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【サンフレッチェ広島】 激化するポジション争い 柴崎晃誠が魅せるシャドー 【J1】

2015/04/30 21:32配信

Tomoko Iimori

カテゴリ:コラム

柴崎―。
といえば今、鹿島アントラーズの柴崎岳を連想する方が多いかもしれない。

柴崎岳は今、日本有数のプレーヤーであり能力が非常に高く、確かにその名を高校時代から響かせている。

しかし、柴崎といえば…柴崎晃誠。
と、いう人も少なくない。

彼もまた高校時代からその名を残してきたボランチのプレーヤーだが、現在はシャドーの位置でプレーする。

存在として地味と感じられることもあるかもしれない。
日本代表にも選出された経験を持つ柴崎晃誠だが、今は新たな可能性にチャレンジしている。

ボランチという枠から出た柴崎晃誠。
30歳の新たな挑戦。

●競争が激化する新たな可能性シャドーの位置


4月29日。
J1第8節が行われた。

横浜Fマリノスと戦うため、日産スタジアムへと乗り込んだサンフレッチェ広島。
サンフレッチェ広島は広島らしいサッカーに熟成度を増し、より一貫したスタイルで今年のJリーグに挑んでいる。
やることは同じく一貫している中でプラス要素を取り入れているが、今年は昨年までの広島から大きな変化があった。

広島のサッカーをいえば、佐藤寿人を頂点とした石原直樹、高萩洋次郎のシャドーで成り立つトライアングルが迫力のある攻撃を展開し、大きな武器だった。
しかし、石原直樹が浦和レッズへと移籍し、高萩洋次郎がウェスタン・シドニー・ワンダラーズへと移籍。
このトライアングルの関係は一人でも欠けるのが痛い位置ながら、二人の選手が移籍という道を選択したことで、今年の広島はどういったサッカーをするのかと注目されていた。
二人がいなくなってことで広島スタイルを変えることも余儀なくされるのか。それともシャドーの位置に選手を補強し広島サッカーを続けるのか。

注目されたシャドーの位置。
シーズン前のキャンプ時、そのポジションには柴崎晃誠が入った。
柴崎晃誠はボランチの選手であり、今までもボランチで活躍をし経験を重ねてきたが、広島のボランチといえば日本代表にも選出されている青山、そして広島一替えの効かない選手である森崎和幸が並ぶ。
柴崎はそのポジション争いにいたが、東京ヴェルディでも川崎フロンターレでも徳島ヴォルティスでもボランチとしてプレーしてきたTHEボランチである柴崎に 森保監督は新たなる可能性を求めた。

苦肉の策。
そう感じられるかもしれない。
確かに石原、高萩がいる状態でなら、そういったことを考えなかったかもしれない。
しかし、森保監督だからこそ柴崎をシャドーへとコンバートすることができたのではないだろうか。

森保監督は選手時代、ボランチでプレーした選手だ。
日本代表でもその存在感は強く、Jリーグ開幕当初からサンフレッチェ広島でプレーしチームを引っ張ったボランチだった。

監督となった今、森保監督の指導と要求は視野の広いバランスの取れた視点から、全体の細かなところまで指導を入れ、チームを創る。
試合を見る目、チームを創る役割として監督には能力が必要だが、監督の視点はポジションが大きく関係していることであろう。
ボランチは、試合の全体の流れとバランスをよくとれる選手でなくてはならない。
どこに誰がいて、誰が付いて誰を使っていくか…ボランチの選手だからこそ気づける部分や、生まれる発想もあるであろう。

その森保監督だからこそ、ボランチとして選手に要求するという部分で、ボランチが佐藤寿人を使いたい場合どういったシャドーに動いてもらいたいか。
どういったプレーをしてほしいのか。
だからこそボランチ柴崎晃誠をシャドーとしてコンバートしたのではないだろうか。

柴崎晃誠は攻撃のバリエーションを多く持ったボランチだ。
だからこそ、一段上がったシャドーの位置で佐藤寿人との関係性を引き出し、自らもゴールを狙う。
その力があると判断したのだ。

シャドーの二人が移籍したことで、そのポジションを狙ってトライをする選手がもちろん他にもいる。
サンフレッチェ広島は、Jリーグの中でもスターティングメンバーの平均年齢が高い。
スターティングメンバーである選手たちの平均年齢は30歳を超える。

若い可能性を探るチームが多い中で、広島はベテランたちからポジションをチームが明け渡すのではなく、ベテランの選手たちから若い選手たちがそれ以上のプレーをして勝ち取らなければその位置は譲らないという方針を取っている。
サンフレッチェ広島を表現する上で育成が遅れている、若手の起用がないなどという人たちもいるが、
若い選手たちが今、試合に出場している選手たちからポジションを自分の力で奪うことが本来必要なことであり、その競争があるからこそ、そのポジションを獲得したことに意味が生まれる。
自分で勝ち取れないようなら、その位置の重さはわからないであろう。

広島はJリーグ制覇した経験を持つ、経験豊富なベテランたちが多数在籍している。
それを越えるためには、相当な努力と力が必要となる。
若い力を育てるためにチームがポジションを用意するチームもある。その方法もチームの未来を考えるためのひとつの方法であり、否定するつもりはない。
今の広島の方針で若手が育たない将来はどうするんだと危惧する人もいるかもしれない。
しかし、その方針が若手たちに競争心をしっかりと根付かせる、森保監督の指導者としての愛情なのではないだろうか。
チーム1替えの効かない選手となった森崎和幸は現役時代の森保監督からポジションを奪い、今に至っているのだ。

シャドーの位置に野津田や浅野といった世代別代表にも選出されている選手たちも、当然競争に名乗り出ている。
チームの主力であった選手たちが移籍し、空いたポジションを多くの選手で競うことはチームレベルの向上にも繋がることとなる。
手を挙げたのは野津田や浅野、そして茶島。
その3名も途中出場やスタメンでの起用もあり、結果を出し始めている。そしてベテラン森崎浩司、そして新たな可能性である柴崎晃誠というカードも持ち、森保監督は多彩に使い分けている。

ドウグラスを京都から獲得し、佐藤寿人に一番近いポジションでプレーさせ、攻撃力に厚みを持たせた。
序盤は森崎浩司を配置し、森崎浩司の持つ巧みなテクニックによるキックと展開力で好調を見せていたが、肉離れにより離脱。
そのポジションを再び選手たちが競争する中で、チャンスをもらった一人が柴崎晃誠となっている。


マリノス戦でみせた、柏の素晴らしい位置に入れたクロスから、柴崎の放ったヘッドはゴールかと思われたが、マリノスDF中澤佑二にて弾かれてしまった。
中澤の世界を含めた経験故の スーパーなプレーで阻止されてしまったが、あのプレーから柴崎の今のシャドーというポジションへの適合が感じられワクワクさせた。

先日のFC東京戦。
好調東京との対戦となった中で、開始早々に失点を許した広島だったが柴崎晃誠のゴールが広島を勝利への道へ引き込んだ。
ドウグラスの突破も素晴らしかったが、ドウグラスがボールを持って突破しているときに中央に走り込んでいた柴崎へとボールが送られると、寄せた東京の二人のディフェンスの足の合間を射抜く、豪快なゴールをゴールど真ん中へ突き刺した。
普段からミドルシュートを放ってきた、ボランチ柴崎晃誠を感じさせる素晴らしいゴールだった。

ボランチの位置から前線の選手たちのプレーをみる、読む、動かす。
その経験が今、シャドーの位置でいきている。
青山、森崎和のボランチ位置からどんなボールが出てくるか、ボランチが試合を動かす上でどこにポジションを取っていれば良いか、どう動くことでボールが出てくるか。
それを柴崎晃誠だからこそ、知っている動きができるのだ。


二人のシャドーがいなくなったから
なんて言われたくないのは、このポジションに入る全選手の意思であろう。
新たな広島の可能性が、このポジションには詰まっているのだ。

●若き頃から名を刻んだサッカー人生

柴崎晃誠は、サッカーの街に生まれた。
長崎県国見町。そう、あの国見高校のある場所に生まれたのだ。
小さな頃から当たり前に国見高校という目標が生まれ、サッカーをやるということとイコールで国見高校がつながった。
小さな町に生まれた柴崎晃誠の住む場所の近所には、幼き頃から一緒にサッカーボールを蹴った徳永悠平(FC東京)が。
同じ小学校で同じくボールを蹴ってきた、渡邉大剛(大宮アルディージャ)。
国見高校に入ると2つ上の先輩には大久保嘉人、1つ上には徳永悠平、同い年には渡邉大剛や巻佑樹、1年下に平山相太や中村北斗、兵藤慎剛、2つ下には渡邉千真等がいた。
元々の才能や素質があったこともあるのだろうが、柴崎含めこの選手たちは国見での過酷な練習に毎日耐え、己から逃げることなく前を向き文字通り「必死」にサッカーを追い続けてきた結果、育った選手だちだ。

柴崎晃誠の高校時代は全国での戦いだった。
1.2年時には高校選手権で優勝。そして3年時には準優勝という3年連続決勝の舞台に立っているのだ。
何度かあった高校サッカー全盛期の1時代といって良いであろう。
2年時には大会得点王にもなった。

この時のポジションはトップ下。
裏に抜け出し、ゴールを狙う。こぼれ球に素早く反応し、ゴールを獲った。
この時の経験が今に生きているかもしれない。
柴崎晃誠にとってシャドーは国見で身体に染み込ませた感覚のひとつなのだ。
高校時代の柴崎晃成をみて、記憶に残っている人も多いのではないだろうか。大久保嘉人よりも平山相太よりも私は柴崎晃誠が記憶に残っている。

その後、国士舘大学へと進んだ。
高校時代、その名をすでに全国区にした柴崎の元へプロからの誘いももちろんあったが、人生設計を経て大学という道を選んだ。
大学では養父雄仁(ロアッソ熊本)と共にボランチを組むこととなる。
当時の国士舘大学を見た印象として、柴崎晃誠が強く記憶に残っている。
ボールを持つときの姿勢が良く、よく試合が見えていた選手だった。
左右で柔らかにボールを操り、レベルの高い関東の大学リーグの中でも群を抜いた巧みさを持っていた。

その後、東京ヴェルディ1969でプロとしての生活をスタートさせた柴崎は、国見の小嶺監督に続き影響力の大きな人に出会う。
その人が、現在ジュビロ磐田で指揮官を務め、日本代表の10を背負った選手である 名波浩だ。

当時の東京ヴェルディはJ2からJ1へと昇格するために服部年宏や名波浩といったジュビロ黄金時代の選手、外国人にはフッキを獲得し、監督はラモス瑠偉だった。
サッカーを知る能力と経験がある選手たちが揃っていた当時の状況の中で、自分はここでやれるのかという弱気な気持ちも生まれた。
試合で起用された時、大学サッカーで常に華を見せていた存在だった柴崎が、全く良いところナシで終わる日々。
それでも練習を重ねた。柴崎晃誠はどのチームでも自分の納得のいくまで練習を重ねる選手だ。

名波浩から繰り出されるボールの数々と、メイクするその能力を肌で感じながらボランチとしての能力を磨いた。

重ねた日々が形となりヴェルディではなくてはならない選手へと成長した柴崎は、J1昇格を経験。
はじめてのJ1を経験することとなるが、ヴェルディにとっては厳しい苦しい日々が続き、一年で降格してしまう。
昇格と降格をたった一年ほどの時間で経験することとなり、チームになにかを与えたかった柴崎は、自分の力の無さに自身を責めた。

そして再び影響のある人物に出会う。
それが大黒将志だ(京都サンガ)。
どのチームでも結果を出すストライカーである大黒はパートナーを見つけて細かい要求をする。
大黒は自分で持ち込むこともできるが、基本的には駆け引きのFWであり、生かされる選手だ。
ボールの引き出しに徹底的なこだわりをもっており、自分にパスを出す選手に厳しい要求をすることで知られる。
どのチームにいっても、そしてもちろん現在も、大黒にパスを出す選手たちに試合が終わると映像をみせ、パスのコースやタイミングを要求する。

この時俺はパスを待ってた。でもお前はココに出した。
そうじゃない。ココに出してほしい。

その作業を勝った試合でも負けた試合でも場面場面で繰り返しコミュニケーションを取り、要求する。
それは大黒のプロ意識。
ストライカーとして得点を獲るために、そしてチームが勝つために必要なことはすべてやる。

その努力とストイックさもまた柴崎に刺激を与えた。
能力だけでサッカーをするのではない。重ねた時間がプラスになる。それを知ったのだった。

要求された側の柴崎は、自分には見えていなかった大黒の視点を知り、学んだことであろう。
自分の感覚ではないところに、ボールを通す道があった。

大黒の要求は「指導」になった。
その時間が、柴崎を成長させることとなる。

はじめての移籍は、川崎フロンターレ。
川崎フロンターレでは豊富な運動量と強力なミドルを武器に、中村憲剛の相方としてボランチの位置に入った。
するとついに日本代表に選出され、柴崎晃誠の目指していた場所への挑戦権を得る。
しかし、はじめての日本代表ではなにもできなかった。
クラブで数々のトッププレーヤーたちと日々練習を重ね、試合に挑んできたが、それでもあった日本代表との「差」。
自分にはまだまだ足りないものがある。それを知った柴崎はより練習に時間をかけ、日本代表で学んだこと要求されたことを意識的に試合のプレーでも取り入れた。

フロンターレでは負傷もあり、その後試合に絡めなくなる日々が増え
レンタル移籍という形で戻った柴崎晃誠のプロ出発の場所、東京ヴェルディ1969。
昇格そして降格も経験したものの チームのエースとして大量に得点を重ねた大黒の相方として得点を生むことに貢献した柴崎は、ヴェルディサポーターの中では英雄の一人だ。
柴崎の帰りを讃え、期待を大きく持った。
柴崎といえば岳ではなく晃誠だというのは、ヴェルディサポーターの中では合言葉のような言葉だ。
しかし、充分な働きはできなかったというのが本音だろう。

その後、徳島ヴォルティスに移籍。
この移籍のタイミングで柴崎サイドからサンフレッチェ広島に逆オファーしたと言われている。
選手の代理人から、クラブに売り出しがあるのは珍しいことではないが、柴崎としては広島のサッカーをみて、自分がプレーした時のことをすでにこの時イメージとしてあったのだろう。
合わないところに売り出しは当然することはなく、自分のスタイルがこのチームでなら生かせるという自信もあったのだ。
しかし、広島はその時には獲得はしなかった。

徳島ヴォルティスへと移籍した柴崎は、徳島ヴォルティスの昇格に大きく貢献した。
得点力もあるボランチはチームの攻撃の可能性を引き出し、選手たちの欲しいところへボールを供給し続けた。
ディフェンスのバランスも整え、徳島ヴォルティスに新たな力を持ち込み、今度は影響を与える側となりサッカーを伝える活躍と影響を及ぼした。

プレーオフを駆け上がり徳島ヴォルティスは昇格を果たした。
そしてその時。徳島での活躍に注目し、サンフレッチェ広島が獲得を打診した。
柴崎からの逆オファーは無駄ではなかったのだ。
逆オファーがあったことで広島強化スタッフたちの目に付くことになった、きっかけを与えたのかもしれない。
選手編成の中で必要だと判断されたボランチに柴崎の名が矢として刺さったのだ。

念願叶ったサンフレッチェ広島・柴崎晃誠。

逆オファーをした年、サンフレッチェ広島はリーグ優勝し、徳島でプレーしていた年にも広島はリーグ連覇。
Jリーグで一番強いチームに逆オファーを出し、玉砕したものの その影でJ2で実績を付けリーグ王者から欲しいといってみせた。


一度、もう柴崎晃誠の時代は終わったと思われた。
正直、どこへいってしまったんだと感じた人も多かったのではないだろうか。

しかし、彼はしっかりとまだ地に足を付き、
広島にいる数々の新たなる影響の強い人物から新しい吸収をし、日々成長を続け可能性を秘めている。

柴崎晃誠。
ポジションはボランチ。そしてシャドーもトップ下もできる。


まだまだ柴崎晃誠は、終わってはいない。

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この方は広島の若手育成とか全く知らない方なのかな?

名無しさん  Good!!0 イエローカード0 2015/11/23|07:41 返信

宮原和也絶対に許さない。彼女いないって言ってたから体許してきたけど小浜絵里花とかゆーのが彼女wTwitterでかわいからフォロバして付き合いはじめたとかw試合前後ホテルに女に連れ込んでる場合じゃないから!

名無しさん  Good!!1 イエローカード12 2015/05/01|18:38 返信

しょーもな!
馬鹿に付ける薬無し。

名無しさん  Good!!1 イエローカード0 2015/05/26|19:33

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