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【日本代表】 ザッケローニ監督の誰よりも強い日本愛と覚悟 【いよいよ初戦】

2014/06/14 11:10配信

Tomoko Iimori

カテゴリ:コラム

 

 

決戦の日。
いよいよこの日がやってくる。

W杯初戦を迎える日本代表は今どんな緊張感に包まれていることだろう。
日本中がそして世界が注目する日本代表の初戦は、日本時間の明日10時、運命のキックオフを迎える。


4年間、チームを率いてきたザッケローニ監督。
監督は、試合の結果によって、そして戦い方によって一番叩かれるポジションとなってしまうことが多く、ザッケローニ監督も期待と罵声が紙一重のところにいつも身をおいてきた。
日本にやってきたイタリア人監督であるが、その決意は日本人で日本に住む人間からはきっとわからないような決意であり、イタリア人ながら日本を愛したザッケローニ監督の愛が存在する。
そして監督が自信を持って信頼している選手たちがW杯のピッチに立つ姿はきっと震えるものがあるだろう。

ザッケローニ監督は
日本人以上に 日本人かもしれない。

SAMURAI BLUEは
ザッケローニ監督が持つ魂だ。


●今だからこそ知っておきたいザッケローニ監督の「日本愛」


ザッケローニ監督は、10代の早い時期にプロ選手となり、イタリア・セリアAのクラブでプレーしたものの、病気や怪我によって17歳で現役を引退しなくてはならなかった。
ものすごく短い選手生活を終えた彼は、保険外交員などをしながら指導者としての道を目指すため必死でfootballを勉強した。

選手として一流と呼べるまでの経験を積めなかった分、プレーをしていなくても一流の指導者になれるよう必死で勉強し、数々のサッカーを観つくした。
選手としての期間も短かったため、コネクションもなく、クラブを指揮するためのライセンスをひとつづつ必死に地道に取った。

イタリア国内でビッグ3と言われているミラン・インテル・ユベントスを指揮。
イタリアでは名将の一人として名を馳せるまでになっていった。

イタリアでは最優秀監督になったこともあるザッケローニ監督の元に 日本から連絡があったのは南アフリカW杯の決勝トーナメント敗退後のことだった。
ザッケローニ監督は見ていた。
南アフリカでの日本代表の戦いをみて感動したという。
誰一人としてあきらめない姿勢、一生懸命最善を尽くし、全力で戦う姿。
選手たちの一人一人が同じ方向に向かってつかみ取りにいっている姿に、チームの「一体感」を感じ、感銘を受けたという。
その日本からの代表監督の打診に、話を聞いている途中で代表監督を引き受けさせてくださいと口が動いたという。

日本からの代表監督就任を、日にちを入れずにその場で引き受けると即答したザッケローニ監督。

遠く異国のイタリア人が日本で4年間を過ごすこと、そして代表監督というとてつもないプレッシャーと課せられる大きな仕事の重み、日本の文化や日本での生活の不安。
そんなことは考えなかった。それは軽い判断ではなく、それだけ南アフリカでの日本代表の戦いが自身を動かした。
サッカー人として、戦いから伝わったその響いたものだけを信じ、経験したことのない代表監督を引き受けること、そして日本に渡ることを決意したのだ。
言葉では説明できない運命だと思った。
そうザッケローニ監督は言葉を残している。

日本とは運命的な出会いをしたのだ。
南アフリカのあの戦いが生んだ、出会いだった。


●とにかく日本にいる監督

ザッケローニ監督は代表の試合やキャンプ以外の期間もずっと日本に滞在していた監督だ。
ジーコ監督など、歴代外国人監督は日本代表の動きがない期間は自国に戻ってしまうことが多かったが、ザッケローニ監督は違う。
日本代表の監督としてだけでなく、日本人の考え方を理解するために日本人と数多く接し、日本のサッカーを観るために毎週のようにJリーグの視察に足を運んだ。
日本を理解するということは、その国の文化を理解することだとザッケローニ監督は言う。
だからこそ、日常生活を日本で過ごした。
日本食を食べて、日々地下鉄に乗車して移動する。
日本人が日常的に経験することを自らも日常生活で送ることで経験したいと連日、日本を歩きまわった。
Jリーグの視察のために全国行脚し、その街を歩いた。

ザッケローニ監督はイタリアの関係者たちも日本人寄りだと話すほどイタリア人っぽくなく、日本人に近い感性を持っているとされる。
規律に厳しく、とても規則的な真面目な性格だという。

「私は半分日本人だ。日本に恋をしている」
という言葉は何度も紹介されているが、それはリップサービスではなくおそらく本心で話している。
日本人よりも日本の文化を感じ、そして日本人を理解しようとしていた。
もちろんそれを代表選手たちの考え方との中和に生かし、そして信頼関係を作った。

その信頼の中心にある核は、ザッケローニ監督が日本を愛してくれたその気持ちだった。


●日本で経験した東日本大震災

2011年3月11日
その時、ザッケローニ監督は日本にいた。
そして東日本大震災を経験した。

大きく揺れ、机と棚が倒れ、外に飛び出した。
大きな地震を経験し、恐怖に包まれる中、地震を伝える報道に目を疑った。
日にちが過ぎるごとに大きくなる被害、そして尊い命が失われたという現実。
さらに世界的にみても大きな原発事故も起きてしまった。

その直後、予定されていた日本代表の試合は一時凍結した状態になった。
予定していたニュージランド代表が日本の大震災、そして原発事故を踏まえて日本行きを断念。
日本代表の対戦相手いなくなってしまった。
しかし、日本サッカー協会、そしてJリーグ、選手たちの強い希望により、震災チャリティーマッチとしてJリーグ選抜と日本代表が試合をし、サッカーの力でできることを日本中に発信した。
チャリティー試合前の練習ではザッケローニ監督も震災への義援金を呼びかけ、実際に義援金箱の前に立って活動した。

その後、日本から一時的に離れたほうが良いと周囲が判断し、1ヶ月弱日本から離れたものの、すぐにザッケローニ監督は日本に帰ってきた。
原発事故は世界的に報じられ、日本国内よりも国外でのほうが不安な報道がされていた。放射能の恐ろしさや原発事故の今後の恐怖などが大きく報道されたが、それでもザッケローニ監督は日本に戻ってきた。
それどころか、早く日本に帰りたかったという言葉も発している。

日本で起こった大震災、そして原発事故。
これからの安全が未知の外国で生活することは自分の身に置き換えてみると考えられないことだという人が一般的だろう。
しかし、ザッケローニ監督の覚悟は日本人以上に日本人として日本代表に関わり、そして生きることだった。

震災の痛みを受け止め、ザッケローニ監督ができること、footballでできるすべてを尽くしていくことを決めた。


●サポーターにも示す、最大の敬意

W杯予選。日本に課せられた結果は圧倒的な強さだった。
日本がW杯出場を決めると5度目の出場となることとなるが、それは与えられた使命だった。
日本代表が目指すところはW杯出場ではなく、W杯本戦での結果だ。

アジアでは強さを示す必要があった中、W杯行きが決まると思われたヨルダン戦でまさかの敗戦を喫した日本代表。
その結果を受けて、日本では当然バッシングがされている中、帰りの飛行機で日本代表と一緒になったサポーターたちに機内の中で頭を下げ、ザッケローニ監督はこう言った。
「選手たちはよくやった。監督の能力が足りなくてこのような結果になってしまった」

選手たちのせいではない。監督である自分のせいだと謝罪したのだ。

遠く応援に駆け付けてくれたサポーターへの謝罪。
そして戦った選手たちへの労い。

代表チームの結果が出ない時は自分の責任。
そうザッケローニ監督は捉えているのだ。
そして応援されることが当たり前だとも思っていない。
応援してくれるサポーターに日本代表として結果を示し、歓喜という幸せに包まれてもらうこと。
それが自分がしなくてはいけない仕事だと 思っているのだ。


●日本人を下に見ないイタリア人が生んだ信頼

サッカー先進国であるイタリアから見ると、サッカーとしてはまだまだ発展途上国である日本のことを下に見る人がほとんどだ。
日本人選手たちが結果を残してビッグクラブへと移籍をしているといってもまだまだ日本はサッカーの世界では新参者。
しかし、イタリアで結果を出し続けてきた名将ながら、日本に来てからずっとザッケローニ監督は日本サッカーに耳を傾けてきた。

人の話を聞く人。
人の考え方を聞いて取り入れる柔軟性のある人。

日本サッカー協会のスタッフがそういうように、ザッケローニ監督はとにかくさまざまな場面で日本の考え方を取り入れた。

それは選手たちにも同じ。
選手たちと監督の距離感があるときは監督と選手は口もきけない距離感になることもあるのがサッカーだが、ザッケローニ監督は選手たちの意見を積極的に聞いた。
キャプテン長谷部を筆頭に、各国でプレーする選手たちの各国での違いや日本代表をどのような方向にしたいか、戦術面や戦い方、組織…さまざまな場面で選手たちの意見を聞き、時にはそれを取り入れ自分を曲げることも。

お互いが歩み寄り聞き入れ、相手の意見を尊重する。
そういった方法で日本代表の結束が生まれ、選手と指揮官の信頼関係に繋がった。

 

ザッケローニ監督は、代表選考で選出した23名の選手たちに絶対の自信があると語った。
日本に来てからの4年間。
日本で生活をし、さまざまな人と関わり、日本人らしく過ごしてきた。
日本代表の選手たちには愛情をかけて自分を理解してもらおうと時間をかけて創りだした。
選手ひとりひとりの能力を理解し、選手たちの心情もできるだけわかるように対話してきた。

愛する「日本」を背負い、自分にまかせてくれたからこそ
結果を出したい
そう心の底から熱く思っていることだろう。

はじめての代表監督。
各国からのオファーを断り続けて、イタリアの外で生活をするなんて思ってもなかった。
それが即決してしまうぐらいの運命的ななにかが日本とはあったと信じている。


誰よりもこのチームに愛情を持ち、日本代表を勝たせたいと思っているのはザッケローニ監督だ。

彼は誰よりも蒼いサムライ魂を持ってブラジルに発ったはずなのだ。

 

ザッケローニ監督。
はじめてのW杯。

 

それはプレーヤーとしてではなく
イタリア監督としてでもなく
他のどの国でもない

 

日本代表の監督として はじめてのW杯を迎える。

 

彼が愛する23人の選手たちと共に

 

ブラジルの地でW杯を戦う。
4年前に感じた運命が今、形になる-。

 

 

 

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