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【FC東京】 武藤嘉紀 「さようなら」ではなく、「いってきます」と旅立つ日。【J1 1st最終節】

2015/06/26 12:21配信

Tomoko Iimori

カテゴリ:コラム


日本からまた一人のスター候補が海外へと成長を求め、旅立つ―。

今Jリーグで一番注目高き選手 武藤嘉紀。
次なる挑戦の地はドイツへと決まった。

武藤が渡独する前、Jリーグでプレーする最後の試合。
1stステージ最終戦となるホーム味スタで武藤はFC東京から旅立つこととなる。
チケットの販売状況はFC東京史上最高の売れ行きとも言われているほどであり、サポーターたちも武藤を送り出す準備を心の準備と共に整えていることであろう。

報道陣を前にしての発表ではなく、サポーターの前で自らの言葉でチャレンジする気持ちを伝えた武藤。
その姿勢がなんとも武藤らしいと感じた。
その距離感が武藤とサポーターとの距離。なんとも近く、お互いの気持ちを伝えあえる距離だ。

FC東京ホームゲーム1stステージ最終戦。
その時間をなにより大切にしたいのは武藤嘉紀、本人であろう。


●FC東京という目標の場所

武藤は小さな頃から積極的にスポーツに取り組んだ。
幼少期はバディ幼稚園というスポーツを中心とした教育を取り入れた幼稚園で過ごした。
海上保安庁の潜水士などが二人一組になり必ず活動することはよく知られた話だが、そのパートナーのことを「バディ」と呼ぶ。
バディという言葉から自分は一人ではなく人に支えられていくこと、そして一人ではなく相手のことも考えてあげられる、力を合わせられる人へという想いが込められ教育される幼稚園であることがわかる。
バディ幼稚園は、バディスポーツというスポーツ事業を展開する法人が運営しているため、積極的にスポーツ活動を取り入れている場所だ。
そこで、武藤はサッカーをはじめた。

幼少期からサッカーをはじめると、FC東京スクールにも入団。
FC東京のスクール生としてボールを蹴った。
トップの選手を夢見て、そして一番身近であるFC東京U-15という目標目指してボールを蹴っていたであろう。
当時でも数千人のスクール生が存在したFC東京スクールから、U-15に入るのは狭き門だ。
スクール生とは違う特別なあのユニフォームが着たいと努力を重ねたであろう。

武藤はその狭き門を突破し、外部の選手も含めて1000人以上といわれる中から、たった10数名の選手の中に名を連ねた。
U-15そしてU-18とFC東京で成長を続けた武藤にトップ入りの話もあった。
しかし、自らの判断で今のままではプロではやっていけないと判断し、大学へ行きしっかりと身体づくりをしてプロに行ける自分を造り上げることを誓った。
プロになれる道は誰にでもあるわけではない。
数千人の中での競争を数回に渡り経験してきた武藤にとって、プロ入りというさらに狭き門へのチャンスが何度も開かれるわけではないことを痛いほどに知ってたであろう。
自分が今足りていないと思っても、高校卒業時に声がかかれば長く夢見てきた現実を前にどんな状況でも進みたいという選手が多い中で
武藤は浮かれることなく、自己分析し自分を信じ、そしてFC東京を信じて、大学へと進学した。

関東の大学サッカーのレベルは非常に高く、Jクラブでもチームによっては大学チームに勝てないこともあるほどの力を持っている。
高校世代とは身体の大きさも違い、スピードから判断、当たりの強さなど高校世代からは大きく状況が一変しレベルアップする場所だ。
高校時代にタイトルを獲ったからといって、それを過信に変え全国を獲ったから大丈夫なんて心構えで行くと、まったく通用しない現実にぶち当たることとなり消えていく選手も多くいるほどに厳しい場所だ。

プロではなく大学
という道が決して緩いわけではない。
大学も厳しく険しい道のりであり、全国の巧な選手が揃う関東大学リーグで中心選手になれないことには、プロの道もないことを武藤はおそらく知っていた。
そこまで自己分析ができている高校生だったのだから、おそらく慶応大学に進む前に大学サッカーに関してもしっかりと調べつくし、情報を入れどんな場所かを理解していたであろう。

その場所で、自分はやれると信じ、そしてそんな自分をFC東京が見てくれるようにと願い
日々の向上と質の向上に努めた結果、FC東京から練習生という形で呼ばれること数回を経て、2年前に呼んだのがランコ・ポポヴィッチ監督時のことだった。


●限界知らずの成長 世界への挑戦

夏の中断期。
各クラブ、キャンプを組むところが多いが、FC東京が向かった先は新潟県。
夏の暑い新潟でFC東京のひとつの力になるかどうかと試されていたのが、武藤嘉紀だった。

結果、そのキャンプをきっかけに武藤は評価され特別強化指定選手として登録され、その後Jデビューを果たすと現役大学生Jリーガーという肩書が付く形でプロ入りを果たした。
強化指定という形ではなく、改めて大学在籍中ながらプロ契約し、念願のFC東京の選手になったのだ。

スクール生の頃。
武藤もトップの選手を目指していたであろう一人の選手だった。

今のスクール生たちにとって、スクールからひとつひとつ上がっていき今となってはトップで活躍する選手となりさらには日本代表入りを果たした武藤は身近な憧れの存在だ。

武藤選手みたいになりたい
子供たちの口からは自然と武藤、武藤、と名前が出ていた。
武藤も過ごしたFC東京の事務所がありもともとの本拠地でもあるFC東京発信の地 深川グラウンド。

プロ選手となってから彗星のような速さでの大活躍は、サッカーファンなら誰もが知っている通りだ。
はじめて選出された日本代表は昨年9月。
日本代表という場所でなにかを吸収しなくてはと必死に練習に取り組み、そして楽しそうにボールを蹴る姿は今も鮮明に記憶している。
ひとつうまくなるごとに、武藤はサッカーが楽しくて仕方ないという姿を見せる選手だ。

試合を重ねるごとにそののびしろは無限なのではないかと感じるほどに、階段を駆け上っていく。
ひとつの疑問を見つけると、その試合中に答えを探し、その答えを持って成長を魅せる。
日本代表で海外組と呼ばれる選手たちにはじめて出会い、共にプレーした時、武藤の受けた刺激はとても大きなものであったであろう。
視野や速さだけではなう、身体の使い方や造り方ひとつをとっても違いがあると感じたのではないだろうか。
武藤は自分自身を分析できる選手だ。だからこそ、足りないものが明確に見え、そのためにはなにが必要かを計画して渡独を選択したはずだ。

海外への挑戦。

FWの日本人選手で海外で今成功していると言えるのは岡崎慎司、一人であろう。
ただし、岡崎の場合であっても世界のFWになれたかと言うとそれはNOだ。

世界のFWとして名を挙げるとすると
メッシ、ネイマールにクリスティアーノ・ロナウド。
イブラヒモヴィッチ、マリオ・ゴメスベンゼマにスタレス、ファルカオ、ドログバ…

名を挙げるとまだまだ世界有数のFWが存在するが、その選手たちと横並びで日本人選手が挙げられるかというとそれは否だ。
FWというポジションは得点を取るポジションである以上、一番名前を覚えてもらいやすく活躍が目立つポジションだ。

しかし、日本人選手はまだこのポジションで世界に必要とされているとは言い難い。
それでも、武藤には世界の期待が集まった。これは今までになかったことだ。
と、いうのも多くの日本人選手が契約のタイミングで格安またはタダ同然で海外クラブが手を出すパターンが多い中
武藤嘉紀には4億円といわれる金額を出すと手をあげたクラブが複数あったことは評価が高いということに値する。

日本人選手を獲得するだけの金額として4億円という価値を払うこと。
マインツクラブ史上として選手獲得のために出す金額の中で、2番目に大きな数字ということは、それだけ期待がもたれているということだ。
マインツでは岡崎がプレーしていることもあり、日本人選手の活躍に信用を置いていることもあるであろう。


そしてあのビッグクラブ、チェルシーが動いたことも大きかった。
チェルシーにいってもどうせレンタルで出されるからという見方をするのが大筋であるが、レンタルで出される可能性は確かに大きいものの
チェルシーに可能性があると見込まれた選手というのは日本人として初だ。
今現在のチェルシー在籍のFWを見ても、こんな中で日本人選手が対等に横並びになるはずがないと思ってしまうが、それでもそこへの挑戦の可能性を秘めていると見込まれたということだ。
多くの選手をレンタルで出し、成長したところで売却するという手法もチェルシーのやり方の一つであり先物取引のような形にしようと考えてのことかもしれないが、モウリーニョの指導を受ける可能性がある日本人選手かもしれない、と思うだけでワクワクしたものだ。
世界一の指揮官であるモウリーニョ。
17億円という年俸の監督の指揮を受ける機会は当然誰にでもあるわけではなく、チェルシーに在籍している選手だけにある特権だ。
そこにチャレンジできるかもしれないという可能性があったのは、日本サッカーにとって大きな可能性を秘めていた。

武藤の選んだ道マインツも、もちろん期待でいっぱいだ。
ドイツでは日本人が活躍しやすい環境があり、外国人枠も実質存在しないドイツだからこそ日本人選手が出場できる可能性は増える。
多くの日本人が活躍してるだけに、ドイツでの日本人評価は高く、リーグレベルも当然高い。
そこから香川がマンチェスターUに進んだように、武藤もその後ビッグクラブに、ということも充分に考えられる。

ひとつひとつ成長を続けた武藤は、海外で過ごし日々そして試合でなにを学ぶのか。
それをまたものすごい速さで習得していく姿が楽しみだ。

日本人FWとしてまだ見ぬ世界を切り開いてほしいと願う。

武藤の身体は昨年に比べて大きくなった。
上半身の厚さが変わったのは、日本代表として世界と戦って当たり負けのしない身体を意識したからであろうか。
身体の軸も簡単にブレることなく、倒れない。
身体が倒れた状態でキックをしても、瞬時に体勢を立て走ることができる。

日本中が武藤武藤と騒いでいても、Jリーグでなかなか武藤を止めることのできる選手が出てこなくても
武藤は慢心になることなく、努力に努力を重ね続けていた。
それが身体に、そしてプレーに反映されている。


武藤が大切にしてきたもの。
それはFC東京というチーム、チームメイト、そしてサポーター。
自分が育ってきた場所。
自分が目指してきた場所。
自分を愛してくれた場所。
なにより、自分が愛してやまない場所。

大切だからこそ、その大切なファミリーに別れを告げることは簡単ではない。
出るという決心も簡単なことではなかったはずだ。
小さな頃から目指してきた場所に、長き時間をかけて現実として立てるようになってから、まだそんなに時間は経っていない。
それでもそれを手放し、今進もうとしている。

世界に飛び立ち、それでも武藤は目指し続けるであろう。
いつかまたFC東京でプレーすることを。


武藤が世界にチャレンジするまであと少し。
武藤が東京に、そしてJに残すメッセージ。
それをしっかりと受け止めたいと思う。


きっと明日の試合に向かうその一歩一歩の足取り含めて、すべての時間が
たくさんの人の「特別な時間」となる。

その一瞬は二度とやってこない。プライスレスの一瞬だ。


人々の心に、そして武藤嘉紀の心に
一生忘れられない時が 刻まれることであろう―。


6月27日。
FC東京vs清水エスパルス
味の素スタジアムにて

19:00 キックオフ。

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