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【選手権】 第94回全国高校サッカー選手権大会開幕 歴史が刻んだ大会を振り返る 【高校サッカー】

2015/12/30 12:41配信

Tomoko Iimori

カテゴリ:コラム


日本サッカーの冬の風物詩がやってくる。
今大会で94回目となる全国高校サッカー選手権大会が今年も開幕する。

94回もの歴史を重ね、たくさんの日本サッカーを背負う選手たちが生まれてきた。
近年はJクラブの下部組織であるクラブユースに注目が集まりがちであり、日本サッカー全体の流れとして有望選手はクラブチームへと進むことが多くなっていることは否めない。
しかし、高体連だからこそ生まれる選手たちも、日本サッカーにおいて大切な選手たちだ。
Jクラブでも強豪大学でも、高体連の部活という場で揉まれてきた選手たちは粘り強く、折れにくく、日本人の持つ根性精神に富んだ選手たちが多いと口にする。

高体連という日本独自の育成の場。
日本サッカーの歴史の大きな一部である選手権に出たくて、選手権に憧れて。
高校を選択するという選手たちも多い。

高校サッカーの頂点を決める場であり、そのピッチに立ちたいという憧れを持って挑む場。
それが、選手権だ。


未来の日本サッカーを引っ張る存在がここからまた、生まれることになるであろう。
「日本の未来はここにある」。


今大会を前に
これまでの全国サッカー選手権大会で印象に残っている大会を振り返りたいと思う。


●両校優勝となったJ開幕イブのスター誕生。第70回大会

この大会はJリーグ開幕前年度、日本中がプロサッカーリーグができることへ向けてソワソワとしている頃だった。
急激にサッカーというスポーツに関心が高まっている中で行われた選手権は、有望選手たちが今後プロとなるJリーグクラブに進むとあって、世間の関心が高まった大会であった。
私が本格的に高校サッカーを観たのは、この大会がはじめてであったため、強烈に印象が残っている。
この大会がなければ、私のこのサッカー生活はスタートすらしていなかったかもしれない。

この大会の決勝カードとなったのは、四日市中央工業高校(四中工)×東京の名門・帝京高校だった。
注目はなんといっても当時四中工で17番を付けた、来季名古屋グランパスで指揮を執る小倉隆史、そしてガンバ大阪のレジェンドとなった当時帝京高2年の松波正信だった。
どちらもエースの存在が大きく、引かない戦いだったことを覚えている。
2-2のまま延長に入ったが、それでも決着はつかず両校優勝となった。

両校優勝という結果だったが、名門帝京よりも雑草魂のように駆け上がった四中工がインパクトを強烈に残した大会だった。
小倉隆史のプレーは、まだサッカーがよくわからなかった私でも夢中になれる魅力があった。
この人の今後が見たい。それがサッカーを観るようになったきっかけとなった。
四中工の三羽烏と言われた小倉隆史、中西永輔、中田一三はその後、Jリーグクラブへの入団が決まっていた。
小倉は名古屋へ、中西は市原へ、中田は横浜Fへと進むことが決まっており、三羽烏の中には入っていないもののもう一人の注目選手として挙げられることの多かった
島岡健太は当時JFLだった鳥栖へと進み、現在は関西大学サッカー部を率いている。

小倉隆史の付けた背番号17は四中工ではエースナンバーであり、小倉が背負ったのは2年生時からで、2代目のエースナンバーであった。
現在も四中工では特別な番号となっている。

●Jリーグ開幕直後のブームの中、生まれた偉大なGKとスターたち 第72回大会

この大会は本当に大きなブームとなった。
Jリーグが開幕し、世の中がJリーグに染まっていたといっても過言ではない。
全国に10チームしかチームがなかった頃であり、全国的にチームがあったというわけではないものの、Jリーグを見ていること自体がかっこいいとさえ思ってしまう錯覚になるような空前のブームだった。
その中で、行われた72回大会は大スターが生まれた大会だった。

なんといっても大会の優勝候補であった清水商業高校(現・清水桜ヶ丘)にスターが多かったためだ。
その中心でありキャプテンであったのが、GK川口能活。
その後日本のゴールを長年守り続けた選手である。日本サッカーについに有望なGKが、と騒がれ、その甘いマスクに女性のサッカーファンたちが夢中になった。
清水商業高校にはJ入りする有望選手が多く注目を受け、川口の他にもJリーグクラブへと進学する選手が5.6名いるなど、
そのスター性は高校とは思えないほどで大人気となった。
そして優勝という結果を残したことで、さらにその人気は不動となり、清水商業高校というブランドは一層輝きを増した。
国見との決勝を戦った、国立競技場の多くを清水商業高校の応援で満員に埋めた。

●大ブームの次の年、大本命が破れる波乱ながら新たな時代となった第73回大会

大ブームとなり高円宮杯、総体と連覇を続けてきたJクラブのような人気を誇った清水商業高校は佐藤由紀彦や安永聡太郎などが3年生で迎え、
卒業後Jクラブへと進む前年度優勝の時のスタメンを多く残している清商が優勝候補の筆頭に挙げられたが、まさかの初戦となった2回戦敗退で揺れた大会となった。
しかし、この大会は新たなるスターを多く生んだ大会となった。

初出場ながら優勝候補である清水商業高校を下し、ベスト4へと駆け上がった奈良育英のGK楢崎正剛、和歌山県代表の初芝橋本からは吉原宏太、
前年大会にも出場し超高校級DFと言われた松田直樹、今では名門として筆頭に挙げられるが、東福岡はこの年初出場となり小島宏美が一年生で活躍するなどした。
圧倒した強さで優勝したのは市立船橋高校。決勝で5得点という爆発的攻撃力を魅せた。

名門市船がJリーグを象徴するような華やかなサッカーをみせつけ、優勝した。
エース森崎や当時一年生FWだった北嶋秀明、2年生だった砂川誠、その後Jに進んだ鈴木や茶野など、多くのスターが生まれた。

●雪の決勝 黄金世代決戦 第76回大会

この大会は後に黄金世代と呼ばれる選手たちが多く出場していた大会である。
小野伸二率いる清商は、日本で一番過酷な予選と呼ばれる静岡県大会で敗退となり、出場はできなかったが
本山雅志が10を背負う東福岡、中田浩二が中盤を作る帝京高校の決勝戦は雪の中での決勝戦となった。
大雪となり白く染まる国立競技場で、カラーボールが使われた決勝戦。

名門、強豪と呼ばれる強きチームの戦いは東福岡に軍配が上がった。
雪の中茫然と立ち尽くす中田浩二の姿が記憶に残る大会となった。

小笠原満男や遠藤保仁、加地亮などを生んだ大会となった。


●強烈なゴールゲッター生まれる 第79回大会

なんといってもこの大会で大注目となったのは名門国見高校のエース・大久保嘉人だった。
得点王となる8得点を挙げ、どこまで大久保が記録を伸ばせるかというところに注目が集まった。
国見にはタレントが豊富で、1年生には平山相太、徳永悠平に巻祐樹、大久保の相棒役として松橋章太と
国見の厳しいトレーニングで鍛えられた選手たちが粒揃いで揃っていた。

初戦は難しいのは国見も同じく一回戦で苦戦をしたものの、それでも順調に勝ち上がり6得点を得た試合もあるなど強さを示した。
優勝という形で大会の頂点に立ち、国見一色となった大会となった。


●セクシーフットボールの異名 第84回大会

この大会は野洲高のセクシーフットボールが大会の中心となった。
11種類もあるドリブルを掲げ、個人技で打開しロングボールを使わないサッカーは、当時の日本サッカーの概念を大きく揺るがした。
乾貴士、楠神順平、青木孝太など多くの選手がJリーグでも活躍し、乾に至っては世界でその存在感を示す。

野洲のセクシーフットボールというひとつの独自の戦い方がサッカーの代名詞ともなった。
その他、淵野辺高校の太田宏介、小林悠など後にJリーグの世界で活躍する選手も多く生まれている。

大会を駆け上がり主役となった野洲が優勝を果たした。

●話題性に富んだチームではなく、総合力が生んだ結果 第87回大会

なんといっても話題は鹿児島城西の超高校級ストライカーと呼ばれた、大迫勇也が話題を独占していたといっても過言ではない。
鹿児島城西が優勝候補の筆頭としてあげられ、高校生レベルではないその高い能力に注目が集まった大会となった。

決勝まで勝ち上がった鹿児島城西。
歴代タイ記録であり、国見の平山相太が記録した9得点という大会史上最高得点に到達していた大迫が記録を破るかという点にも注目が集まった決勝となった。

決勝まで同じく勝ち上がったのは、広島皆実高校。
スター選手はいないものの、総合力で勝ち上がってきたチームだった。

決勝の舞台でも大迫は強力であることを示し10得点目をマークし大会記録を更新したが、今季東京Vにてキャプテンを務めた井林を中心とした守備が、力を合わせるとはこういうことというように一丸となり、死守。
広島皆実が総合力で一丸となり、優勝を掴み取った。

●優勝候補青森山田敗れる 第88回大会

天才と呼ばれた選手が選手権のピッチに立った。
柴崎岳は当時2年生ながらも、大会中メディアがパニックを起こすほどの注目を受けていた。
3年生椎名がキャプテンを務め、優勝候補に挙げられたチームだった。

が、山梨学院高校が伊部未蘭を中心とした強力な攻撃陣を持って決勝に進出。
優勝候補の青森山田を破り、初優勝を決めた。
山梨県はサッカーが盛んな地域ではなく、中田英寿という世界に誇る選手を輩出したものの
なかなか強豪校という立ち位置にはならなかったが、山梨学院大付属高校が選手権を制した。

柴崎岳は今大会のイメージキャラクターに起用されている。

年々、全国高校サッカー選手権大会は下部組織ユースが注目されるにつれ、注目が下降気味にあるものの
将来のスターが必ず眠っている場だ。
94回目となる今年、どんな選手が活躍を見せ将来のJリーグに、日本サッカーに影響を出してくれるであろうか。

近年、大会毎にキャッチフレーズや大会キャラクターが決められるようになったが
印象に残っているのは、小野伸二が大会キャラクターとなったときの直筆のメッセージだ。

小野伸二は選手権制覇を3回経験している名門・清水商に進んだが、その理由は選手権に憧れ、静岡の代表として選手権に出場したいという想いからであったが、
高校3年間、他の大会で全国タイトルを獲得しながらも、一度も選手権に出場することができずに3年間を終えた。

小野伸二が憧れを抱いた清商は、優勝した川口能活たちの代や、その次の年の佐藤由紀彦や安永聡太郎たちの代など、強き一時代だったはずだ。
当時、プロの日本人選手であっても海外から注目を受けることなどなかった時代だったが、中学卒業時にはすでに海外のチームからも照会があった日本サッカーが生んだ天才小野伸二。
憧れのままに清商を選択し進んだが、タレント豊富な清商であっても、そして自身の当時から飛び抜けた能力を持ってしても、選手権の舞台を踏むことができなかった。

3年生の時。
静岡県の県大会で、自らPKを蹴りそのボールがバーを叩いた。
その一点があれば―。
プロ選手になってからも、それを振り返ることが記されたメッセージだった。

バーに当たった時のボールの音は、今でも忘れることができません。
選手権に出た君たちに負けないように、僕も絶対にヒーローになる。
―絶対ヒーローになってやる。

この言葉は小野伸二が節目になると必ずといって良いほどに口にしてきた言葉だ。
ヒーローになりたい。
W杯に挑む前にもこの言葉を口にした。

全国高校サッカー選手権に出場したい、そのピッチに立ちたいと目指す選手が全国にいる。
その場に出場することのできなかった選手たちもたくさん存在する。

高校3年間の特別な時間。
全員で戦える年間の最後の大会。
特別な想いを持ち、迎える大会だ。

第74回大会、市立船橋が優勝した大会で使われていたキャッチフレーズ。
NEW HIRO'S BIRTHDAYという言葉がとても印象に残っている。


今年も新たなるヒーローが 全国高校サッカー選手権大会で生まれることであろう。
新たなるヒーローの誕生。

「日本の未来はここにある」。

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