【鹿島アントラーズ】 ジーコスピリッツという信念を共有し 頂点を目指す王者の意地 【J1】
2015/03/05 12:18配信
カテゴリ:コラム
王者と呼ばれるのは 理由がある―。
鹿島アントラーズがこれまでに獲ってきたタイトルは16。
その多くのタイトルのひとつひとつに 大切な気持ちと時間が詰まっている。
タイトルに飽きたなんてことは絶対にありえない。
いつでもタイトルを掴み続けるからこそ、常勝軍団という看板を掲げ、結果を得てきた鹿島アントラーズ。
Jリーグが開幕する前、鹿島アントラーズがここまで飛躍すると 誰が予想できたであろうか。
鹿島のコンセプトはブレることなく まっすぐだ。
ジーコ・スピリッツ。
今年もそれを軸に、鹿島アントラーズはタイトルを狙い走り出した。
●鹿島の根本 ジーコスピリッツ
Jリーグ開幕前、リーグで戦う10チームの内ほとんどのクラブは、前身である日本サッカーリーグ1部で戦うチームが基盤となっていたが、鹿島アントラーズだけは2部のクラブだった。
鹿島の前身である住友金属はまだプロリーグではない日本サッカーリーグの2部という、本当に光の当たらないチームだった。
そのチームにブラジルの超有名選手がやってきた。
それが、ジーコだった。
まだプロリーグを持っていない日本の二部リーグにW杯に何度も出場経験のある外国人選手がやってくることは異例中の異例だった。
ジーコはブラジル代表黄金カルテットの一人であり、ブラジル代表で10番を背負っていた超有名選手だ。
その選手が37歳を迎えた時、プロリーグ開幕を受けて参入すると表明した住友金属でサッカーをすることを決めた。
ジーコは住友金属に、そして日本サッカー界に多くの貴重な種を撒き続けた。
サッカーがまだまだ日本には浸透せずプロ化するといってもまだまだ技術的にも世界と比べると劣りに劣っていた日本で、数々の経験を教え込んだ。
自身がプレーすること、そして指揮することでチームを選手をクラブを そして日本サッカーを大きくした。
1993年。ジーコが加入して3年目を迎え、Jリーグ開幕。
誰もが日本のエース・カズこと三浦知良他、ラモス瑠偉、武田修宏、北澤剛、柱谷哲司など当時の日本サッカー花形選手を多く抱えるヴェルディ川崎が、舞台の中心となると思っていた。
しかし、2部からプロ入りし確実に力は不足しているだろうと思われた鹿島アントラーズが、ジーコを中心とした記憶に残るゴールの数々で快進撃をみせたことで、Jリーグは活性化され一気に鹿島アントラーズというクラブの名が知れ渡った。
Jリーグはじめての1stステージの頂点に立ったのは鹿島アントラーズだった。
あれから、22年。
鹿島アントラーズは22年で16タイトルを獲得している。
ジーコの撒いた種は今でも確実に育ち続け、ジーコと共にブラジル黄金カルテットの一人としてブラジル代表で活躍したトニーニョ・セレーゾ氏が二度目の鹿島の監督に就任し、ジーコスピリッツを守り続けている。
●チームの大きな存在の引退。そこで得た悔しさという大きな糧
黄金期―。
鹿島には黄金期と呼ばれる時期があり、その時期に活躍した選手たちが昨季シーズンを終えたと同時にピッチを去ってしまった。
柳沢敦。
中田浩二。
新井場徹。
鹿島を語る上では欠かせない存在といって良いであろう選手が ユニフォームを脱ぐ決断をした。
海外挑戦も果たし海外でプレーした時期もあったが、国内では鹿島アントラーズというチームに在籍することにこだわり鹿島以外のユニフォームを着ることを考えられなかったという中田浩二は
鹿島アントラーズ所属のまま 引退を決意した。
鹿島の多くのタイトルに貢献し、日本サッカーにも世代別代表として世界2位という偉業を残し、日本代表では日韓W杯というはじめての自国開催でのW杯に出場し、日本代表のフラット3と呼ばれた当時の日本代表の戦術の軸の一角としてプレーした。
はじめての世界ベスト16、そして海外でもたくさんの経験を重ね欧州2か国でプレー。
その後も鹿島アントラーズにはなくてはならない存在として、その経験をプレーでそして伝達者として伝えながら戦力として戦ってきた。
世界と戦った経験、そして常勝軍団であり続けるむずかしさの中で鹿島アントラーズというプライドを持って戦ってきた経験があるだけに、勝利へのこだわりはとても強く、どんな状況でも勝利への道を模索し、チームを動かした。
得点差があっても、時間がなくても、状況的に難しくてもどうすることで勝利に向かうことができるかをその経験が導いてくれた。
若い頃から注目を受け、期待されてきた。それは良いことだけはなかったはずだ。常にプレッシャーを背負い、自分に負けそうになるときも己を強く持つことで打開してきた。
その姿を見て感じてきた仲間たちが、鹿島には、居た。
昨年、J1最終節。
ガンバ大阪と浦和レッズという二つのクラブの優勝争いに注目が集まっていたが、鹿島にも逆転優勝のチャンスが存在した。
最終節、ガンバ大阪は徳島ヴォルティスに0-0のスコアレスドローという結果となり、鹿島としては2点差以上の差で勝利という結果を得ていれば、タイトルを手にしていた。
しかし、結果は0-1の完敗。
タイトルを最後まで諦めず手にするという気持ちで入った試合であり、大切な仲間である中田浩二を送り出す試合でもあった二度とない機会のゲームだった。
鹿島にとって大きな大きな存在だっただけに、中田浩二に最後に鹿島の大きな笑顔をプレゼントしたかった。
もしタイトルに手が届かなかったとしても、勝利で笑顔で送り出したかった。
中田浩二が残した功績と若手の中に残した存在感でこのチームはこんなに強くなったというところを魅せたかった。
しかし、結果的には完敗。
その結果を受けて、同い年でチームでは同期として、世代別代表でも共に戦い長い時間を共通してきたチームの大黒柱・小笠原満男は涙をこらえ噛みしめた。
ユニフォームを脱ぐという決断がどれだけ大きなものか理解しているだけに、大切な大切な勝利を送りたかった。
それができなかった悔しさが小笠原に重くのしかかり、己を責め、口惜しさが込み上げた。
その重さや悔しさは、小笠原がその日込めた気持ちの大きさがあったからこそ、だった。
手が届くかもしれなかったタイトル。
仲間を最高な形で送り出すことができなかった 自分たちの未熟さ。
鹿島アントラーズは16ものタイトルを簡単に獲ってきたわけではない。
苦しい時も、立ち止まった時も、自分自身に負けてしまいそうな時も経験し、乗り越え打開し、時間を重ねて強くなり タイトルを手にしてきた。
でも、今このチームでタイトルが獲れなかった。それが現実として突き付けられた最終戦の日。
しかし、それは重く悲しく悔しかっただけに大きな「経験」としてチームに、そして選手たちの心に残ったはずだ。
●偉大な選手たちの背中を観て育った世代の 「本物」になる日
今の鹿島アントラーズは若いチームだ。
昨年シーズンがはじまった当初は、鹿島の選手たちの名前を見て、いつからこんなに知らない選手たちばかりになったんだと驚いた人も多かったのではないだろうか。
今の鹿島はわからないと思っていた人でも、きっとこの1シーズンを終えた頃には鹿島のスタメンの名前は一人残らず印象に残る選手となっていたはずだ。
それほどにこの一年で鹿島の若いとされる選手たちは、飛躍し、記憶に残るプレーを見せた。
まだまだとされていた選手たちが常勝軍団鹿島という大きな看板を背負って、それに見合う選手になったといって良いだろう。
結果的に3位という順位でシーズンを終えた昨季。
今季ACLに出場する権利を得て、鹿島アントラーズ初のACLという冠を獲りに向かう挑戦をスタートさせた。
初戦は昨年のACL覇者オーストラリアのウェスタン・シドニー・ワンダラーズに1-3で敗戦。
それも昨年までサンフレッチェ広島に所属していた高萩洋次郎の活躍により敗戦という試合となってしまった。
鹿島の今シーズンスタートは黒星でスタートしてしまったが、まだまだシーズンはまじまったばかりだ。今年は長いシーズンとなりそうだからこそ早い修正を求められる。
ACLという場がはじめての選手も多く、今年は日程的な部分も含めてチームとして大きな壁にぶつかるかもしれないが、それをクリアしながら強くなっていくことが求められる。
悔しさは 強さとなる。
それを証明できるかどうかは、自分たちに懸かっている。
それを選手たちは理解し、重く背負っていることであろう。
もちろん狙うタイトルはACLだけではない。
リーグ優勝からは09年から遠ざかっている。史上はじめての三連覇から6年。
今年こそはという想いも 当然持っている。
常勝軍団鹿島で今、若き頃からジーコスピリットが浸透し、黄金期と呼ばれた偉大な先輩たちの戦いをサッカー少年期にテレビなどで観て、サッカーをし続けプロとなり、常勝軍団の一員となったことで先輩たちの背中を見て戦いを共にし そしてその背中を越えるために必死の努力を重ねてきた選手たちが、自分の足で立ち今、鹿島アントラーズの選手という自覚を持って戦っていることであろう。
鹿島アントラーズという偉大な暦を背負い、戦っているのだ。
16タイトルを獲っても、三冠や三連覇を達成しても、それぞれの歓びや節目があったが、当然クラブとして満足はしていない。
勝つことをひとつでも諦めてしまったり、求めなくなってしまったらそこで戦いは終わる。
鹿島アントラーズが求め求められるのは、頂点のみだ。
2015シーズンをACLで迎え、今日2戦目を迎える。
Jリーグ開幕も目の前まで来ている。
今年の鹿島アントラーズはどんな勝利を積み重ねるのか。
王者と呼ばれるのには、理由がある―。
勝利を勝利だからと満足せず、次の勝利を見据え、どんな時も勝利にこだわり続ける。
常勝軍団であることを背負った上で、タイトルを勝ち得てきたからこそ、だ。
王者という名前を飾りにするわけにはいかない。
2015シーズンも一番高いところを目指して 戦い続ける。