視したいのが「サッカーをするのは親ではない」ということだという。
どんなに巧い選手であっても、将来を期待された選手で注目を集めている選手であっても、親が過剰な期待からうまくいかなかった時に頭ごなしに叱ったり、過度な期待の目標地を挙げそんな状態ではプロにはなれない!という言葉を投げるように言うことで子どものメンタリティは潰れてしまうという。
実際に少年団やクラブチームの応援の保護者たちの声援には、子どもを怒鳴りつけているものもたくさんあり、そうじゃない!こっち!といった声や、今のはシュートでしょ!というような勝手な指示が飛ぶこともある。
監督はパスだと言っていても保護者がシュートだ!と怒鳴るような光景があるチームもあるという。
西監督はそういった過剰な期待や、保護者が求める選手になれないことで子どもが泣いて潰れていく姿を20年ほどの間にたくさん見てきたという。
プロになれる素質がある選手であっても、そういった言葉や態度、環境ひとつでサッカーを続けられない子どもが生まれてしまうというのだ。
西監督はそういった経験から自身のサッカー少年団では、保護者たちに戦術的なことやプレーについての声がけはしないでほしいとお願いしているという。
がんばれ!もうちょっとだ!といったような前向きな応援を選手たちに声がけしてほしいとお願いしていることで、真栄サッカー少年団の保護者たちの観戦マナーはとても良いと評判だ。
西監督自身もサッカーをやっていた。
社会人リーグでプレーする傍ら、自身の子どもが真栄サッカー少年団に入る時になにか手伝いをできることはないかと手を挙げ、手伝いに通うようになり、そこから監督へと自然に導かれた。
自身がサッカーをやっていたこともあり、息子である大伍をどういった選手に育てようか考えたという。
その結果ボールを持たせて積極的にまずはドリブルをするという選択肢を選んだ。
プロになるためには、まずはボールを失わない選手になることが第一だと考えたからだ。
自身の手を離れて真栄サッカー少年団からコンサドーレジュニアユース、そしてコンサドーレユースへと進んだ子どもの日々の練習や試合をいつも影で見ていたという。
身体がかなり小さかったこともあり、中学時代から自主的に身体作りをはじめた息子を見ていた。
親として道を示すことはなかった。こうしなさい、あぁしなさいではなく試合に出られないことに対し、こうしたら良いのではないかという提案はしたものの、頭ごなしになんでお前はできないんだ!という言い方はしなかったという。
それは日々の努力を生活の中で、すでに中学時代から感じたから。そして少年団でそういった保護者たちに苦しむ子どもたちを見てきたからだ。
●親として耐えること。そして見守ること。
子どもが試合に出られないことでもっとうちの子ならできるのになぜ…と感じたことも何度もあった。
それでも父親としてそれを出すことは耐えたという。
何度も影で泣いたことはあります。
そう穏やかに話す、西氏の目には苦しかった時代の思い出が映る。
今鹿島アントラーズというJリーグの中でもビッグクラブといえる強豪クラブに所属した選手であるものの、ジュニアユース時代、そしてユース時代は試合に出られない時期を経験した。
Jリーグの下部組織に入るということはもちろん簡単なことではない。
そのチームに入るには、チーム側からのオファーがある場合とセレクションの場合がある。
セレクションを受ける選手たちは、コンサドーレの場合は北海道中の自信も実績もある選手たちが集合することになり、その中から毎年十数名が選抜されることになる。
コンサドーレではなく例えばFC東京ユースやマリノスユースなどの関東圏のチームになるとJクラブの下部組織チームが多く選択もできることから、複数受ける選手も多く、多いところでは1000名以上の中から十数人ということもあるほどだ。
その中で選ばれた選ばれし選手たちがプレーすることが許されるのだが、高校や大学と同じくその中で位分けが存在する。
高校や大学に特待生やスポーツ推薦枠があるのと同様、下部組織にもそういった位分けが存在し、中には月会費や遠征費全額免除といった選手も当然存在する。
しかし、西大伍はそういった枠の選手ではなかった。
そのため、度重なる毎月の月謝や短期長期の遠征費、当然用具代に送り迎えと子どもの本気に応えるべくお金もかかってしまう。
その額は家を売らなくてはいけないのではないかと考えるほどの金額だという。
選手によってもちろん左右されるが、ひとつの例として。
以前取り上げたことのある選手の家族に話を聞いたことがある。第一線でプレーする選手に育てるために使った費用は2500万円近いという。
それでもその選手は高校も大学も特待生、学費免除で入った選手だ。
世代別代表やトレセンなどの交通費は出ることはあっても、これだけの費用がかかるというのが現実なのだ。
もちろん子どもに親としてその金額についての話は触れたりはしない。
しかし、選手たちは大人になってから知ることになる。
特にプロサッカー選手になるとその細かい部分でのお金の現実を目の当たりにし、親がどのくらいのお金をかけて自分を育ててくれたのかを知るという。
当然そのお金を作ることは容易ではなく、苦労する親が多い。
それでもプロサッカー選手になれるとは限らない中で一家の全部を懸けてチャレンジしているといっても過言ではない。
●ついにつかんだプロサッカー選手という結果。そして。
西氏はそんな中、高校2年生の時がやっと子どもが試合に出られる環境になる。
その姿を見ながらこれからだ!と言う可能性を感じている矢先に、進路の話が出た。
お父さん、大伍くんはトップには上げることはできないので、進学を考えてください。
という言葉だった。
やっと試合に出続けられるようになった矢先に降りかかる進路。
高校生活はまだ一年以上あるものの、現実的に襲ってくる進路というものに苦しめられたという。
それでも選手として、まだわからないからあきらめるなと西氏は自分の子どもに声をかけ続けた。
どんな状況でもあきらめないと教えたのはサッカー少年団の頃から一貫として変わらなかった。
それもあり、負けず嫌いとなり出られない状況であってもその状況を強くする材料として吸収するようになっていた自分の子どもに強さを感じていたという。
そしてその後。
試合に出られない時に毎日3部練習をして練習試合をしていたこともあり、出来上がった身体の強さや誰にも負けない体力などを武器に、そして少年団時代から積み重ねてきたドリブルとボールを追うプレーが結果を出し、本来であればトップチームへの昇格を見送られる選手だったところから、トップチームへの昇格を掴んだ。
真栄サッカー少年団初のプロサッカー選手の誕生、そして自身の息子がサッカー選手として職を得たのだ。
しかし、それがゴールではもちろんない。
トップチームに昇格した子どもの練習や練習試合を観に行くと、聞こえるサポーターたちからの評価。
西は全然ダメ
西は来年にはもういないな
そんな声がいつも聞こえていたという。
一年目は出場する機会もなく、かなり難しいと考えられていた。
それでも西氏は今まで出られない状況があっても、出られない期間で強くなり打開してきた。
だからきっとチャンスは来ると思っていた。
その反面プロは厳しい世界だからこそ、その中でダメだと判断されればすぐに切られてしまうという現実も覚悟しなくてはならないのかと考えていた。
親として信じている芯があっても外から言われる言葉を気にしなかったわけではないだろう。
それでもその時を待つ覚悟を持っていた父の支えを子どもが感じていたのかもしれない。
チームは西大伍をブラジル留学に出すことを決断。
ブラジルで選手として伸びてこいと送り出したチームだったが、相次ぐ負傷者が出たことにより緊急帰国。
まだ時差ボケがある状態の中で出場した試合終了直前。
多くの人たちが期待をしていなかった若手選手だったが、一攫千金の決勝ゴールを挙げる。
その時のことを父は「持っていた」と表現する。
西の放ったボールは当時愛媛FCに在籍していた北海道出身の赤井に当たりそしてゴールポストに当たり吸い込まれていった。
完全なツキが息子にはあった。と父はいう。
プロにはそういったツキも必要だと、そしてサッカーを続けなさいとサッカーの神様が道を開いてくれたような感覚だった、目を細める。
その後、新潟、そして鹿島へ移籍。
今ではサッカーファンの多くが知っている選手へと成長した。
中断期や冬のオフシーズン。
必ず息子は自宅へと帰ってくる。
そして必ず少年団へ足へ運び、少年団の子どもたちもプロ選手だ!と大騒ぎになることなく、一緒にお兄さんとサッカーをする感覚でボールを蹴り、そして最後にサインをもらって帰るという。
連日、小さな頃からプロ選手時代までの道の中で出会ったたくさんの仲間たち、お世話になった人たちに会いに行き、札幌を満喫していくという。
家が好きなんですよ。
そういって遠くを見る目には息子を想う気持ちが溢れていた。
家族であることで意識していることはありますかという質問に
息子の一番のファンであることです。
そう答えた西氏。
毎日のように、たくさんの子どもたちとサッカーに関わり、たくさんの子どもたちの人生に関わってきた。
息子のサッカーをする人生に関わるためにはじめたサッカー少年団の監督ももう20年ほど経過した。
たくさんの子どもたちを育てながら、自分の息子のサッカーを観にグラウンドへと足を運ぶ。
息子の姿からヒントをもらい、それを少年団で取り入れ実行する。そういった生活を続けてきたのだ。
今でも当然、試合を観ることは欠かさない。
鹿島ではどんな状況なのかも2.3聞くこともあるが、新聞で報道を知ることもある。
親としての干渉は最低限に収めてきた西氏。
期待もしてきた、涙も流してきた、必死に働いた。
しかし、そういった姿は子どもには見せなかった。
ただ、自分はお前のことを一番好きだ。
それだけを伝えてきた。示してきた。
プロサッカー選手の家族として
サッカー選手になるためのプロセスとして
保護者として親としての在り方を、少年団で監督をやりながら保護者たちと付き合ってきた経験から模索してきた結果が「今」となっている。
鹿島アントラーズ西大伍を支える家族。
偉大なる父がいなければきっと西大伍という選手は生まれなかったであろう。
すごく幸せなんですよ。
言葉には出さなかったものの、選手を支える親として厳しい時期もあった。
サッカーブームが低迷すると少年団の子どもたちが減ってしまい有望な選手たちが入団してこない時期も経験した。
そういった壁を乗り越えてきたからこそある、今。
サッカーを愛し、向き合い、関わり、子どもたちとボールを蹴りながら、息子・大伍を一番に応援する。
それが父であり監督である西友純氏が感じる幸せな幸せな 「今」 なのだと溢れ出る子どもを想う笑みから、感じた。
先日はリンクの快諾ありがとうございました。子供のサポートについてじぶんなりに書いてみましたが・・・なかなか難しいですね。
お時間があるとき読んでいただけたらうれしいです。http://www.consadole.net/smile/article/1573
これからも楽しみに読ませていただきますね。
consasmile | 0 0 |2014/08/15|23:13 返信
お返事ありがとうございます。
上手くリンクさせて書けるよう頑張ります(^_^;)
更新したらまたお知らせしますね。(お恥ずかしいですが)
consasmile | 1 2 |2014/08/07|09:13 返信
初めまして。コラム読ませていただきました。
とても共感できました。私も息子二人がスポーツをしていますが試合に行くと子供以上にエキサイトする親御さんを目にしました。
子供たちと親の関係についてや見守ることの必要性を「コンサドーレ・サポーターブログ」の方で書きたいのですが、こちらのコラムをリンクで貼らせていただいてもいいでしょうか。
もし良ければconsasmile@yahoo.co.jpにメールをいただけたらと思います。お返事がない場合は貼りませんので。ちなみにサポーターズ・ブログでは『チームがある限り』というタイトルでブログ更新しています。突然で大変失礼いたしました。
consasmile | 4 1 |2014/08/02|13:47 返信
すみませんログインしていない状態でお返事を書いてしまいました(^^;
ブログをやっていらっしゃるのですね。そちらもたのしみにしています。
Tomoko Iimori | 0 1 |2014/08/06|12:13
遅くなってしまってすみません。コメントありがとうございます。リンクを貼っていただいても問題ございません。子どもたちと親の距離感というのはわたしも子どもを持つ親としてとても興味深いものがありました。
読んでいただきありがとうございます。
名無しさん | 1 0 |2014/08/06|12:12