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【鹿島アントラーズ】 池内友彦というスターの存在 あの日あの時。取材後記

2015/07/05 21:19配信

Tomoko Iimori

カテゴリ:日記


久しぶりに札幌の気温が上昇し、YOSAKOIソーラン祭りという大規模なお祭りが開催されている札幌で少しジメジメしながらもお祭り日和となった6月14日。
向かった先は北海道札幌市内にある東海大四高等学校。

サッカー好きにはあまりまだピンと来ない名前かもしれないが、高校野球春の選抜にて決勝まで勝ち上がった高校として記憶に新しい人も多いかもしれない。
バレーボールやバスケットボールなどスポーツ校として知られる東海大系列の高校だ。

この一か月ほど前にも一度訪れ、その時にはサッカー部の公式戦を観させていただいた。
土のグラウンドの中で、たくさんの高校生たちがボールを蹴る。

まだまだ発展途上のチームながら、今現在新たな強化に取り組み、期待を抱くことのできるチーム。
そんな風に映った。

鹿島アントラーズ、そしてコンサドーレ札幌でプレーした元選手でもある、池内友彦氏を訪ね、この取材を企画してから一か月。
数回に渡り見学させていただき、お話をさせてもらった上でようやく文章化することができた。

その取材後記。時間を少し戻してお届けしたいと思う。

【鹿島アントラーズ】 池内友彦 サッカー選手引退後のセカンドキャリア 伝えるfootball 【コンサドーレ札幌】

http://chantsoccer.com/posts/769

●北海道サッカーを象徴する「スター」池内友彦

池内友彦。
その選手の姿をはじめて見たのは、まだ私が中学生だった頃だった。
世の中がJリーグブームで湧く中で、当時北海道のサッカーといえばというほぼに強かった強豪・室蘭大谷高校から世代別代表候補にも選出されていた選手であった池内くんは
身近なスターだった。

当時はインターネットもなければ、雑誌も今のように多くはない。
それでも札幌から100キロ以上離れた高校の選手について知ることができたのだから、当時の室蘭大谷、そして池内友彦という選手の存在感は大きかったのだろう。
高校選手権北海道予選決勝の舞台となった厚別競技場には、たくさんの人が観戦に訪れ、試合後には室蘭大谷のバスに乗り込む池内友彦を中高生を含む若い女性が取り囲み、黄色い声であたりが騒然となったことを
昨日のことのように思い出すことができる。

高校の選手にあれだけの人気があったということを今振り返ると、当時のサッカーブームが巻き起こした連鎖という現象はとんでもないものだったなと感じる。
中学生ながらお小遣いを握りしめ、室蘭までの高速バスに乗り、練習試合や小さな大会の地区予選などを見学しにいったものだ。
まだサッカーがどんなものかもわからない、雰囲気だけでサッカーを追っていた私が札幌から100㎞以上離れた土地に足を運びサッカーを観ていた。
今でも室蘭入江競技場のサブグラウンドを訪れると、当時のことを思い出す。

池内友彦は私の中でははじめての 北海道サッカー選手としての「スター」だったのだ。

卒業後、鹿島に進み、遠くなったことで名前を聞く機会も姿を見る機会も激減した。
現代のようにインターネットで気軽に情報を模索できない時代だった当時、試合に出場していない選手の情報を入れることは難しかった。
届かぬ便りが元気の印というように、当時はただ、自身の青春期にサッカーの深さに一歩踏み込ませてくれた存在に、北海道出身選手として大きくなってほしいと願った。

コンサドーレ札幌にレンタル移籍という形で加入した時は、サッカーで全国を飛び回りすれ違いのように札幌で観ることができなかったが、それでも池内友彦の北海道凱旋は嬉しいニュースとして受け止めた。
その後、鹿島に戻ると試合でその姿を見ることが増えた。
2002年のコンサドーレ札幌がJ1降格が決まった試合。カシマスタジアムでの鹿島戦だったが、そのピッチに鹿島の選手として立っていたことを覚えている。
現地で観ていたわけではないが、その試合のことはよく覚えている。

2005年。コンサドーレ札幌に完全移籍という形で改めて加入。
高校生時のイメージが強い池内友彦は、気づけば28歳の中堅選手になっていた。
あっという間に北海道のスターに夢中になった時から、10年の歳月が経過していた。
北海道でアイドル選手のように大人気だった高校選手が、28歳になってコンサドーレ札幌の選手となり北海道へ帰ってきたというのはなんだか感慨深く感じたものだ。
その時間を必死に応援し追っていたということではなかったものの、やはり池内友彦という名前を聞くと私の中ではテンションが上がるというか、心躍るスターだったのだ。

その後、重点を置いて観るようになり、その姿は変わってはいたが、やはりスターだった。
あどけない優しい雰囲気のお兄ちゃん的な空気だった高校時代とは違い
常勝軍団、そして日本サッカー界を動かすTHE Jリーグな選手が多数在籍する鹿島アントラーズで過ごした日々で、当時の印象からはかけ離れた
クールな近寄りがたいオーラを持った選手へと変化していたものの、身体も大きくなりとても威圧感を感じる
プロだなぁ…と感じる雰囲気を持っていた。

2008年。
引退の舞台となったのは、札幌ドームでの最終戦。
相手は鹿島アントラーズ。
鹿島はその試合に勝利することで、三連覇が決まる試合となっており、札幌は降格が決まっていたものの最後に王者に勝ちたいと気持ちがこもったゲームを展開した。
降格が決まったことで、チームを去る選手たちが発表され戦力外という宣告となった選手も多くいた。
その中には主力として戦っていた池内友彦という名前も―。


その後のことはその時には決まっていなかったものの、これが引退試合になってしまったら…と考え試合中に花屋さんに電話でお願いし、札幌ドームに花を持ってきてもらった。
まだまだできる選手であり、年齢的にも引退するような年ではなかったが、それでもサッカー界の状況は厳しく今後はどうなるかわからない。
万が一、これが最後になってしまったら…?
そう考え、高校時代からのスターに「ありがとう」の花を用意したことを覚えている。

結果的に、その試合が最後という形になり、引退―。
サッカー選手の引退はさまざまなタイミングが重なって決断されるものだ。
北海道のスターが、ピッチを去ることが決まった時はなんとも言えない寂しさが込み上げたものだ。

●愛する鹿島での久々のプレー。一生の地での今日の姿。

その後、指導者の道を歩むこととなったわけだが
札大時代、アマチュア選手として地域リーグに出場することになり、その姿を観に試合にも多く足を運んだ。
プロとは違う環境。
観客もほとんどいない、草が生えている程度のサッカー場でサッカーをやるなんて考えもしてなかったことかもしれない。
それでも、ピッチに堂々と立ち、勝つためというよりは選手たちにどうにかサッカーを伝えようと、自分の姿からなにかを盗んでほしいと
その姿からは発されていた。

プロサッカー選手の時の姿とも、高校時代結果を求めて走り続けていたあの頃とも違う姿がそこにはあった。


指導と選手の兼任、そしてプロ選手から指導者への切り替え。
プレーはしているけれど、プロ選手ではなく、指導者として言葉で伝えなくてはいけない。
選手たちとチームメイトでありながら指導者として向き合わなくてはならないということで、むずかしさを感じているような局面もあった。

指導者としてキャリアを重ねていた同じく元選手の古川毅氏と共に過ごしながら、少しずつ指導者としての自分に向き合っているようだった。

「はじめてが毅さんで良かったと思うよ」
今回の取材でそう笑顔で語ったように、当時は古川氏からさまざまなことを吸収している姿が見られた。

「プロとはまた違うし、質も何段階も下ではあるけど、、ひとつひとつを戦って階段を上っていく感じが、楽しかった」
プロ引退後にアマチュア選手として戦う選手はいるが、指導者としてピッチに立ち選手を選手という立場で指導した元選手は少ないであろう。
それが求められたもの、池内友彦から得られる可能性として指導と選手としての両面での期待を見込まれたからであろう。


その後、コンサドーレ札幌でジュニアユース世代の選手たちを指導し
今年、小学生高学年対象のクリニック、そして東海大四高校のコーチとして新たにスタートを切った池内友彦という存在は

いまだに私の中では スターだ。

時間を重ね、年齢を重ね、指導者としてのキャリアを重ねてきた中で
少しだけその時間をみせてもらいながら、話を重ね、時間の流れを感じながら、中学生の頃スターに憧れた私も年を重ね、取材をさせてもらう立場となった。

中学時代の自分に教えてあげたい。
あの時のキラキラしたものとは少し違うものの、スターは変わらずスターであると。
北海道サッカーに、年を重ねた池内友彦が送り出す選手たちが今いることを。

引退してから7年も経つと、選手時代を知らない人たちも増えていることだろう。
これからは指導者として多くの人たちの記憶に残るような存在になってほしいと、応援してきた一人として、願っている。

鹿島アントラーズで今日。
大規模な引退試合が開催された。
中田浩二、柳沢敦、新井場徹 鹿島アントラーズに偉大な功績の残した3選手の引退試合だ。

その3選手すべてと共にプレーし、柳沢敦氏は親友として池内友彦の存在を挙げるほど、二人の仲は深い。
当時の鹿島の選手たちとの交流はいまだ深く、一生の仲間である特別な存在であることが、鹿島について話すその姿から伝わってくる。

池内友彦のプレーをピッチ上で見ることは今となっては貴重な時間となった。今日は同じポジションの出場選手にアクシデントもあり長い時間でのプレーとなった。
鹿島の一員としてプレーできることは、きっと多くの時間を過ごし愛のあるチームである故に
とても幸せな時間として過ごしたであろうと、その姿をみて感じた。
改めて、その話を聞きに東海大四へと足を運びたいと思う。

まだまだ大人になっていない頃に、見たはじめての身近なスターは
今でも変わらず、スターである。

それが私にとっては嬉しい限りなのだ。

東海大四サッカー部のみなさん。
今日は暑いのでと飲み物を持ってきてくれたかわいいマネージャーさん。
お声をかけていただいたスタッフのみなさん。

クリニックでお話を聞かせていただいた親御さんと、
うちの娘とも遊んでくれた女子サッカーをしている女の子。

お世話になったすべての方々へ。

ありがとうございました!

そのひとつひとつの小さな出会いも「スター」あってのこと。
footballな時間を今過ごせるのも、足を運んで試合が観たい!と思ったあの時の瑞々しい感覚があったからこそだと今改めて、噛みしめている。

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