【日本代表】 本当の意味での「日本のサッカー」の確立 【W杯】
2014/06/26 22:23配信
カテゴリ:コラム
日本代表がブラジルで厳しい戦いとして終わったことを受けて。
この結果を重く受け止めなくてはいけないのは日本サッカー界全体だ。
日本のサッカーという言葉が今大会はとにかく多く強調された。
しかし、その【日本のサッカー】はこれから時間をかけて創っていくべきだと唱える。
日本のサッカーとは。
●日本のサッカーを一貫して創り上げるべき
先の文章にも書いたが、各国のサッカーにはその国のサッカーの色がある。
例えばブラジルのサッカーってどんなサッカー?と聞かれると答えられるサッカーファンが多いのではないだろうか。
ブラジルのサッカーの良さが今大会でもそうだが、高い位置でボールを奪うとそこからたった1.2本でゴールまでたどり着いてるところだ。
高い位置で奪うということはゴールまでの距離が短くなる。高い位置で奪ったことで相手のディフェンスも手薄状態にあることが多い。
そこをたった一本のクロスや縦パスを通してゴールに繋げるというサッカーをしている。
簡単にいうと ブラジルのサッカーは高い位置で奪って個人技 とでも言うだろうか。
スペインのサッカーはパスサッカー
イタリアのサッカーは組織的な守備
ドイツのサッカーは高さをいかした攻撃と守備
など昔から持つ印象に沿ったサッカーを展開する。
もちろん時代の流れでプラスαはあるものの、確立された芯の部分があることで自国の良さを特徴として戦っているのだ。
日本の今のサッカーはザッケローニ監督が創りだしたサッカーであり、日本のサッカーというよりはザックのサッカーだ。
日本のサッカーはこれまで監督と共に大きく変わってきた。
それはまだサッカー発展途上国の日本にとってたくさんのサッカーを知ることが重要だったからだ。
たくさんのサッカーを表現しプレーすることで世界と戦いながら吸収していった。
しかし。
日本のサッカーというものを今確立するところに来ているのではないだろうか。
本当の意味での【日本のサッカー】を。
●育成世代からの一貫した日本のサッカーシステムを
日本のサッカーを創りあげるためにはもちろん日本代表だけが創るものではない。
そのためには五輪世代はもちろん、その下の世代別代表や小学生世代の育成から一貫した育成方法、そして日本のサッカーの植え付けが必要となるだろう。
日本の育成システムは今変化が問われる時なのかもしれない。
例えばドーハの悲劇があり、W杯にいくために世界に出るために日本は育成システムを大きく変化させ今のトレセン育成を作った。
トレセンで出てきたはじめての世代が中田英寿や松田直樹などの世代だった。
世界と戦える選手たちを作ってきているトレセン、そしてその後も早生まれ世代のことを考えたU13の新設など協会は育成の部分でさまざまなサッカー協会の例をモデルに取り組んでいるものの、トレセン育成以降目立った大きな変化はない。
サッカー協会は私たちが思っている以上に情報収集をし、世界の育成や強化を知っている機関だが、今はビジネス的部分が先行してしあい、大幅な改革を行うところにはきていない。
しかし、今こそ日本のサッカーを確立するためにA代表だけのサッカーではなく、そして4年間という周期で考えるのではなく
これからの日本のサッカーをどう確立するか、一貫して取り組むべきだと思う。
4年で監督が代わり、また1からのサッカーとするのではなく、長い期間をかけて浸透させるサッカー、世界と戦うために日本にできることはという追求をすべき時がきたのではないだろうか。
●野球から見る日本にできること
例えば。
サッカーとは世界的という意味では違いはあるものの、野球で考えてみよう。
日本の野球はアメリカなどに比べてパワーがない。
だからこそコツコツと積み重ねて塁をひとつづつ重ねるスモールベースボールを武器にコツコツと得点するのを「日本の野球」として徹底をしており、高校野球などでもそれを感じることができる。
日本の野球の戦い方というものが確立されており、その結果技術もパワーも劣ってるものの世界1という位置に上り詰めることができている。
日本のサッカーを創り上げる上で、世界にはないかを日本人だからこそできることや日本人でも世界に通用する部分を武器にすることで世界と戦えるチームになるのではないだろうか。
ザッケローニ監督は南アフリカ大会での日本の戦いをみて、
日本人はあきらめないサッカーをするところに感動し、日本代表の監督を引き受けたというが、日本のサッカーは最後まであきらめないサッカーというのを武器にしたわけではなかった。
日本人だからこそできる細かな部分や謙虚、あきらめない精神などをいかした戦術や戦い方を考えた上での確立もできるのではないだろうか。
日本のサッカーを創り上げること。
これに着手するときが来たのではないか。
●五輪とA代表の監督は兼任すべき
日本代表に五輪世代の選手が本格的に入ったのは五輪後のことだ。
それをなんども 繰り返しているものの日韓大会の時だけはトルシエ監督が一貫して指揮をとった。
その結果、五輪でうまく代表選手によるオーバーエイジが使われ、監督が同じく同じサッカーなので選手たちが変わってもやることは同じくすぐになじみ、その結果五輪で予選突破し、W杯でもベスト16という結果を残した。
五輪世代はたった2年でそれまでの五輪のサッカーと違ったサッカーをしなくてはいけない状況になり、A代表のサッカーを知らないまま五輪で世界と戦うことになる。
せっかく五輪予選を突破し、世界と戦える機会があるのならばそこでA代表のサッカーをすることで、世界との物差しを知ることができ、そしてその後のA代表で戦術的な理解に時間をかけることなく入ることができるだろう。
五輪のサッカーとA代表のサッカーが違う時点で「日本のサッカー」とは?ということになる。
日本のサッカーを一貫して確立させるべきだ。
Jリーグ全体で同じサッカーをする必要はもちろんない。
それはまた違った部分だ。
しかし、日本代表は4年周期でいつも変わっていて良いのだろうか。
もっと長く見つめていくことが「繋がる」という部分なのではないだろうか。
W杯は大会ごとに違うが、それでもW杯も歴史の1ページ。
その1ページを経て次に進むものだ。
日本にできる世界に負けないサッカーはどんなものか。
それをまずは探るところからだ。