リオ五輪・コロンビア戦に見る 日本サッカー界の抱える問題
2016/08/09 20:26配信
カテゴリ:マッチレポート
リオ五輪・男子サッカーはグループリーグの第2節に突入しています。
初戦でナイジェリアに敗れた日本は、第2戦でコロンビアと対戦。
ここで敗れるとグループリーグ敗退が決まる1戦で2‐2と引き分け
グループリーグの自力突破は無くなったものの、最終節に望みを繋ぎました。
日本はこの試合で、2点先行されながらも、その後2点を返して追い付き
数多くの決定機に恵まれながらも引き分けに終わるという
試合運びとしては非常に良いと言える引き分けだったことから
最終戦に向けてのモチベーションが落ちることは無いでしょう。
リオ五輪本戦での戦いにおいては、予選とは違い
基本的に、気持ちを前面に出して前からプレスを仕掛けていく試合運びを見せており
そういった、気持ちの面で切れそうにないというのは好材料と言えるでしょう。
442に戻した日本と4312が機能しないコロンビア
日本は初戦のナイジェリア戦で、予選とは違い直前合宿で固めた433で臨み
立ち上がりからシステム上の不備を衝かれ、立て続けに5失点して敗れました。
手倉森監督は「選手の責任ではない」と、最終ラインのメンバーは変えず
布陣を慣れ親しんだ442に戻してコロンビア戦に臨みました。
442は現代において、基本となるフォーメーションです。
各ポジション、または中央とサイドに2人ずつ置くことで
各選手の役割(チャレンジとカバー、攻撃と守備、あるいはエリアタスクなど)を
ハッキリさせやすく、あまり特殊ではないと言えます。
442を基準とした場合、3センターでは中盤の役割にファジーさが発生し
特殊な難易度となる可能性がありますが
442はそれより難易度が下がると言え、日本には合っていると言えるでしょう。
対するコロンビアは4312のようなフォーメーションでした。
前フリであった3センターの難易度はコロンビアを蝕み
前半は日本に攻略されてしまいます。
特に効いていたのは、右サイドハーフの矢島慎也です。
矢島は3センターがセットした時でも弱点となるインサイド脇を利用し
そこで起点を作り、右サイドバックの室屋成とタンデムを構成し
数多くのチャンスを作り出すとともに、相手守備陣を動かしました。
また、コロンビアは4312であるため、サイドの人数が足りなくなることがあります。
室屋が相手の左サイドバックと1対1が作れる時には
そのクロスのフィニッシャーになるべく中に入る形も見せました。
4312の場合、442のサイドハーフは誰が見るのか
3センターのファジーさ故に、ハッキリとしない時がしばしば在ります。
戦術的だっただけに、この決定機は決めたかったところだったでしょう。
前者は立ち上がりの前半1分と前半15分、後者は前半11分の決定機です。
ともに、矢島の戦術的な動きで、コロンビアの4312を攻略しつつありました。
テンション高く試合に入った日本の中でも特に役割過多気味ではありましたが
前半の主役は矢島だったと言えます。
442の泣きどころと、日本サッカー界の問題
442は基本となるフォーメーションです。
それは先ほども明記したとおりです。
昨今では育成年代においても、11人制における442での動き、プレーモデルを
まず基本の形として落とし込み、そこから他の布陣を、442の派生として教える。
そういった動きが広がっています。
ただ、442は基本とはいえ万能ではなく、弱点は存在します。
それは2ボランチの鼻先、2トップの裏のスペース
つまり、相手ボランチを誰が見るのかという問題が付きまといます。
そこを捕まえる、ボールマークをすることが重要なのですが
ボランチがそれを行う場合、同時に自分の空けてしまう危険なスペースのケアに
思い致さなければボランチ失格と言われてしまいます。
また、個人の問題だけではなく、そこをケアするシステムを構築出来ることが
指導者に必要な資質とも言えます。
とはいえ、442のボランチを担う選手にとっては
自分の守るべき危険なスペースへの繊細な意識が必要となります。
実は、このスペース管理の精度こそが、442の弱点であり、このチームの弱点であり
ひいては、日本サッカー界の慢性的な問題となっているのです。
つくづく、代表戦はその国の姿を如実に表すと言えます。
失点の1つ前、後半13分のシーンですが
前に食い付いた遠藤航が交わされ、カウンターを受けたような状態でした。
日本は最終ラインと、残っていた井手口陽介が前を向いて守備をする状態であり
ディフェンシブサードの手前において、その5枚での対応を迫られたシーンでした。
ブロックを作れていない状態であり、かつゴール前ではないので
この場合は、相手にゴール方向へとボールを運ばせずに
味方の戻りを待つことが最優先事項となります。
つまり、まず、一番使われたくない中央のスペースを埋め
アンカーのような位置取りをし、41のような形を作るべきと言えます。
しかし、この場面で井手口はボールホルダーへ真っ先に寄せるでもなく
CBの前のスペースを埋めるでもなく
まるで漂うかのような位置取りをして、効果的な働きは出来ませんでした。
相手がスピードダウンし、相手も味方の上がりを待ったため
中央に空いた大穴を突っ切られることなく、事無きを得ました。
そして、続く失点シーン、後半14分は言わずもがなです。
無理やり、回り込むようにボールを取りにいき、外され
スペースを相手に明け渡し、シュートポイントを与えてしまいました。
失点自体はシュートブロックに入った植田直通に当たって入った不運もありましたが
失点にならなかったとしても「1点もの」のこのシーンを作り出したのは
紛れもなく井手口となります。
何度となく繰り返される失態
井手口は直後に交代となります。
ビハインドを巻き返すために攻撃的に行く処置とはいえ
失点直後はガックリと運動量が落ち、メンタル的に引きずっている様子でした。
責任を感じていたというのは
「自分の判断ミス」という試合後の弁に表れています。
しかし、この「判断ミス」を2つの視点で見ると
日本サッカー界の弱点が浮かび上がってくるのです。
まず、井手口にとってこの手のミスは初めてではないということです。
今年の1stステージ第5節の横浜Fマリノス戦。
相手のロングカウンターの際に、相手ポスト役に中途半端に食い付き、潰せず
そのポスト役に、直後のロングスプリントで千切られてしまい
結局はそのポスト役にゴールを決められてしまいました。
この場面は、そもそもチームとして
攻撃のセットプレー時に残る選手が足りないという問題はありますが
だからこそ、安易に食い付いたりせず、後ろに残っていた藤春廣輝と連携し
2人でのチャレンジ&カバーの関係を作ることで適切な守備をすることが
これ以上なくシビアに求められる場面だったとも言えます。
そういう意味では、2vs2の対応を誤ってしまいました。
2つめとしては、これがA代表の選手でも、しばしば起こる問題だということです。
例えば山口蛍がボールに食い付き、外され、危険なエリアが空くというシーンは
A代表のアジアレベルでも、そして彼の所属するJ2リーグにおいても
たびたび起こるようになってきました。
この2つの視点を総合して考えると
ことさら、球際での強さが強調されるようになった日本サッカー界において
こういった「問題」が問題として認識されていないのではないかという疑問が生じます。
だからこそ修正しようがなく、同じパターンで招くピンチが減らず
「問題」が問題として認識されず、当然、解決にも向かわないため
海外では通用しないボランチしか育たないのではないかとの疑念が湧きます。
つまり、何が良くて何が悪いのかの基準が
欧州スタンダードから外れてしまっている可能性があるということです。
現に井手口も、試合後のコメントで
「自分が簡単に入れ替わられた。ゴール前はもっとシビアに行かないと。」
としていますが、これは単に
ボールを取り切れなかったことに対する反省に過ぎないのではないでしょうか。
そうではなくて、この場面で必要だったのは
シュートを打たせない、打たせたとしても方向を限定(アプローチ)するという
プレー選択の優先順位に則った判断力であったと言えます。
この危険なエリアで、一発で行って外されるということはあってはなりません。
ただ、一言で判断といっても、それが指導者によって仕込まれていなければ
「考えろ!」「判断しろ!」と言っても、正しい判断が出来るワケはありません。
JFAは育成年代からトップカテゴリーまで、球際の重要性を強調しています。
球際と切り替えはサッカーの本質とも言え、それは本当に重要なことです。
しかし、大事な事が抜け落ちたままだと、空虚なお題目と化します。
それは旧日本海軍の大鑑巨砲主義のように。
球際に強いことは紛れもなく強みです。
危険なエリアにおいてさえも、ディレイに固執する守備は問題です。
ただ、球際の強さを最大限生かすための手法が存在しており
そういったカバーリングの概念こそが、今の日本には必要です。
具体的には、ボランチの空けたスペースを後ろから順々に埋める仕組みや
ボールにプレッシャーを掛け、それとオーガナイズして最終ラインを上げることで
そのスペース自体を消す仕組みや
または、サイドが絞る、スライドを徹底するやり方など、複数のパターンが存在します。
そういった、〇〇した上での球際、という解釈に不備があること。
解釈に不備があるから、選手に落とし込めないこと。
だからこそ、何度も同じパターンを繰り返して、危機を招くことが
長く続く日本サッカー界の問題であり
それは、この井手口のプレーが象徴しているように思えました。