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【鹿島アントラーズ】 池内友彦 サッカー選手引退後のセカンドキャリア 伝えるfootball 【コンサドーレ札幌】

2015/06/29 12:41配信

Tomoko Iimori

カテゴリ:コラム


毎年たくさんのサッカー選手が現役を終え、次の人生を過ごす道を選択することとなる。
名前の知られた名プレーヤーであっても、その時はいつか迎えるものであり、自分の意思やタイミングでその道を選択することができるのはほんの一握りである。
チーム事情やその先の道を切り開くタイミング等、その理由はさまざまであり、セカンドキャリアは難しいと言われている。

サッカー選手を終えて。
その先を過ごす一人の元選手にスポットを当てた。

池内友彦。

鹿島アントラーズ、コンサドーレ札幌でプレーしたDFであり、現在は指導者としてその道を歩んでいる。
引退して7年目を迎えたが、その7年間で小学生から大学生までを指導し、アマチュア選手としてもプレーした経歴は、7年間という短い時間の中では異例のことであろう。

現在は自らが開く小学校高学年対象のサッカークリニックと札幌市内にあるスポーツ校・東海大四高校サッカー部のコーチを務める、池内友彦氏にお話を聞いた。


●契約更新なしという宣告から引退、そしてセカンドキャリアへ

Jリーグが華々しく開幕してから全国でサッカーというカテゴリー全体が注目された。
当時はまだ北海道にはコンサドーレ札幌が存在していなかったこともあり、北海道サッカーの期待は高校サッカーに向けられていた。
当時、圧倒的に北海道内で強さを誇っていた高校は、高校選手権でも準優勝の経験を残したことのある、室蘭大谷高校。
全国的にも名の知れた名門校であるが、その室蘭大谷高校でプレーし世代別代表にも候補として選出されていたのが、池内友彦氏だった。

当時の世代別代表にはその先スターとなる選手が多く選出されており、大きな期待をされている世代だった。
その世代で存在感をみせていた池内氏の元には鹿島アントラーズからオファーがあり、卒業後は鹿島アントラーズへと進んだ。

同期には柳沢敦、そして平瀬智行といった高校時代から名を大きくした選手が並んだ。

鹿島アントラーズは層が厚く、なかなか出場機会を得られない状況が続き、ブラジル留学、そして岡田監督が率いていたコンサドーレ札幌へとレンタル移籍を経て、鹿島へ戻ると当時不動のセンターバックだった秋田豊氏の相方役を務めるセンターバックへとコンバートされた。
その後はしばらく試合出場が続き新たな可能性をみせたものの、その後は徐々に出場機会が減っていきコンサドーレ札幌へと完全移籍。
コンサドーレ札幌ではDFながら年間チーム最多得点を記録するなど活躍。
チームの主力として活躍が続いていたが、、チームのJ2降格によって経済的理由もあり、契約更新はないとの通告がされた。
J1からJ2に降格することで、チームの財源が一気に減ることになり、チームを立て直すための方向性とビジョンが変わることが多く、降格というタイミングは一定以上の年俸のベテラン選手たちにとって岐路に立たされることが多いのが現実だ。

最終戦でなんの因果関係からかサッカーの神様が導いたのか。
鹿島アントラーズリーグ初の三連覇達成を目の前で見ることとなった池内氏。
愛する鹿島、そして札幌。その戦いのピッチを最後にユニフォームを脱ぐこととなった。

引退後は、コンサドーレ札幌アカデミーから札幌大学へと指導者の派遣という新たな試みが用いられた年となり、その道を勧めてくれた。
チームが引退後のキャリアを用意してくれることは、ほんの一部の選手に与えられる狭き道であり、引退する選手は毎年出てもチームのポストは毎年変動するものではないため、かなり貴重な道とされている。
新たな道としてチームが用意してくれていた道を選択し、指導者として歩むことに決めた。

札幌大学は北海道の大学サッカー界の中でも歴史ある名門であり、結果が求められる場所だった。
札幌大学は新たな強化方法、そして大学としてJFLに参入したいという考えがあり、大学チームの他に札大GPというチームを地域リーグに参戦させていた。

池内氏はその札大GPにてアマチュア選手としてプレーすることになり、ピッチの内外で指導をすることとなった。

指導者になった当初は、プレーを口で伝えるということに戸惑いもあったという。
どう伝えるとそれが選手たちに伝わり理解してくれるのか。
その方法を探り考えながら、自らプレーしその姿をみせることで両面から伝える指導を取り入れた。

札大GPでは当然Jリーグよりも質は何段階も落ちる。
しかし、その中で地域リーグから地域決勝という段階を踏みながら、1から創り上げ勝ち上がっていく形が刺激になったという。
Jリーグでプレーしていることでそのクラブがどんな段階を踏んで、その地位にいるのか、プロクラブになるためにはどうしたら良いのかということを現役時代に知ることもなかった。
引退後、そういった場所でその仕組みを知り、上を目指して選手を指導しながら自らも戦力として戦うことにやりがいを感じ、サッカーの原点を見つめることができたと話す。

札幌大学指導時、はじめて指導者として歩み出したその時間を共に過ごしたのは、当時同じくコンサドーレ札幌から派遣という形で札幌大学の監督に就いた古川毅氏(現東洋大監督)だった。
最初が毅さんで良かった。
そう池内氏は話す。

古川氏も元選手だが、選手の指導という点では京都サンガU15、U18で経験があり、独自の指導方針を芯を持って伝える監督だ。
口で伝えること、そして選手に考えさせること。そのバランスを考え、選手たちの将来も真剣に考える指導者だった。

古川氏と共に過ごした3年間の札幌大学での指導経験を持って、コンサドーレ札幌のアカデミーで指導をはじめる。
担当したのはU13。U15の中でも一年生のクラスだった。
大学を指導した中で感じた、テクニックの足りなさやもっと下の世代で積み重ねたものがあると違ったかもしれないと感じたことを生かして指導に向き合った。
中学年代が身に付けておいた方が良いこと、経験した方が良いことを大学生指導から逆算して考えた指導にあたった。

●クラブから離れ新たな挑戦へ

そして今年。
コンサドーレ札幌を離れ、自ら開講した小学生高学年対象のサッカークリニックで小学生年代を指導しながら、
スポーツ校でありながらサッカーに今強化の力を入れている東海大四高校に指導者としてどうかと声がかかった。

札大時代に、練習試合などで対戦経験がありその頃は部員数も50名に届くかという規模だった発展途上のサッカー部だったが、それから徐々に力を付けつつ選手も増え、現在では100名弱の部員を抱える。
北海道の強豪と言われる高校にまだ一歩及ばない位置にいるが、これから全国をめざしチームを作っていくための一人になれたら、と話す。

クリニックでは週に1.2度週末だけのクリニックでチームに所属している小学生が、チームで学べない部分を自主トレ感覚で学ぶ場所となっている。
2時間から3時間にも及ぶ時間を個人テクニックを中心に指導し、テーマを決めて取り組む。
この年代からしておきたいことのひとつにサッカーノートをつける習慣がある。
サッカーノートを導入しているチームが増えているが、池内氏のクリニックでは強制ではないもののサッカーノートを付けることで自分のプレーを頭を使って見つめることができたり、トレーニングに対して振り返ることになることで、クリニックでやったことを記憶させ
自分のものにすることに役立ち、サッカーノートを付ける習慣を付けることで今後に繋げていきたい考えだ。

どのカテゴリーをとってもぶつかる 北海道サッカーの壁。
北海道は冬にグラウンドでトレーニングができないことは昔から当たり前のことだが、それ以上にサッカーにおける環境が整っていない。
芝や人工芝グラウンドが少なくサッカーができる場所が少ない。
環境面含め、全国からは技術面においても、そしてメンタル面に関しても足りていないと感じる。
それは自身が高校生時から感じていたことだった。
北海道№1だった室蘭大谷から世代別代表に選出されている選手であっても、そう感じていた。

昔は、全国に行きたい人間、サッカーを本気でやりたい人間は室蘭大谷へ進んだことで自然に質が高くて意識も高い選手たちが集まっていた。
でも今は違う。今はコンサドーレがあってそしてそこに入れなかった選手たちが分散化する。
文化の発展もあり、誘惑も多くなった今、サッカーだけに集中し上を目指している選手たちの意識は低くなっていると感じている。
もっとやれるはず。

と話す。

自身が高校時から全国で名を馳せる選手となり、Jリーグの中でも一番タイトルを獲っている鹿島アントラーズへと進み、地元コンサドーレ札幌でもプレー
その後はアマチュア選手としても戦い、大学、中学年代、そして今は小学生、高校生年代を指導している。

北海道サッカーで育った選手が、これからの北海道サッカーを創り出す一人となった。


引退して7年。
たくさんの選手たちに出会い、指導する中で、友達のような位置で接してきた。
友達じゃないよ、と伝えながらもその距離感は近い。
池内氏を囲む選手たちからは、笑顔で元気な声が響く。


プロサッカー選手のセカンドキャリア。
サッカーをやってきたからサッカーで生きるという道を当たり前に考えている選手も多いが
それでもその生きる道は険しく難しい。

サッカーに携われる今、楽しいよ。

そう口にした池内氏。

プロサッカー選手を経て、今そして次世代にその経験を伝え
創り出す一人となる―。

世代に関係なく、伝えていくことはひとつ。

「サッカーとは。」

自らが経験し重ねた時間を、伝えていく―。

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