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【セレッソ大阪】 ありがとう ディエゴ・フォルラン。また逢う日まで―。

2015/06/24 00:32配信

Tomoko Iimori

カテゴリ:コラム


Jリーグにフォルランが来る―。

Jリーグ初期にはたくさんのスター選手が在籍したが、その時期をとってもトップクラスのビッグネームが挙がった。
W杯で得点王を獲ったことはまだ記憶に新しく、近年のJリーグでは間違いなく一番のビッグネームなのは間違いない。
フォルランがJリーグでプレーするというニュースは日本だけでなく、世界中に衝撃を届けた。


あれから一年半。

ディエゴ・フォルランはJリーグのピッチでプレーする時間を終え、日本を後にした。

●Jリーグ全体に与えた大きな期待と夢

セレッソ大阪、ディエゴ・フォルラン加入。

このニュースは多くのJリーグ関係者、そして選手たち、もちろんサポーターにも大きな衝撃を与えた。
噂の段階で名前が挙がった時は、何度か挙がったことがありながら立ち消えとなったビッグネームたちの移籍話のひとつだと思っていた人が大半だったであろう。

フォルランは本当に日本にやってきた。
そしてセレッソ大阪の10を背負った。

フォルラン加入。
その大きな出来事は、人々が大きな夢を抱いた瞬間でもあった。
どんなプレーを魅せてくれるのであろうか。
どんな力をもたらせてくれるのであろうか。

フォルランの獲得について、セレッソ大阪はひとつの育成だと説明したように
フォルランが日本でプレーすることで、そのプレーから世界を届けてくれるはずという大きな期待を誰もが持ったことであろう。

しかし、シーズンが始まってみると人々の期待が先行しすぎて、その期待は鋭利に鋭くなっていった。
期待は時に、裏返ることもある。そしてそれは批判という攻撃に変わることもある。

サッカーは一人でするスポーツではないため、一人が入ってもその力が突然ドカンと表れることは珍しい。
さらにFWの選手であるためたくさんの得点ラッシュが期待されるものだが、ボールが出てこないことには難しい。
チャンスのすべてを決められるようなFWであることが理想だが、それはなかなか難しく、日本独自のJリーグという笛を含めた日本サッカーを知るための時間も必要で、なかなかうまくはフィットしなかった。
個人能力が高くとも、監督が選手の能力を見極めその選手の最大を引き出すことが理想だったが、それも充分だったとは言えない日々が続いた。

その中でもフォルランは、日本ではあまり見ないプレーを魅せてくれた。
ゴールデンウィークの名古屋戦。止まってみせたゴールは素晴らしいゴールだった。
止まることで相手ディフェンス陣が流れゆく中でできたコースに打ったシュート。
以前にも書いたことがあるがhttp://chantsoccer.com/posts/63

日本のプレーに「止まる」ことでできる可能性を伝えてくれたプレーが多く見られた。

一級の選手には見えているが、他の選手には見えていない「先」を感じさせるプレーも多かった。
普通に見ていると、ただのミスキックだと感じるキックも多かったかもしれない。
しかし、そのミスキックだと思われる位置には「感じることのできる選手」ならば届いているであろうというメッセージが込められたキックが多くあった。
選手の足元からズレているそのキックは、足元に出したのではなく、そのボールを感じ取って動いていればその足元にドンピシャで届いていたであろうキックや、相手を背負ってる状態でその相手を振り切るためにターンして前を向けるだけのスペースを与えてくれた位置に届けられたパス。
スペースを計算し、全速力でそのスペースに入り込むことでシュートをダイレクトで打つことができた位置。
そんなパスが多数見られた。
結果的に意図を感じられないことや、選手たちに届かないパスの連続に見ている側はイライラが募ったであろう。
しかし、フォルランがJリーグに合わせてしまっては、フォルランを呼んだ意味がない。
日本人よりも能力の高い外国人を呼んで、日本サッカーに慣れてもらって活躍してもらうという従来の外国人で良いのであれば、フォルランは必要なかったはずだ。
そのフォルランのひとつひとつの意図を同じピッチでプレーした選手たちが
なるほど、こんなところも見えているのか、意図があったのかと感じることができたら、日本のサッカーは世界を知ることができる機会となったはずだ。

それでも、フォルランのプレーには煮え切らないものがあったのは確かだ。
日本に来てくれた奇跡。
フォルランがプレーすることで得る刺激。
それらは素晴らしい機会であったが、もっともっともっともっと頑張れたはずだ。
というのが正直な私の感想だ。
一人のせいにするわけではない。そうすることができなかったのは監督やJリーグの周囲の選手たちのプレー、そして日本サッカー全体が動かすことができなかった理由なのかもしれない。
しかし、巨額なお金のためだけに来たわけではないのは充分に伝わってきた。

巨額のお金を手にしたいだけならば、中国やカタールなどの選択もあったであろう。
それでも日本を選択し、日本にやってきたのは日本という土地に興味があったことはもちろん、日本でプレーをすることでなにかを残したいと思ってくれたからこそだったはずだ。
結果的に100%のフォルランは観ることはできなかったかもしれない。
W杯での自国のために戦うフォルランと、Jリーグでプレーしたフォルランは同じではなかったはずだ。
今のフォルランの精一杯がJリーグで魅せたプレーではないはずなのだ。

一生懸命な姿。
それは日本人は特に大切にしている姿勢であり、日本人には必要だとされる大切な表現のひとつだ。
日本では当たり前のようにそういった姿が要求されるものの世界的にみると日本人ほど献身的な考えは持っていない。
その文化の違いもひとつあったのかもしれないが、それでももっと一生懸命なフォルランを観たかった。
そしてそれを引き出せなかったのは非常に残念だと感じる。

W杯で得点王になるなんてことは本当に世界中で一握りの選手だけが得る称号だ。
世界でサッカーをやっている多くの者が目指す夢の舞台W杯で、たくさんの得点を決められるのはただ巧いだけでは達成できないものだ。
その世界でも希少な活躍をした選手が、日本という場所で魅せたものは「すべて」ではなかったであろうが
大きな期待と夢を背負っている中で、文化や言葉など全く環境が違う中でフォルランは「日本」を知ってくれようとしていてくれたことは、大きかった。

ほとんどの外国人は日本に出稼ぎにやってくる。
外国人選手を呼ぶにあたって自国でプレーするよりも、日本を選択してもらうにはお金が必要だ。
日本に馴染もうとしてくれる外国人も中には存在し、日本で長き時間を過ごしてくれる外国人選手もいるが
それでもやはり日本を知ろうとしてくれて、日本を動かそうとする選手は少ない。
自分が良い状態でプレーすることを優先に考え、結果を残して次のステップへと考える選手が多い中で、フォルランは自分の価値よりもチームの結果や日本の選手に伝えることを優先した時間を過ごしてきたように感じるのだ。

セレッソ大阪の選手たちと個人的にどんどん積極的に絡んでいたとは言い難いものの
それでもコニュニケーションを取り、世界のスターではなくチームの一員としてそこに立った。
時には選手たちと冗談を言い合ったり、ちゃちゃを入れながら楽しそうに過ごしている時間もあった。
活躍できないフォルランを指して、セレッソで浮いていると他クラブのサポーターが指摘することもあったが、決して浮いていたわけでなはない。
なにを考え、なにを要求したいのか、どんなものを食べて、どんな生活をしているのかまで知る選手はいなかったかもしれないが、それでもそれは溝ではなくフォルランなりの距離感だったのではないだろうか。

フォルランのもらう大きな金額に他の選手たちが反発感を持っていないわけはないであろう。
巨額のお金を持ってして充分なプレーだったかと言われると、それは否だ。
しかし、それだけのお金が動く選手だということは、それだけの道を歩んできた選手ということ。
選手の価値は「今」だけでなく、それまでの道でたくさんのことを得てきた時間も反映されるということ。
世界を知っているフォルランは、その経験にも価値がついているということ。
そういったものも学べた機会になったかもしれない。
金額はその選手の価値だ。プロ選手である以上それは当たり前と考えるかもしれないが、Jリーグでは多額のお金が動くことが少なくなってしまったため、選手たち自信がお金について考える機会が少ない。
そのリアルを知り、感じる機会となったのではないであろうか。

●確かに背番号10を背負ったフォルランがいた―。

Jリーグのピッチにフォルランがいた。
桜色のユニフォームを着て、ゴールを目指し走っていた。
同じ色のユニフォームを着た選手たちに、メッセージを込めてたくさんのパスを出してきた。

もっとできるだろうと腹立つこともあったかもしれない。
そう思うことができたのも、一緒に戦っている同志になれたから。
引き出されるだけではなく、引き出すことができなかったことが悔しいが、それでも垣間見せた「世界」はJリーグがそしてセレッソ大阪が引き出すことができた、共有することができたものだったのではないだろうか。

日本サッカーと、真摯に向き合ってくれたフォルラン。
いい加減にプレーすることも正直見えた時もあり、試合を壊したと感じることもあった。
自分の思うようなプレーが出来ずイライラしてる姿を見たことも一度や二度ではない。
でも、そういう時間を共に過ごせたこと。
ディエゴ・フォルランはスターじゃない。一人のプレーヤーで、一人の感情を持った人間だということ。
大きなお金を得ている選手だからといってすべてがすごいわけではなく、すべてが完璧なのではないこと。

今季、札幌戦。
札幌のGKは昨年までセレッソ大阪に在籍していたク・ソンユン。
試合は1-1でお互いに集中欠けない試合の終盤にて、フォルランが絶妙な位置に放ったスーパーなシュートを
弾いてもナイスキーパーな場面でソンユンはキャッチしてみせた。
セレッソ大阪でフォルランのシュートを練習で何度も浴びてきたソンユン。
あんな位置からこんなコースにもシュートって打てるんだという未知の世界もたくさん体感してきたことであろう。
その積み重ねをあの時に「見た」と感じた。セレッソ大阪から出た選手だが、それでもそこに経験として生きていた。
フォルランの残した「育成」をそこに見た気がしたのだ。

一言ではなく、自分の言葉で伝えたいと入団発表会見の時は
多くの日本語で話し、伝えてくれたフォルラン。
大阪、そして日本全国のサッカーを愛する人たちへ送ったその言葉からは
「本気」が伝わってきた。


あの日から1年半。

ディエゴ・フォルランの日本での挑戦は幕を閉じた。
フォルランと過ごした日々。残した物。
それを形にしていくのは、これからだ。

大きな期待と夢を持った人々の声は、フォルランにとって重いと感じた日々ももしかしたらあったかもしれない。
それでもその覚悟を持って日本で日々過ごしていたのではないだろうか。
ディエゴ・フォルランはスターだった。
でもその一方でスターではない一人の人間としての顔も見せてくれた。


日本での日々がフォルランにとってもなにかしらの「育成」に繋がっていたらと願う。
成長に年齢は関係ない。吸収を拒否するのであればサッカー選手としてピッチには立っていないはずだ。
共にプレーした選手たちはもちろん、対戦した選手にも思い出と経験を残してくれたフォルラン。


確かに、Jリーグのピッチにフォルランが居た。


ディエゴ・フォルラン。
またあう日まで―。


ありがとう。

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たらればですが、昨シーズン始めから曜一朗が居なくて、ポポビッチが監督でなければ、ディエゴにとってもセレッソにとっても違った結果が出ていたかも知れませんね。

名無しさん  Good!!0 イエローカード0 2015/06/24|01:47 返信

フォルラン〜〜(T ^ T)
ありがと〜〜(T ^ T)

atsu.  Good!!0 イエローカード0 2015/06/24|01:07 返信

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