CHANT(チャント) ベガルタ仙台

【3.11】 あの日、あの時。footballの絆【Jリーグ】

2016/03/11 23:59配信

CHANT編集部

カテゴリ:コラム


3.11―。

今年も3月11日を迎えた。
あの日から5年の歳月が過ぎた―。

もう5年。
まだ5年。

それぞれの捉え方があるであろうが、あの日からのことは月日がどれだけ経ったとしても、しっかりと覚えて伝えていくことが必要だと私は思っている。

東日本大震災が起きた あの日から5年。
あの日はまだ開幕したばかりのJリーグが、第2節を迎える前日だった―。


●footballが繋いでくれた絆

2011年3月11日。
14時46分。

大きな大きな地震が東北地方を中心に、襲った。
その影響で、大津波警報という今までに見たことも聞いたこともなかった警報が発せられた。
津波というとそれまで数十センチ海面が上昇する程度や観測という認識があった。
津波注意報や警報というものが発せられた時に押し寄せるのは、そういった規模のものだった。…それまでは。
自分の認識が相当な甘さだったのだと、自然の巨大さ、そして脅威をまだ知らなかったのだと思い知らされた日となった。
未だかつて聞いたことのない大津波警報は、たった数十分でそこにあった世界を変えてしまう、多くの人たちを奪ってしまう…想像を絶するものだった。


あの日。あの時。
多くのチームがJリーグ第2節を前に移動の最中だったこともあり、直接的に足止めとなったり、帰れなくなるなど混乱が起きた。
茨城県鹿嶋市をホームタウンとする鹿島アントラーズのホームスタジアムであるカシマスタジアムは、巨大地震によってスタジアムに被害が出た。
横浜Fマリノスのホームスタジアムである日産スタジアムでもガラスが割れるなどし、その他さまざまな混乱と被害が報告される事態となった。
ベガルタ仙台の選手たちはライフラインが途絶え、全員の選手と連絡を取るまでにも時間を擁し、一部選手たちはライフラインが途絶えたこともあり避難所で数日を過ごした選手もいた。

チームだけではない。

多くのサポーターも第2節を戦うために、アウェイ遠征へと向かっている途中で大きな地震が襲い、交通手段がストップしたことで帰宅難民化したことや
実際に津波の被害に遭われた方、家が流されてしまった方、その日からブログがストップしてしまっている方…

当たり前にその日を迎えるはずだった。そうであるはずだった。
Jリーグが行われること。
目の前に試合があること。
サッカーのある日常。

日々の幸せを感じながら生きなきゃいけないと思っていても、平和な日常を送っているとどんなに忙しい中でも、時間があってゆったりとしていても、
なかなか気づけない現実がある。
当たり前だと思っていた日々は、当たり前ではなかった。

Jリーグはリーグが始まってから初めて、リーグが中断された。
もちろんサッカーだけではない。
さまざまなことが、「それどころではなくなった」のだ。
大変なことが起きてしまってのだ―。

巨大地震による大きな津波による被害、大きな火災、原発事故…現実だとは思えないような時間が経てば経つほどに次々と明らかになる厳しい厳しい現実。
目を伏せたくなるような耳を塞ぎたくなるような現実の中で、なにかできないかと動き出した多くの人々。
スポーツ界の先頭を切ってサッカー界がひとつになって支援に動き出したことを昨年、振り返る形で文章にした。

http://chantsoccer.com/posts/653

海外でプレーする日本人選手たちは、戦いながら日本に向けてたくさんのメッセージを送った。
海外にいるからこそ、日本を尊重し、日本のことを愛し、日本人であることへの敬意を持って日本という国と向き合うことができているであろう日本人選手たちのそのメッセージは、
日本がひとつになるよう願い、一人でも助かってほしいと祈り、強い愛情を持ってガンバレ!ニッポン!と送られた。

チームに日本人選手が所属していることや、国籍を越えたチームメイトとしての友情、日本代表と今までに対戦したり来日した経験があったりと海外クラブや海外の選手たちが次々と日本に向けてメッセージを送った。
突然の自然被害によってたくさんの尊い命が失われてしまったことに哀悼の意を示し、遠い国から日本支援を行うと活動がスタートした。

国内では地域や応援するチームに隔たりなく、各チームが支援を行っただけでなく、サポーター発信で募金活動や、現地でのがれき撤去作業の補助に向かった人たち、
炊き出しや、支援物資を直接届けたりする人たちなど、自分たちに今なにができるかを情報を得ながら考え行動し、footballで繋がる仲間たちを支えようと、もちろんその他の人たちにも今助けが必要ならば動ける自分たちが力を出そうと
footballの絆を持った人たちの力がひとつに集まり、東北に向けて発信されたこと、実際に足を運んだ方が多かったことが、本当に逞しく、大きな力だと感じる毎日だった。

さまざまなチームのユニフォームやタオルマフラーを纏い、支援へと向かうJサポーターたち。
Jリーグのチームのものであるとわかるのは、footballの仲間たち。
それだけでひとつになれた。熱き深き絆を持って復興支援を行った。

ベガルタ仙台のサポーターの元へ、東北ダービーの相手でありライバル関係であるモンテディオ山形のサポーターが支援物資を直接届け、実際に現地でさまざまな手助けに動いた。
お互いが無事でよかったと涙を流し、無事を確認する姿が印象に深く残っている。
戦った相手は戦友である。絶対に負けたくない相手だが、そのライバルはfootballの絆がある友―。
なにか必要なことがあったら言ってくれ、困ったことがあったら遠慮なく頼ってほしいと告げる山形サポーターに、感謝を心から伝える仙台サポーター。
footballが存在しなかったなら。。ベガルタ仙台とモンテディオ山形というチームが存在しなかったら。
footballに出会い魅了されることがなかったら。
出会わなかったであろう、知ることもなかったかもしれない。

その絆はfootballが生んだ奇跡だ。
再びスタジアムで会うことを約束することができる、その幸せ。
当たり前に存在していたはずが、当たり前ではないと気づいた かけがえのないもの。


東日本大震災から5年が経過したが、まだ多くのJリーグクラブでは復興支援を呼びかけ、募金活動や現地へ行ってのサッカー教室の開催など、多くの支援活動を行っている。
TEAM AS ONEというJリーグ支援活動は引き続き行われており、時間が経つにつれてその活動にスポットが当たることが少なくなってしまったものの、それでも引き続きJリーグ全体で支援を続けていくという行動と活動を示すことで多くの人々に発信され、継続されている。

footballの絆は続いている。

●宮城県に立った日

2014年8月。
震災から約3年半が経過した仙台へと向かった。
震災のことを知るという目的ではなく、footballの日常の1ページとなるベガルタ仙台の試合へと足を運ぶためだったのだが、
やはりその地に立つということは、東日本大震災を想うということと繋がっていた。

仙台空港へと降り立つ。
仙台空港は被災地となった場所のひとつであり、津波が空港に押し寄せ、多くの人が空港に孤立した地だ。
その映像は記憶にしっかりと残されている。

飛行機から降りると、すぐに見える海。
そのあたりには過去にはなにかがあったのだとわかる、不自然に拡がる一面整備された土地が拡がっていた。
ほとんど凹凸なくきれいに整備されたなにもない更地。流されずに残ったのであろう一部の防風林たち、そして見えたのは新しいであろう多くのお墓たちだった。
そこには多くの津波や震災被害で亡くなられた方々が眠られているのだろうと感じ、無意識に自然と手を合わせた自分がいた。

ここに津波がやってきたのだ―。
映像で何度も見た光景が仙台空港の「今」と交差し、足が竦む。
北海道という東北からは近い位置に住み、身近で起きた感覚であったはずが、どこかリアルではなかった自分に気づかされる。
ここに今、起きてしまったら―。
そう重ねて見て考えてしまう。

レンタカーを借りたところから、ナビに従って市街地へと向かい車を走らせると、空港近くのその更地となった付近を通った。
その中にはポツンと建っている一軒の家があった。
その家の下半分は数本の柱だけの状態となっていて、半壊状態。
ほとんどの家や瓦礫が撤去されたその地に、一軒だけ津波の影響を受けたことがわかる家が残されていた。

胸が締め付けられるとはこのことだというように、苦しいと感じるほどになんとも言えない気持ちになる。
あの日、ここで―。
日常的に送っていた時に突然やってくる恐怖。
そう考えると本当に締め付けられた。

「今」という日常が、当たり前ではなく、かけがえのない幸せである。
そう、改めて感じ、当たり前ではないのだと日々に感謝しなければならないなと考えさせられた。

ベガルタ仙台のホームスタジアムである、ユアテックスタジアム仙台へと向かう。
その日は平日ゲームということもあり、スタジアムへ向かった時間にはまだ周辺にサポーターは少なかったものの、ベガルタグッズを身に付けた人たちと何度もすれ違った。
この街にはベガルタ仙台があるのだ、footballで通じることができる仲間たちがたくさんいるのだという気持ちになる。
遠征先でサッカーグッズを身に付けている人に出会うと、嬉しい気持ちになるのもfootballを愛する人たちだからこそ理解できる現象だ。

試合時間が近づくと、多くの人々がユアスタに集まった。
対戦相手であるセレッソ大阪のサポーターも多く到着し、経済効果が少しでも復興支援になるのであればといつも以上にスタグルを食べたという方や、ドリンクを飲んだという方々も。
多くのお土産を購入し、観光し、美味しいものを食べてと宮城県で楽しみながらお金を使うことで、支援に繋がるのであれば嬉しいと話すサポーターの方もいた。
自分たちが応援するチームと共に訪れる地で、対戦相手は敵であり仲間であるからこそ、お邪魔したときには仙台に限らず経済効果を生んで、サッカークラブの持つ可能性にプラスしたいとという想いを持っているサポーターは多い。


ここがホームスタジアムであると響かせる、チャント。
ベガルタ仙台のチャントが胸を熱くし、ここにfootballがあってよかったと、そう心から思った。

ベガルタ仙台があったことで、どれだけの人々が勇気をもらい共に戦うことで、立ち上がることができたのだろう。
たくさんの人々の想いが詰まっているからこそ、そして選手たちやチームの想いも強かったからこそあの年、ベガルタ仙台は本当に強く逞しく上位争いをし、大きな力を得て、そして発して。突き進んでいた。
2011年。多くの人々の希望となったベガルタ仙台を思い出す。

ベガルタ仙台 GO!行くぞ仙台
俺たちと共に Ready go!

その歌声は力強く、2014年も響き続けていた―。

震災から3年半ほどが経過した、日常であるはずの夏の日に
それを重ねてしまっては逆に失礼にあたるのかもしれないし、重ねられるのは本意ではないという気持ちを抱く人もいるかもしれないが、
私にとっては、その日。その地に立ったことが、震災と向かい合った日となった。


2016年3月11日。東日本大震災から5年。

吹田スタジアムで行われたガンバ大阪×大宮アルディージャでは、東北出身の今野泰幸がゴールを決めた。
この日にゴールをすること、ピッチに立ってサッカーをすることは特別な想いがあったであろう。

11日12日13日に行われるJリーグのすべての試合では、東日本大震災で亡くなられた方々に向け哀悼の意を込めて試合前に黙とうが行われることとなっている。

12日。
ベガルタ仙台は、同じく東日本大震災で被害を受けた地をホームとする鹿島アントラーズと対戦する。
お互いがあの日を想いながら、願い祈り、プレーをする機会となるであろう。
対戦相手でありながら仲間であることを確認しながら、試合では勝利に向かって全力で戦いぶつかる。

今年もJリーグがはじまった―。
footballな絆は今も堅く熱く結ばれている。


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5年という歳月が経った今も、完全な復興にはまだ遠く継続する支援が必要であり、footballの力をひとつに、届けることができると信じています。
なにをすることができるかを考えるだけでも、それは復興への支援への一歩となるはずです。


地震により被災にあわれた方々に心よりお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた方やそのご家族にはお悔やみを申し上げます。
一日も早く復旧を果たされることをお祈りすると同時に、被災された皆様が平穏な日々を一日でも早く取り戻せるようお祈り申し上げます。


2011.3.11
CHANT Tomoko Iimori

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