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【セレッソ大阪】 柿谷曜一朗の大切で特別な「家」 【#8】

2014/07/08 21:57配信

Tomoko Iimori

カテゴリ:コラム

 

ついに。
柿谷曜一朗の移籍が公式発表された。
連日続く報道の中、もう少し考えたいという言葉を経て少し報道が穏やかになった今
セレッソ大阪の公式にて本人のコメントと共に発表された。

移籍先は先の報道通り、スイス・バーゼル。
バーゼル側からも公式発表され、柿谷曜一朗は完全移籍でスイスに旅立つことが決まった。

契約がどうなっているかわからないが、怪我をするリスクがあるためセレッソでプレーする姿を観れるのかはまだわかっていないが、壮行セレモニーは7月15日セレッソ大阪×川崎フロンターレにて行われることが決定した。


柿谷曜一朗の選んだ道は、スイス・バーゼルでの新たな挑戦となった。


●セレッソ大阪を背負った2年半

セレッソ大阪でサッカーをはじめ
セレッソ大阪で成長し
セレッソ大阪でプロになった

セレッソ大阪と共に人生を歩んだ柿谷曜一朗。

家といっても良いほどに柿谷の人生にはセレッソ大阪が関係し、いつもそこに当たり前のようにセレッソ大阪というチームがあった。
幼き頃から天才と呼ばれ、100年に1人の逸材とまで言われた青年期。
世代別代表で魅せた、今までの日本人にはないボールタッチとトラップ。
彼のサッカーは人々を魅了させるだけでなく、自分をも魅了させてしまった。
それが慢心に繋がり侵してしまった、間違いと裏切り。

「家」への甘えから生まれてしまった裏切りは、レンタル移籍という形で武者修行に出ることとなる。
レンタルといえども戻れるという核心はないままに、はじめてのセレッソ大阪以外のチームでのサッカー、はじめての大阪以外での生活。
それは柿谷にとって、はじめてのことだらけだった。

セレッソで過ごした日々とはまったく違う環境と変化。
指揮官であった美濃部氏の指導と教育とも呼べるコミュニケーションは徐々に柿谷の心を変えた。

それはプレーにも現れるようになり、天才柿谷曜一朗は努力という武器をプラスし、一度止まりかけた成長をまたスタートさせた。

一度離れたからこそ、セレッソ大阪への気持ちはさらに大きなものになったことだろう。
離れてみてわかることがある。
当たり前にあった「家」が当たり前ではなくなったからこそ、その特別さを自分の中で噛みしめたであろう。

2012年。
ついに柿谷曜一朗はセレッソ大阪に戻ってくる。
その時は一度裏切ってしまったサポーターに、そしてチームにどんな顔向けをすれば良いのか迷っている姿を見せた。
徳島での経験を持って、そしてその3年半で痛みを伴うほどに感じたセレッソへの愛情を持って、再び大阪の地へ戻ってきた柿谷曜一朗。

もちろん戻ることも簡単ではなかった。
自分を変えてくれた、そして成長させてくれた徳島で、最後まで昇格争いをしながらも昇格させることはできなかった。
戻っても良いものかと考えに考えた結果、選んだのはセレッソ大阪での再チャレンジだった。

それは戻したセレッソ大阪側も同じだ。
何度も何度も視察をし、その時の柿谷曜一朗という選手、そして人間がどんな生活をしているかをしっかりと見定めていたはずだ。
レンタルといえども一度手を放し徳島へと強制的に行かせたことも簡単ではなかったはずなのだ。

セレッソ大阪に戻った柿谷を待っていたのはスタメン争い。
戻りたての頃はスタメンではなくベンチを温める日々が続いた。
それでもチャンスが来ると最初は波がかなりあったものの、柿谷らしさを表現し、結果へと繋げていく。
チームは最後まで残留争いをしたものの、曜一朗がなんとかしてくれるはずという雰囲気に包まれ、いつの間にか柿谷は自然と「セレッソ大阪の柿谷曜一朗」の位置へと適格にそして他の誰でもないその場所を獲得していた。

そして
セレッソ大阪にとって特別な番号である「8」を背負うことになった時。
セレッソサポーターならば誰もが感動という言葉を使い、時間はかかったもののついにこの時が来たと歓喜に沸いた。

今まで「8」を付けた選手もいたが、その誰よりも特別な背番号となった柿谷の「8」はセレッソ史上において、とても大切な1ページとなった。


柿谷は誰よりも「8」を大切にした。
なによりもその重い「8」を愛した。
そしてセレッソ大阪を背負った―。


セレッソは
セレッソが
セレッソだから

自分のチームの名前をいつでも何度でも口にする柿谷の言葉を聞いて
私は23年間サッカーを観てきた中でこんなにも自身のチームのことを話したり、チームの名を言葉にする選手ははじめて見たと思う。

そこに柿谷曜一朗のセレッソ大阪を背負っている生き方を見た。

そして柿谷曜一朗は本当に楽しそうにプレーしていた。

練習場で見ても、試合で見ても、自分が決めてもチームメイトが決めても
いつも楽しそうにボールを蹴って、笑い、幸せそうだった。

今年に入り、W杯へのプレッシャーとセレッソ大阪のタイトルへと目標にしながらもなかなか結果が出ない中での苦しい表情は見ている側としても苦しいものがあったが、
それでも根本はセレッソでサッカーをしていることが柿谷にとっては歓びなのだと感じる場面にたくさん遭遇した。

セレッソのユニフォームが着れること
セレッソの一員として毎日サッカーができること
セレッソのサポーターに応援してもらえること

それが楽しい!幸せ!といつも自然と溢れ出ていた。

プレーの質はもちろん高く、練習だけで得ることはできないセンスと天才プレーヤーだけが持つ独自のプレーも魅力の大きなひとつではあるものの
楽しく幸せそうにサッカー少年のようにプレーする姿にきっと多くの人々は魅了されたのではないだろうか。

自分だけではなくチームメイトの良いプレーや良いゴールに顔をくしゃくしゃにして喜ぶ姿。
それは愛に溢れていた。

サポーターに向けて、セレッソのエンブレムを手で作ったハートで囲む姿は
チーム、サポーター、セレッソ大阪に関係するすべてに最大限の愛を示していた。

俺がセレッソを引っ張っていく
俺がセレッソを優勝させる
俺がセレッソを世界へ

それが本当に伝わってくる背中となっていた。


その背中には「8」。


一日数時間の練習だけで終わる日がほとんどのサッカー選手たちの中で、柿谷曜一朗は24時間を使ってセレッソ大阪の柿谷曜一朗となっていた。
セレッソ大阪には柿谷がいる―。
それが全国的な表現となっていた。


もちろん積み重ねはあるものの、復帰してからのたった2年半でセレッソの顔となり、たくさんの人の希望と期待と夢を背負い、
日本代表選手へと上り詰めた。

あっという間の出来事ながら、その一瞬一瞬はとても輝きを放ち、印象にどれも残るものだった。


●世界へ。


W杯での戦い。いや、日本代表に選出されてからの日本代表内でのサムライたちの刺激。
そこから積み重ねられた世界という刺激はついに柿谷を動かすこととなった。

誰よりも深き愛情を持っているセレッソ大阪を離れること
すべてをかけて背負った「8」への想い

想像を絶するほど悩んだことだろう。

それでも選んだ道。
スイス・バーゼルという選択。


海外に挑戦するタイミングとしては今までにも複数回あった。
それでも彼はセレッソ大阪でプレーすることを選択してきた。
しかし、今回は決断した形となった。

重い想い気持ちがあるからこそ簡単ではない道。
しかし、柿谷は感じたのだ。
海を渡ることで得るものがある、と。

セレッソのように楽しい日々はきっと過ごせないだろう。
厳しい現実、生活が待っていて、苦しい想いもすることになるだろう。

それでもその先にあるものは―。

Jリーグで成長ができないわけではない。
しかし、Jリーグにはないものが海を渡った先にあるのは確かだ。
その世界を
柿谷は観に行くのだ。そして自分の物にするのだ。

これからは、日本で観れる機会は日本代表の試合ということになる。
もちろんそれも絶対ではない。スイスで結果を出さない限り日本代表に選出は難しい。
しかし、柿谷は日本代表のエースというポジションを視野に一歩を踏むはずだ。
それは目標ではなく絶対だ。目標は世界と対等なエースとなること。

 

 


簡単に帰ってくるわけにはいかない。
セレッソ大阪の「8」を脱ぐことは、そんな簡単なことじゃない。

たくさんのサポーターが今日という日を忘れないであろう。
そして「8」を脱ぐことになる7月15日はセレッソ大阪にとって、特別な日となるだろう。

今までセレッソ大阪は特別な選手たちを海外に送り出してきた。
特別なことは間違いないが、それでも今回の柿谷曜一朗はそれを超越する特別さがあるはずだ。

大事な家族を送り出す。
そんな特別な日となるだろう。

川崎フロンターレとの一戦。
柿谷の偉大なる先輩の一人である大久保嘉人を前に旅立つこととなる。

 


いってらっしゃいとは言えないかもしれない。
がんばって来いと整理できないかもしれない。

成長する場に新たなるチャレンジは誇らしいこと。
それを頭ではわかってはいても、割り切れない想いが交差する方が多いのではないだろうか。
応援することには変わりない
もっともっと成長した柿谷曜一朗を観たい

「でも」という言葉がついて寂しさで悲しみを持つ人が多い。
それは彼が愛されていた証拠。
彼が人々の心に深く入り込む生き方をしていた証拠。

 

でも、大きくなっていつか帰ってくるその日まで

「おかえり」という準備をしておいてほしい。


簡単に帰ってきてはダメだが、いつか柿谷曜一朗は帰ってくる。
日本でプレーする時はセレッソ以外に考えられないはずなのだ。
それは。

セレッソ大阪は、柿谷曜一朗の「家」だから。

 

ただいま。


その言葉を持って帰ってくる時は
きっと今よりももっともっと大きな背中になっているであろう。


そして手でエンブレムをハートで囲むであろう。

 

セレッソ大阪に、最大の愛を持って―。

 

 

 

 

 


 

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