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【FC東京】 FC東京に関わるすべての人に愛される阿久根社長の退任が決定 残した社長という新しいポジション 【J1】

2014/12/23 13:48配信

Tomoko Iimori

カテゴリ:コラム


昨日、FC東京サポーターに衝撃が走った。
FC東京 阿久根謙司社長が2月で退任とのニュースが走ったからだ。

各Jクラブの社長の中で、FC東京の阿久根社長はFC東京サポーターでなくとも知っている、とても人気も知名度も高い社長だ。
社長というポジションを超越したその行動力と影響力は、FC東京にとってとても重要であり、愛されている人物。

社長という位置は難しいものだ。
結果が出ると讃えられるが、結果が出なかった場合は罵声を受け辞めろと解任を求められ、責任を求められる立場となる。
そういった紙一重の重圧の中で、全うするというのは大変なことであろう。
阿久根社長就任からの4季、FC東京の歴史として厚く新しく必要な土台を作った年となったのではないだろうか。

阿久根社長退任という発表は、多くの人々を寂しいという想いにさせた。
そう去っていくことができる社長は、本当に一握りだろう。


●温かさと誠実さを感じる 良い意味で社長らしくない阿久根社長

私がはじめて阿久根社長とお会いしたのは2011年、就任の年だった。
2011年2月に就任し、まだどんな社長がFC東京の社長なのかも知らない時期に、「社長です」と紹介され驚いた。
その若さとさわやかさに驚き、阿久根社長の人柄が一瞬で伝わってくるその感覚、そしてその柔らかさ。
その日、味の素スタジアムの上空は快晴で、初夏の気持ちよさを感じる中だったこともあるのかもしれないが、それでも温かさは十分に伝わってきた。
私がお会いしたことのあるJクラブの社長という方々の中でも異色。勝手に決めつけているに近い「社長」という印象とは全然違った雰囲気を持つ方だった。

え!?社長さんですか!?と失礼なことを口に出した覚えもある。
それでも阿久根社長は笑顔で手を差し出してくれた。
すごく丁寧に挨拶をしてくださり、笑顔とやさしい握手が印象に残った。

その日はFC東京の試合当日で、隣にあるアミノバイタルにて挨拶をさせていただいたのだが、試合が始まる時間となり開場されたスタジアムに入ると阿久根社長がゲートの前に立っていた。
たくさんのサポーターに声をかけ、アウェイのサポーターにも遠くから来ていただきありがとうございますと声をかける。
その光景は、驚きと共に最初に感じた温かさそのままを感じた。

阿久根社長は座ることなく、立ったままで試合が始まる時間までゲートの前でスタジアムに入る人たちに声をかけながら笑顔で迎えていた。
ついさっき挨拶した私にも、笑顔で再び挨拶をしてくれるだけでなく、さまざまな質問を投げかけてくれた。
こちらから会話をするのではなく、阿久根社長から会話をしようとボールを投げてくれる感覚だった。

社長という立場の方が、そんな立ち振る舞いをすることに驚いた。
身近で温かさが伝わる社長。そんな印象を受けた。

2回目にお会いしたのはアウェイの地でのこと。
その時もアウェイの地ながら、阿久根社長はアウェイゲートにてFC東京サポーターを迎え入れていた。
遠い地まで応援に来ていただきありがとうございます。そういう阿久根社長はたくさんのサポーターと握手をし、戦いに向けて一緒に戦いましょうと伝えていた。
その試合は負けてしまったが、負けた試合だからこそと冬を迎えた時期だったにも関わらず、寒いゲートの前に立ちFC東京サポーターに頭を下げてありがとうございました。と応援にかけつけたサポーター一人一人に頭を下げていた。

3回目にお会いした阿久根社長も、アウェイの地ながらも変わらずサポーターを出迎え、温かい握手をしていた。
勝利で終えるとサポーターとハイタッチを交わし、笑顔でありがとうございますと伝えていた。

阿久根社長から感じるその温かさで自然と笑顔になり、心も温まる。
私が直接お会いした機会はたった3回。
しかし、阿久根社長がFC東京サポーターに、そしてチームの中でもきっと偉大な存在であり
この人がトップにいるチームだからこそ頑張れると感じさせてくれるチームなんだろうと 感じ取るには充分だった。


●コーチング理論から創ったFC東京の在り方

阿久根社長はサッカーではなく野球選手であり、野球チームで監督を務めたこともある方で、サッカーとは遠いところにいた人だった。
名門早稲田で野球選手として活躍し、その後全国社会人野球でも強豪の東京ガス野球部にて選手として活躍。ドラフト候補にも数えられたことのある選手だった。
その後、監督を務めたこともあった野球人だったが、東京ガスからの出向という形でFC東京の社長に就任。
FC東京がJ2に降格してしまった次の年のこと。昇格後はじめての降格をし、J2で戦うチームという難しい場面で社長就任となった。

阿久根社長が野球で得た形のひとつにコーチング理論がある。
コーチングというと、あぁしろこうしろといった指図からなるものと受け止めがちだが、阿久根社長の持つコーチング理論はそうではない。
頭から指示することではなく、対話することで考え自らが答えを出すという方法だ。
この時はどうだった?そういった場面ではどうしたら良い?こうするにはどうすべき?
質問というコミュニケーションから、質問された側は考える。そして考えた結果の答えを出す。

そうすることで言われたことを忠実にこなすのではなく、自分の考え方を持って行動することができるという「自分の力」を持つことができるのだ。

それをすぐに取り入れた阿久根社長は自ら現場へと出向き、選手たちに問いかけた。
なぜ降格したのか。なぜ勝てなかったのか、と。
そう言葉にして振り返らせることで、さまざまな意見が選手たちから出た。
その意見ひとつひとつに全員で議論を交わした。

降格という大きな失敗を受け入れることから始まったシーズンは、降格のショックを引きずっていたことでJ2ながら惨敗するという悲惨な現実も生んだ。
しかし、その現実から目を背くことなく、質問や対話をすることできちんと振り返りどんな部分が足りなかったのか、自分たちは今戦えているのかという部分を全員で見つめた。
そして徐々に FC東京は選手たちの意見によってその方向性を見つけ、監督にこういったサッカーを中心にやりたいと意見を選手側から提案し戦うなど、自分たちの道を手に入れた。

阿久根社長が立つのは現場だけではない。
例えば、練習場でファンサービスに応える選手たちを待つファンやサポーターの中に立つこともある。
そして選手の対応がどうだったか、サポーターに声をかけ聞きだす。
とてもうれしそうに話してくれるサポーターもいれば、想像とは違ったと残念がるサポーターも存在した。
そういった意見は選手の元へとその足で持ち込んで、どうしてそういう意見が出たのだと思う?と選手に問う。
ファンサービスに関しての向上にも社長は大きく踏み込んでいた。

試合日はもちろん、試合日でなくても日々の生活の中でFC東京のグッズを身につけている人を見ると、社長は笑顔で挨拶をする。
声をかけ、立ち止まり会話をする。
阿久根社長はできる限りを「FC東京」という生活で染めた。

対話を取り入れたのは現場だけではない。
会社内でもそれを取り入れた。
会議でもなるべく議論が中心になるよう資料は前もって用意させ、当日までに読んで理解してくることを求め、会議ではその件について議論することを中心とした。
今までやったことがあることを そのままの状態で行うことを禁じ、新たな肉付けをした企画やまったく新しい発想をと求めた結果、斬新な案がたくさん出た。
過去にやったことを二度やっても過去に頼るだけで新しいものは生むことはできない。
飽きられることは避けたいからこそ、新しいものを求め、対話や議論から常に新しいものを生むことを意識した。

その結果、FC東京はこの4季で阿久根社長を中心とした中で、各方面で新しい取り組みにチャレンジした年となった。

サポーターにも常にコミュニケーションを求めた。
意見があるならどんな話でも直接言いに来てほしい。どんな話でも私は聞きますと発信し続けた。
その中にあるFC東京として成長できるヒントを常に拾っていきたい。そう阿久根社長は求め続けた。


現場で選手たちとのコミュニケーションを大切にした社長。

サポーターに声をかけ、握手と笑顔と温かさで迎え、どんな時でもFC東京の戦いの場に出向いた姿。

それはたくさんの愛を生んだ。

サッカー選手だったわけでもなく
サッカー界で知名度が高かった人でもない

しかし、その名とその姿は 多くの人々に浸透し、たくさんの人に愛された。
選手、サポーター、スタッフという立場の違い関係なく、与えられた温かいコミュニケーションが繋げた、ひとつの証。


FC東京が掲げている2015ビジョン。
ついに来年その年を迎える。

2015年にひとつの大きな結果を生むために向かってきた ひとつの方向。
その結果を掴む前に阿久根社長が退任してしまうのは、寂しく感じる。

しかし、惜しまれ悲しまれ寂しがられ 去っていくことができる時に 退任を迎えることもひとつの幸せの形。


FC東京の新社長には阿久根社長の元で常務として片腕となってきた 東京ガス時代の選手だった大金氏が務める。

FC東京の新時代を迎えるが、阿久根社長が創り出した東京カラーは今後、語り継がれる歴史となって輝き残ることであろう。

その足跡は誰もが大切にし、心に残し、繋がっていく―。

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阿久根社長の退任報道を知ったときは衝撃を感じました。私はFC東京を応援していますが、チームで一番好きだったは阿久根社長だったのかも・・・

名無しさん  Good!!1 イエローカード0 2014/12/26|13:54 返信

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