【日本代表】突き付けられた現実 日本代表ブラジルW杯の終焉 【W杯】
2014/06/26 21:42配信
カテゴリ:コラム
日本代表がW杯グループリーグ敗退の現実を突きつけられてから24時間以上が経った。
グループリーグ突破をかけて戦った日本代表は序盤から必死にゴールを狙う試合展開をしたものの、1-4の惨敗に終わってしまい、グループ最下位でブラジルW杯が終了してしまった。
やり切った
そうとはいえない3戦。最後の1戦に関しては出し切った結果の惨敗となってしまった感があるが、W杯を通してやり切った大会ではなかった。
日本代表の敗退はなぜ起きたのか―。
●初戦から行うべきだった「勝つサッカー」
初戦、そしてギリシャ戦の日本代表の戦い方と、最後のコロンビア戦の戦いは明らかに違うものだった。
最後の最後になって日本代表は方向転換し、勝つためのサッカーを展開した。
コートジボワール戦、そしてギリシャ戦では日本のサッカーをして勝つことを掲げた結果、ポゼッションをした上で組織的に崩すサッカーを基本線に戦った。
自分たちのサッカーをすれば勝つこそができる。
そうザッケローニ監督は言ってきたが、それがまったく世界に通用しない形となってしまったのがこの2戦だった。
ギリシャ戦に関しては一人退場し、少ない状況ながら少ないからこそ相手は引いたサッカーを展開。
引いた相手にどう戦うかというオプションを使うことができず、苦し紛れに出たパワープレーや岡崎の1トップという迷走を生んでしまった。
コロンビア戦は、序盤から早いプレスを展開し、高い位置で奪おうという意図が見えた。
どんな得点でも良いから得点がほしい。そういうサッカーだった。
それを初戦からしていたら…?
そう考えてしまう人も少なくないだろう。
W杯に日本のサッカーをしにいったのか
それとも
W杯で勝つために行ったのか
その違いは大きい。
自分たちのサッカーをすることで必ず世界と戦える。
そう信じてきたその自信。
しかし、現実はそうではなかった。
内田の言葉にもあったように、世界は遠くはなかったものの、世界はまだまだ広かったのだ。
●指揮官の信頼はどこに?
ザッケローニ監督は選んだ23名の選手たちに絶対の自信があるといった。
自分たちのサッカーを最大限表現できる選手を23名選考したと言ったが、果たしてそうだったのだろうか。
毎大会23名全員が出られるわけではない。しかし、今大会は今までで最大の6名の選手が使われなかった。
まずサイドバックは内田・長友以外の選手が交代でも起用されることはなく、酒井高徳、酒井宏樹、そして伊野波雅彦とディフェンダーを3名もまったく起用しなかった。
怪我を考えての選考ならば左右ができて経験のある駒野、または左右できる酒井高徳一人でも良かったのではないかという疑問を抱いてしまうほどサイドバック要員を使うことはなかった。
そして勝つためのひとつの手段として速さや高さを求めるような選手を全く選考しなかったのも、自分たちのサッカーを表現できれば勝てるという慢心からだったとこの結果では言わざるを得ない。
ここで高さがある選手が
ここで速さでかき回す選手が
そう思わせてしまうような試合をしてしまった。
ここは絶対に勝たなくてはいけないという場面でそういったカードが切れないこと、チームを変える起爆剤を4年間で育てることができなかったことも敗因のひとつかもしれない。
固定の選手たちを信用し、使い続けた。
その結果他の選手たちを信じることができずに、ペースを乱されるのがこわくてカードを切ることができなかったり、スタメン起用をすることができなかったのではないだろうか。
本当に23名の選手たちの選考でこういう場面で使おうというビジョンがあったのか…と思わせるような選手の残し方、そして起用方法だったと感じる。
●日本のサッカーは王者的考えから外すべき
日本のサッカーをする
この言葉は監督からも選手たちからも何度も出ていた言葉ではあるが、日本のサッカーというのはそもそもどんなサッカーなのか今一度考えたい。
この「日本のサッカー」が指すものはたった4年で創られたものに過ぎない。
その4年で創られたサッカーを全うすることで世界のどの相手にも勝てるというのは違ったという結果になってしまった。
自分たちのサッカーを相手がどこでも曲げずに全うする。
それは王者のサッカーだ。
例えばブラジルのサッカーやスペインのサッカー、イタリアのサッカー、ドイツのサッカーなど、誰が監督をしてもその国のサッカーは確立されているものがある。
しかし、日本のサッカーはザッケローニ監督のサッカーを4年間行ってきただけであり、本当の「日本のサッカー」はまだ確立されていない。
アジアでの日本サッカーの立ち位置は現在不動というところまでレベルが上がりアジアで勝つことは絶対というノルマのようなものとなっている。
そこでは自分たちのサッカーとして王者のサッカーが通用するかもしれない。
しかし、世界と戦う上で自分たちのサッカーを歴史深く確立してきた各国のサッカーにぶつけるにはまだ早熟すぎたのではないだろうか。
自分たちの物差しを世界の物差しの隣に置いてみたら…小さかった。とてつもなく小さかった。
そう言ったのは日韓W杯一年前に強化試合として行われたイタリアとスペインとの試合をした後の当時日本代表・服部の言葉だ。
W杯前にそれを痛感することができていれば。
それはまた違った結果となっていたのかもしれない。
●ビジネスか強化か
日本代表における日本サッカー協会の考え方に一番疑問を感じる。
日本代表はサッカー協会において、そして日本のサkk-アビジネスにおいて最高峰であり、ビジネス的要素が高いのはある程度仕方ないかもしれない。
しかし、いつでも国内で勝てるような相手ばかりと親善試合を行ってもそれは強化になっているのだろうか。
代表は招集できる期間も限られており、現在日本代表の選手たちの多くが欧州でプレーしているだけに難しい部分はあるものの、欧州で短期間のキャンプをした上で世界の強豪と強化試合を行うことが必要だ。
いつでも国内で世界ランクがあきらかに下位な国とばかり戦っていては世界の戦いだけでなく、遠征としての代表チームのあり方や時差、気候などすべての面において慣れることは難しい。
ビジネスをすることも大切だが、日本は強化をしなくても良いほど強くなったわけではない。
日本代表はまだまだ世界と戦うには足りない部分があるとわかった今、世界の強豪たちと少しでも多く戦い、世界を肌で感じることが必要なのではないだろうか。
●感じられたドイツ大会の色
日本が過去に出たW杯の中で一番悪い印象として残っているのがドイツ大会だ。
ドイツ大会では選手たちの向く方向が違っていたこともあり、結果として惨敗。
グループリーグ敗退、そしてチームは空中分解してしまった。
今回はそのドイツ大会に似た印象を持っている人が多い。
当時を知る選手、そして関係者たちからはドイツ大会のときの状況に良く似ていると話している。
ドイツ大会で起こったことは二度と繰り返してはいけないと教訓になったはずだ。
しかし、日本サッカー協会はそれを引き起こしてしまった。
感じられたスタメン組や海外組の選手たちのモチベーションと使われなかった選手たちベンチにいる選手たちのモチベーション。
そのバランスを取る役割の人物がいたのだろうか。
選手たちがというわけではなく、監督の起用方法からそういった温度差が出てしまった原因があるのかもしれない。
すべてを出し尽くして負けたのであれば悔しくても自分たちは足りなかったと受け入れることができるかもしれない。
しかし、初戦、そしてギリシャ戦と勝つための方法の最善を取るよりも自分たちのサッカーをすることに重点を置き、プランを一本をしたことが最大の残念な部分だったのではないだろうか。
日本は今までで最強のチームだと言われてきた。
しかし、それは違った。
それが突き付けられた6月25日。
日本のサッカーはどうこれから歩むのか。
ただし。
結果がすべてといわれるが、W杯はそこまで歩んだ4年間の歩み全て。
それらがすべて否定となるのではなく、敗戦含めて無理矢理にでも次につなげなくてはならない。
やったことが通用しなかった。
これが厳しいながらも結果として残った。
だからこそ、これからの日本代表がどう歩むのか。
このメンバーでこのチームで戦うW杯は終わってしまった。
しかし、日本代表はこれからも選手を変えながら4年間そして8年間、12年間………
と戦っていく。
だからこそ「日本のサッカー」の確立をするために、サッカー協会が強化の部分でどのような動きを見せるのか。
注目したい。
厳しい現実を受け入れるのにも時間がかかるが、それもひとつの成長の時間になると信じて。
日本のサッカーは4年間で作られたものではなく、今までの積み重ね。まだまだ日本はサッカー後進国で、世界に比べれば歴史が浅い。他の国だって幾つもの悔しい思いと、時間や労力をかけてやっとここまで来てる。
これから先の世代が今の世代から学べば、いつか世界で活躍できる日本代表が生まれるはず。監督と選手にしか分からない事を相変わらずゴタゴタ言うな!
相変わらず、わけわからんサイト…
名無しさん | 0 2 |2014/06/27|18:09 返信
サッカーファン1人1人が何を思うかは自由では?
わけわからん批判はやめなはれ。
名無しさん | 0 0 |2014/06/28|00:15