CHANT(チャント) 清水エスパルス

櫛引政敏 2015年を飛躍の年へ

2014/12/27 11:58配信

武蔵

カテゴリ:コラム

「櫛引政敏 下手」

櫛引政敏はJ1・清水エスパルスに所属するGKです。

客観的な数字を並べれば、2013年のリーグ戦20試合に先発し、

今年はさらに9試合増えた29試合に先発フル出場した、名実共に

清水の正GKであると言えます。

しかし、Yahooの検索ワードにその名前を入れると、関連ワードとして

「櫛引政敏 下手」

と、最初に出てきます。

実際はどうであれ、万人にそう思われているGKである、ということです。

そしてその実際にしても、実力に疑問符が付くと言わざるを得ない

という向きも多いのではないでしょうか。

櫛引のプレーで印象的なのは

「え、そんな弱いシュートを止められないの?」

というようなフィールディングと位置取り

それと単純なミス、という点を挙げることができます。

前者はいずれもホームのFC東京戦やG大阪戦

後者は1月のU-22アジアカップのGL・イラン戦や天皇杯準決勝のG大阪戦が

挙げられます。

とにかく不安定という言葉に尽きます。

それは本人も認めるところで、コメントでは事あるごとに

「波を小さくしたい」

という発言を繰り返しています。

ここまでだけの文言で判断すれば、とても優秀なGKとは思えないでしょう。

このGKが五輪代表の正GKでいいのか

それほどまでに日本のGKは人材不足なのか、と

言われても仕方がありません。

現に、五輪代表は1チームより1人までの招集という原則が存在するためでもありますが

例えば9月のアジア大会に挑んだ五輪代表に櫛引は招集されていません。

また所属先の清水でも、西部洋平、山本海人、林彰洋といった正GKを務めた

選手達の退団で、押し出されるように正GKになったことを不安視する声があります。

しかし、崖っぷちに立たされたチームが迎えた最終節での

櫛引のプレーは、未来への飛躍を予感させるものでした。

断言できますが、彼は確実に成長しています。

「自分がゼロに抑えれば残留」

2014年のJ1最終節、清水は残留争いのさ中、崖っぷちに立たされていました。

降格圏である16位の大宮との勝ち点差は3

得失点差では不利であるため、負ければ降格の可能性があるという状況でした。

つまり良いように取れば、引き分けでも残留が決定するということです。

それでも楽観できないというのは、同じく引き分けでも残留を果たせる

前節・柏戦では1-3で敗れていたためです。

狙って引き分けを取れるほど、サッカーは甘くないことも周知のとおりです。

そんな大一番を前に継続して守護神を任されてきた櫛引は

「自分がゼロに抑えれば残留出来る」

と語りました。

試合は、攻撃陣が前半シュート0に抑えられてしまう中、守備陣が奮闘

中でも櫛引は甲府の決定機4つのうち3つをセーブしました。

その中には、ホームG大阪戦で喫したような、DFの股下から飛んでくるシュートを

ストップしたものも含まれます。

結果的に勝利は飾れませんでしたが、0-0のスコアレスドローでした。

文句無し、この試合で各紙のマンオブザマッチに選ばれる活躍を見せた櫛引は

この試合においては見事、清水のJ1残留の立役者となりました。

結果として大宮が最終節に勝利したため、この試合に関してはまさに

櫛引がチームを救ったと言えるでしょう。

権田修一を目安とする理由

そんな成長を見せる櫛引ですが、2015年の目標は「清水での優勝争い」だそうです。

しかし、この調子で行けば前年の出場試合数である29試合から数字を伸ばすのは

難しいように思えます。

それは、リオ五輪の予選であるU-22アジアカップが開催されるからです。

ぜひとも、この世代で唯一、J1の正GKを務める櫛引により一層の成長を

してもらい、五輪代表の正GKに返り咲いてほしいという気持ちがあります。

私は個人的に、櫛引の目安としては権田修一が役に立つとみています。

なぜなら、生年月日の条件が合致するからです。

権田修一は1989年の3月生まれで、ロンドン五輪世代のいわゆる「早生まれ組」

櫛引は1993年の1月生まれで、来たるリオ五輪世代の「早生まれ組」です。

つまり、リオ五輪に向けた成長を測る目安として、権田修一の4年前と比較すれば

五輪代表に値するかどうかを測る事が出来るのではないかと考えます。

その権田修一、デビューは高卒3年目の2009年

前年から正GKに定着した塩田仁史が虫垂炎を発症し離脱

急遽、正GKを任されるという事態になりました。

開幕節では見るも無残に4失点。

しかし試合ごとに成長し、塩田が帰ってきた後も正GKであり続け、

リーグ戦は34試合フル出場、15試合完封の個人記録(タイ記録)、

ヤマザキナビスコカップの優勝GKとなり、遂には日本代表でキャップを刻むことになります。

しかし2010年、権田の所属するFC東京はJ2に降格してしまいます。

権田はロンドン五輪予選をJ2リーグで戦いながら迎えることになります。

それが決定したのがちょうど4年前の今頃です。

それと比較して櫛引はどうでしょうか。

櫛引の所属する清水は2015年を、リオ五輪予選をJ1で戦いながら

迎えることが出来ます。

しかも、自らの手でチームを救った結果として。

4年前、同条件下の権田より力が上であるというワケでは決して言えません。

しかしJ1で戦えること、権田よりも有利な条件が整ったことは確かに言えます。

その権田を超す環境が作られました。

いや、自らの手でつかみ取る事が出来ました。

あとは櫛引がJ1の舞台で、リオ五輪予選で成長するだけです。

櫛引政敏が2015年を飛躍のシーズンに出来ることに期待してやみません。

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