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【5.15】 Jリーグが生まれた日。23年が経った今、Jリーグを観ている。 【1993年】

2016/05/15 23:12配信

飯守 友子 (CHANT編集部)

カテゴリ:日記


1993年5月15日―。

23年前のこの日。
Jリーグは華々しく、誕生日した。

他のスポーツと比較しても、サッカーという競技がまだまだ根付いていなかった日本において、プロリーグができることなど、今振り返ると本当に大変なことだったのであろうと感じる。

聖地・国立競技場に初めて行ったあの日。
生まれて初めてサッカーを観に行った日。

一生忘れることがないであろう、Jリーグ開幕の日。

それから23年が経った今日。
私は変わらず、Jリーグを観ていた―。

生まれた時期が良かったのか、はたまたサッカーを知るタイミングが良かったのであろうか―。
Jリーグが開幕する数年前。
私はある小学生向けの雑誌の中で、三浦知良を知った。

日本にプロサッカーリーグ「Jリーグ」が誕生する。
そのために中学生の頃から単身ブラジルに渡りサッカー選手となった日本人・三浦知良こと「カズ」が帰ってくる!
という内容の特集だったように記憶している。

当時、小学生だった私の中にあるスポーツ選手のイメージというのは、スポーツ選手だけにジャージやスウェットを着ているイメージだった。
スポーツ選手!とわかるような姿のスポーツ選手しか見たことがなかったのだ。

しかし、そこに写っていたのはおしゃれなスーツを着ているスタイリッシュな姿。
三浦知良という人は、サッカー選手だった。

サッカーに選手がいることすら知らなかった。
そのくらい、日本にサッカーのチームがあることが知られていなかったと思う。

プロスポーツはプロ野球しか知らない。
バレーボールに実業団チームがあるのは知っていた。
バスケットボールにも実業団チームがあることも知っていた。
北海道という地であるからかアイスホッケーのチームがあることも知っていた。

でもサッカーにチームがあることは知らなかった。
サッカーにも選手が存在するのだとその時はじめて知った。

ブラジルへサッカー選手になるために行く。
それはキャプテン翼の世界観だった。
私の中でのサッカーの最高峰は、現実ではなく漫画「キャプテン翼」が最高峰だったのだ。
サッカーではブラジルが強いということをなんとなく自然に知っていたのも、キャプテン翼があったからだ。

漫画の世界ではなく本当に日本からブラジルに渡ってプロサッカー選手になった人がいた。
リアルなキャプテン翼だと感じた選手、それが三浦知良だったのだ。

帰国したカズこと三浦知良が所属しているチームを知る。
読売クラブ。
私は必死に次の日から新聞のスポーツ面をチェックした。
サッカーの話題はまだまだ少なかったが、小さく日本リーグと書かれたサッカーの結果を見つけることができた。

日本サッカーリーグ。
たまにNHKで放送していることを知った私は、知らぬうちに毎週末NHKの放送予定をチェックし、サッカーの試合を観ることが恒例となっていた。
「サッカーのある週末」のはじまりだった。

サッカーの事が知りたくなった。
当時はインターネットもなく、情報を集めることは簡単ではなかった。
サッカーを知るためにはサッカーをすることが一番だと思った単純な小学生だった私は、男の子ばかりのサッカー少年団の中でサッカーがしたいと頼み込んだ。
最初は反対していた親も一緒に、少年団の監督に頭を下げてくれた。
女の子がサッカーをするなんて。周囲は驚いたが、それがサッカーを知ることができる最短の道だと思ったのだ。

授業でしかサッカーをしたことがなかった私は昔から球技が得意だったこともあり、ある程度まではプレーすることにむずかしさを感じなかった。
それでもボールが当たるととても痛くて、蹴られるボールのスピードがこわい。
こんなに痛いことをなぜやっているんだろう、そう思ったこともあった。
それでも、サッカーがうまくなりたいと思うと同時に、サッカーに関われる毎日に幸せを感じていた。

その後、高校サッカー選手権をはじめて観ることとなり小倉隆史(現・名古屋グランパス)に魅了されることになるのだが、
小倉の進んだ名古屋グランパスエイトではなく、そしてカズの所属する東京読売ヴェルディでもなく
プロサッカーリーグ「Jリーグ」が生まれるときには、日産横浜マリノスを応援するようになっていた。

タレント多き強き読売が16試合も連続で負けている相手。
当時は引き分けというものが存在しなく、勝敗を必ず決めていた時代。
日本サッカーの2大看板であった読売と日産のカードで大興奮できるほど、たった2年半ほどでサッカーが大好きになっていた。

世間がJリーグ開幕を前に湧いていた。
日本で人気があったスポーツが人気だから、プロ化したわけではない。
まったく日本のスポーツ文化の中にサッカーという土台がない状態の中、サッカーがプロ化されるという話だけが進んでいたような感覚だった。
バレーボールやバスケットボール、ラグビーの方がサッカーよりももっと認知されていた時代だった。

サッカーチームなんてひとつも知らない、選手も知らない。みたこともない。
そういった人がほとんどだったと思う。
その時代にプロ化が決まったサッカーだったが、Jリーグ開幕を前に行われたはじめてのナビスコカップで、徐々に認知する人たちが増え、急激に人気もUPした。
その中心にいたのは、「カズ」だった。

読売の選手たちがタレントのように扱われ、スポーツ選手にはなかったおしゃれさを持ってメディアに登場することが多くなった。
そのはじめての感覚に多くの人々が魅了され、サッカーという新しいスポーツ文化の登場が「流行」し、瞬く間に日本中に拡がった。

当時のチームは10チーム。

鹿島アントラーズ
浦和レッドダイアモンズ
ジェフユナイテッド市原
ヴェルディ川崎
横浜マリノス
横浜フリューゲルス
清水エスパルス
名古屋グランパスエイト
ガンバ大阪
サンフレッチェ広島

中でも人気が高かったのはやはり、ヴェルディ川崎だった。
横浜マリノスもライバルチームとして人気が高かった。

若干小学生だった私ながら、人生ではじめてハマった世界。
自らサッカーをするという行動に出たり、ボールを蹴る日々を送ったり、図書館にわざわざ出向いて本を読みあさった。
スポーツ雑誌のコーナーに行って、サッカー雑誌を買ってほしいと親に頼み込んだ。
巻頭特集から白黒のページまで、一語一句何度も読んだ。

サッカーを知りたかった―。

毎月サッカー雑誌についてくるポスターを部屋に貼っていった。
気づいた時には部屋中がサッカー選手のポスターで溢れていた。
部屋の一番中央のどんな角度でも目につく位置には、胸の日の丸に手を当てるカズのポスターを貼っていた。
日産を応援しながらも、カズだけは特別だった。
サッカーを知るきっかけをくれた「スター」だったからだ。

Jリーグ開幕試合。
場所は遠く離れた東京 国立競技場。
それがどれだけプラチナチケットになることかも、どのくらいの距離が離れているかも理解はしていたつもりだった。
それでもとうしても行きたかった。Jリーグ誕生のその瞬間に立ち合いたかった。
その瞬間は二度とないと、子供ながらにわかっていたのだ。

これからの誕生日プレゼントもお年玉もクリスマスも全部いらない。
だからお願いだから東京へ、Jリーグの開幕戦を観に行きたい。

言い出すまでも時間がかかった。言いづらかった。ダメだとわかっていたからだ。
一生のお願い!なんて言葉は子供の頃に使ったことのある言葉の代名詞ともいえるが、本気で一生のお願いをしたのはあの時のお願いだったと思う。
もちろん簡単にあしらわれた。
なにを言ってるの。母の言葉だった。

―。
5月15日。
私は東京・国立競技場にいた。
東京に家族で行ったことはあったが、それとは全然違う感覚だった。
サッカー観戦自体が、はじめてのことだった。
空港への行き方はもちろん、飛行機の乗り方も航空券の取り方も、国立競技場の場所もわからなかったが、子供ながらな私の想いを汲んでくれた父と母が準備してくれたものだった。

母はその前の秋にガンとの闘病の末、亡くなった。
家族を失った悲しみを前に、私はサッカーに行きたいという言葉を吞み込むようになった。
家族で前を向くことが、最優先だった。

その姿をみて父が叶えてくれたのか、母が生前父に頼んでくれたのかは今になってもわからない。
ただ、そこにはきっと母のアシストがあったことを感じる愛情が成せる実現だと子供ながらに察していた。

横浜マリノスのフラッグを持って、国立競技場へと向かった。
当時サッカーの応援には欠かせなかったチアホーンも買ってもらった。
今となってはチアホーンといってもなにそれ?という時代だが、当時はチアホーンという三連の小さなラッパのような道具を鳴らし、応援していたのだ。

腕にはトリコロールカラーのミサンガを付けた。
サッカーブームと同時にサッカー選手たちが腕に付けていたお守り「ミサンガ」が大流行した。
学校には授業中にこっそりと隠れてミサンガを編んでいる女子がたくさんいたものだ。


浮足立っているのが自分でもわかる。今日はJリーグが開幕する日だ。
その喜びに満ち溢れていた―。

あの日を思い出すと、眩しい―。
あれから23年もの歳月が経ち、子供だった私は結婚をして子供もいて家庭で母という立場にいる。
23年という月日が立った今でも、私の生活の中にJリーグが存在している。

さまざまなことが起き過ごしてきた人生の中で、いつでも最優先という位置でサッカーを見てきたわけではない。
一時期は少し距離があった時期や、もうサッカーはいいかなと思った時期もあった。
楽しいこともあれば、目をそむけたくなるほどの出来事もあった。他のことが楽しくなる時期もあり、少し離れたところからサッカーを見つめたこともあった。
それでもJリーグが生活の中から失くなってしまうことは、考えられなかった。

何度も原点に戻った。
その時、決まって思い出す光景や想いがある。。

あの日、眩しい想いを持ってはじめてサッカーを観に行った国立競技場。
その時に抱き、目の前に拡がったはじめて観たJリーグの感動が蘇る。

23年。24シーズン目の今年。
私は変わらず、サッカーな生活を送っている。

Jリーグがある週末を送っている。

私はサッカーを伝えるために、文章を書く仕事に就いた。
当時からサッカーを知るために必至に調べサッカーのある場所に足を運んだ私と変わらない日々だ。

まだまだ私は、サッカーを知りたい―。

23th Happy Birthday
Jリーグのある生活は、まだまだ続きそうだ。

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