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【3.11】 チカラをひとつに。footballの持つ力と繋がった絆 【東日本大震災】

2015/03/11 11:57配信

Tomoko Iimori

カテゴリ:コラム


3月11日―。

この日は日本国民なら誰しも忘れられない日となっているのではないだろうか。
今日であの日から4年―。
この年月を4年も経ったと感じるであろうか。それともまだ4年と感じるであろうか。

東北を中心に大きな被害を出した 東日本大震災から今日で4年。

あの日、あの時。


2011年。
新シーズンへ向けての長い準備期間を経て、待ちに待ったJリーグが開幕したばかりだった。
迎えるJリーグ第2節の前日。
試合の前日ということでたくさんのチームが試合が行われる地に移動していた途中だった。
それは選手たちはもちろん、各クラブのサポーターも同じく、だ。

2011年。3月11日。
14時46分。

東北地方を過去最高規模の大地震が襲った。

日本国内の広い範囲で大きな揺れが起こり、数々の被害が時間が経つと共に増え、情報となって発信される。
大津波警報という言葉はこの時はじめて耳にした。
その厳しい現実は時間と共に他想像を絶する形となって伝えられた。

次の日には、テレビ画面の中に映し出される映像が現実のものなのかと目を疑うような光景が拡がっていた。
水の国なのかと思うほどの浸水。信じられないほどに増えていく犠牲者の人数。
崩壊してしまった町の映像や、飲み込まれたことを想像させる流れ着いたものの数々。
倒壊し、流された多くの住宅や車、水に囲まれた建物の上で助けを待つ人々。
地震発生から12時間以上が経過し、映し出された映像は今までに経験したことのない世界だった。


3月12日に行われるはずだったJリーグは中止された。

仙台へと向かっていた名古屋グランパスの選手たちは、新幹線の中で缶詰状態となり、7時間新幹線の中で過ごした。
モンテディオ山形の選手たちは高速道路をバズで移動中であり、バス内で足止めとなった。
鹿島アントラーズの選手たちはバスで高速道路移動中の幕張料金所付近で3時間立ち往生となり、試合中止の決定をバスの中で伝えられた。
柏レイソルの選手たちは関東で新幹線に乗っている最中に揺れ、新幹線は一時的に泊り、新横浜で待機となった。
栃木SCの選手たちは羽田空港から移動しようとしていた際に地震に見舞われ、その後羽田空港から動くことができず空港で1泊を過ごした。
ベガルタ仙台の選手たちは練習を終え、自宅にいた選手や昼食のため出かけていた選手も多かった。倒壊や津波などの被害は選手たちには少なかったものの、それでも電気や水道などライフラインがすべてストップし、情報も入ってこない中で過ごすのは難しく、一時的に避難所へと避難した選手たちもいた。

カシマスタジアムは被害が大きく、スタンド階段の崩壊やコンクリートの亀裂、天井部からの落下物、座席の損壊などを確認。
全体の安全確認も必要となった。
日産スタジアムでもスタジアム内のガラスが割れたり、天井が崩落するなどの被害が報告された。
川崎フロンターレのクラブ事務所では玄関に亀裂が発見され、報告された。

震災後に起きた原発事故によって、仙台や水戸の外国人選手が契約を解除し、帰国するといったチーム編成に響く事態も起きた。

被災地となったベガルタ仙台、鹿島アントラーズ、水戸ホーリーホックは一時的に活動が休止となり、速い段階でJリーグはリーグの中断を発表した。

震災後数日で現地へと足を運んだ鹿島アントラーズ小笠原満男を中心に、東北出身の選手たちのグループを結束。
実際に現地で聞いてきた必要なものを中心に物資の支援などを迅速にスタート。
衣類や生活雑貨、食糧や水、おむつや粉ミルクなどさまざまなものを早い段階から送り活動をスタートさせた。

JリーグでもTEAM AS ONEという名のもとに各クラブが支援を発表。
中断されている間に大規模な募金活動を行うなどし、たくさんの義援金や物資を呼びかけ集めた。

海外でプレーする多くの選手が、日本へのメッセージを胸に懸命にプレーし、インナーシャツ等にメッセージを書き伝えたり、国旗にメッセージを書き掲げるなどし、伝えた。
日本で起こった大地震での多くの被害は、世界中で伝えられ、哀悼の意を世界のチームが発信した。
黙とうや喪章を付けてのプレー、大きな横断幕のメッセージ…世界中のサッカー界から届けられる多くのメッセージはサッカーファンのみならず被災した人々へも届いたはずだ。

起きたことのない大きな被害を前に、一日一分一秒を生きるためにどうしたら良いであろうと先の見えない長いトンネルの中で苦しむ人たちがたくさんいる中
大切な人を突然失い、絶望に暮れる人々もいる中で
サッカーというものが伝えられるものは少ないかもしれないが、それでもサッカー界が動くことで復興へのなんらかの支援になると考えたサッカー協会は

3月25、29日に東京国立競技場等で開催予定だったキリン杯が中止となったため、
Jリーグ選抜と試合をするプランを発表。
都内も大きな揺れがあり、余震に注意が必要であったため、大阪長居スタジアムに場所を移し、日本代表とJリーグ選抜の試合を行うことを発表した。

もともと、このニュージーランド戦の約1か月前、ニュージーランドでも大きな地震が起きていた
日本人を含む185名もの犠牲者を出した地震被害の復興になにか役立てないかと日本サッカー協会は200万円の義援金を拠出し、その試合で募金を呼びかけることに決めていた。

しかし、試合を迎える18日前。
日本ではさらに大きな地震が発生。さらには原発の事故も起きてしまったことで、ニュージ-ランドが来日することは難しく、国立競技場も安全確認が必要であったこと、余震の危険性があったことで試合は中止に。
Jリーグもストップしたことでサッカー界はしばらくストップすると考えられていた。

しかし、サッカーの力でなにかできないかという想いが協会、Jリーグ、選手、クラブ、サポーターの心に共通して芽生えていた。
そして形となったのは練習試合という名のチャリティーマッチ、日本代表×Jリーグ選抜の試合だった。

スポーツ界で最速という形で
東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!を開催した。
国際Aマッチで行われる予定だった日にちではなくなったこと、そして国際Aマッチとして認められる試合ではないことで、海外でプレーする選手たちはシーズンまっただ中で招集できるかといった不安もあったが、選手たちの所属するクラブが試合の主旨に賛同。
12名全選手の招集が認められた。

試合数日前から、キンチョウスタジアムで行われた練習も公開され、選手たちが義援金を連日呼びかけた。
そこには当時の日本代表監督であるザッケローニ監督の姿もあった。
選手たちは一時的に東北の人々が避難をしている大阪府内の避難所などにも積極的に訪問した。


試合当日、たくさんのサポーターがさまざまなクラブのユニフォームを着て、長居スタジアムに集まった。
チケットを持たない人も多く集まり、サポーターグループが義援金を呼びかけたり支援物資を集める活動を行った。
被災地となってしまったベガルタのユニフォームを着たサポーターと鹿島アントラーズのサポーターがそのユニフォームを見ただけで言葉はいらず、お互いにがんばろうと涙ながらに励ます姿も見られた。
被災したチームへ向けてのメッセージや、その試合には出場していない東北出身選手たちにエールを送るゲーフラも多く出された。
サッカーという共通を持ったたくさんの人々のたくさんの気持ちが詰まっていた、その日。

ピッチ上にいる選手たちは力の限り一生懸命プレーした。
サッカーをしていて良いのかという疑問に駆られながら、自分たちになにができるかと考えた時。
自分たちは「サッカー選手」だからこそサッカーをすることが一番の表現方法だと考えた。
だからこそ全力で、サッカーをした。

ゴールが決まると喪章を掲げた。
多くの尊い命にそのゴールを捧げた。
賛否両論あったこの試合の存在だったが、そこには力と想いが詰まっていた。

試合の最後を飾ったのは、日本サッカーの象徴キングと呼ばれるカズこと三浦知良のゴールだった。
サッカーが好きでなくとも日本中の多くの人々が知る、一番有名なサッカー選手であり、その存在はHEROだ。
キングカズが放った当時44歳の「カズ」らしいゴールは、日本中に希望・元気・勇気…たくさんのものを伝える力があった。

まだまだ復興なんて言葉にはほど遠い、大変な状況の時期に東北でサッカーを観れた人たちは少なかったかもしれない。
しかし、向けられたその想いはきっとなんらかの形で届いたはずだ。
そして日本サッカーが放ったそのメッセージは、日本中のサッカーサポーターを動かした。

クラブでは支援の形としてさまざまな活動が行われた。
実際にその地に足を運ぶ選手たちも多く、たくさんのサッカー少年たちが全国の試合へと招待された。
サポーターたちは自分たちのプランで被災したクラブのサポーターたちと交流したり、エール交換を行った。
被災地へと出向いて瓦礫の撤去作業をボランティアで行うサポーターも多くいた。
普段はライバル関係にある仙台のサポーターと山形のサポーターが助け合い、手を取り合った。

Jリーグの各クラブで始まった復興支援は、今もなお続いているチームも多い。
時間と共にどうしても薄れてしまう、復興への関心。
それを少しでも避けるためにもまだまだ終わってはいないと発信し続け、手を上げる選手やクラブも多い。

サッカーという共通でつながった同じ想いの輪は今、絆となってJリーグの繋がる輪のひとつとなっていると感じる。


TEAM AS ONE

チカラをひとつに

サッカーサポーターたちの力も復興のひとつの力となっているはずだ。
footballの持つ力は偉大だと、あの時。感じさせられたはずだ。

もう4年
まだ4年

これからも3月11日を迎えることとなる。

あの日、あの時。
ひとつになって がんばれニッポン!と繋がった絆。


footballの力も支援になる。


東日本大震災によって奪われた多くの命。
たくさんの方々に心からご冥福をお祈りいたします。

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BOLLじゃないよBALLだよ

名無しさん  Good!!0 イエローカード1 2015/03/11|15:43 返信

淡々と事実を伝えている文章ですが、当時の出来事とそのときの自分の気持ちを振り返ることができました。サッカー界、サポーターや選手達の活動に可能性を感じたことが、いま地元のクラブを応援するきっかけにもなりました。コラムありがとうございます。

V長崎サポおばさん  Good!!2 イエローカード0 2015/03/11|14:48 返信

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