【流経大】 流通経済大学サッカー部を知る。 第一回・偶然ではなく必然 【連載】
2015/05/25 13:42配信
カテゴリ:コラム
茨城県龍ヶ崎市。
この地名を耳にしたことがあるだろうか。
サッカーに比較的どっぷりな方はピンとくる方が多いかもしれない。
茨城県龍ヶ崎市と聞いてイメージする第一候補は、流通経済大学であろう。
Jリーグが開幕してからサッカー好きの方々はチーム名とセットになる地域名が当たり前となり、その地域の名前を聞くとJクラブをイメージすることが多いと思うが
茨城県龍ヶ崎市には流通経済大学サッカー部がある。
大学のサッカー部という枠を超えた存在であり地域に密着している「チーム」なのだ。
今から十数年ほど前は、その名はまだ突然現れた新鋭といった存在だった流通経済大学サッカー部は今
Jリーグを中心に海外プロ選手も含め、70名以上のサッカー選手を輩出している強豪名門校だ。
毎年複数の選手がJリーグ入りし、多い時はなんと13名もの選手をJリーグに送り出したこともある。
試合に出場できる選手は11名。それ以上のプロ選手を輩出したということはどういうことなのか。
「プロ養成所」と例えられることが多い流通経済大学の本質を探りに
茨城県龍ヶ崎市に向かった。
●日本サッカー界に発信する流経大の強化マネジメント
ナビを頼りに車を走らせたこともあり、ナビの示す道を行くと両側には田圃が続くような長閑な風景が続いていた。
ここはサッカーをするには打ち込める場所なのかもしれないな、そう感じながら車を走らせた先はRKUフットボールフィールド。
人工芝2面とクラブハウスを持つ流通経済大学サッカー部の施設のひとつだ。
到着したグラウンドは周辺には建物がほぼない場所。
大学のサッカー部の施設とは考えられないほどに壮大な施設が拡がっていた。
施設横に建てられてている掲示板には、流通経済大学から巣立ったOBたちの写真が飾られていた。
現在プロ選手を毎年複数輩出する流通経済大サッカー部だが、強化を始めてからの歴史はまだ浅い。
最初にJリーガーを輩出したのは2002年内定の阿部吉朗(現・松本山雅)。以降70名以上のJリーガー・JFL選手を輩出している。
その選手たちの顔ぶれと年代の歴史を振り返ることができる掲示板のOB選手たちの名。
流通経済大学からこれだけの選手たちが育ったのはなぜなのか―。
まずは今現在の流通経済大学の施設を見せていただくことにした。
環境。
それはまずその「場所」を知ることが大切だと感じたからだ。
時間よりも早く到着した私たちを案内してくれたのは、流通経済大学サッカー部コーチの大平正軌コーチだ。
流通経済大学の10名ものコーチがいるが、大平コーチは流通経済大学サッカー部が持つひとつのチーム、JFLへ参加している流経大クラブドラゴンズ龍ヶ崎で監督を務めている。
関東選抜の監督や、ユニバーシアード代表のコーチ経験もあり、S級ライセンスも持っている大平コーチは流通経済大学の名将・中野雄二監督と共に流経大の歴史を築いてきた方だ。
高校生スカウトの仕事もこなし流経大サッカー部の強化に大きく関わり海外遠征も大平コーチ主導で行われており、毎日の選手たちのサッカーノートのチェックも行っている。
多くの卒業選手たちから話を聞くと、中野監督の存在の大きさはもちろん大平コーチの名前も必ず語られる大きな存在だ。
RKUフットボールフィールド。
人工芝グラウンド2面
クラブハウスは工費8千万円というから驚きだ。
クラブハウスにはロッカルームの他、スタッフルーム、応接室、監督室等が揃っている。
選手たち、そして流通経済大学の歴史が刻まれている部屋もあった。
流通経済大学サッカー部に在籍し4年間を過ごす選手だけでなく、自分のプレーを変えたいといった理由や成長したいという理由で一か月や二か月といった短期間でサッカー部で練習を重ね、プロになった選手もいる。
その期間だけの練習になると登録はせずに練習だけの参加となるが、流経大サッカー部の指導を受けサッカーと向き合うことで得られるものを習得していくのだという。
日本人だけでなく韓国にもその影響力は届いており、留学生の受け入れや練習参加も行っている。
現在カタールリーグでプレーし、日本で長い間プレーし人気を博したチョ・ヨンチョルもその一人だ。
流経大で短期間練習を重ねたヨンチョルは今でも流経大のおかげだと言葉にし、感謝を忘れない。
そういった多くのOB選手や流経大で練習を重ねた選手たち、中野監督や大平コーチの指導を受けたことのある選手たちが感謝の込めて持ってきたユニフォームがクラブハウスにたくさん飾られていた。
それも流経大が積み重ねた歴史のひとつなのだ。
人工芝グラウンドの他に、興味深い施設も併設されていた。
それはドイツで採用され、ドイツのサッカー施設として数万機が国内に設置されたことでドイツサッカーのレベルの全体の底上げになったといわれているサッカーコートがそこにはあった。
フットサルコートほどの大きさのコートは、四方を壁に囲まれている。出入口も鉄製の頑丈なものだ。
ゴールのサイドネットとなっている入口から入ると、そこは出ることのできないサッカーコート。
そう。ここはボールが外に出ることのない永遠とプレーが続くサッカーコートなのだ。
ドイツのものは天井もネットになってるみたいなんですよ、と大平コーチが教えてくれた。
このコートでサッカーをすることでプレーが止まらずハードなサッカーをすることができること、そして壁を使ってのパスを出したりといったバリエーションあるサッカーをすることで頭脳サッカーができるようになるという。
確かに壁には無数のサッカーボールの跡が刻まれていた。
このボールの跡の数だけ、流経大の選手たちはプレーを磨いているのだ。
このコートがドイツ国内に無数に建てられたことにより、ドイツの選手たちの技術が向上し今代表で活躍する選手たちを育成したひとつの理由だったと言われているという。
こういった施設が日本にも導入されるとこれからの日本のサッカーに変化があると思うと考え、まずは流経大で導入し発信する。
それが中野監督が考える日本サッカー強化への発信のひとつなのだという。
その隣にはビーチサッカーグラウンドがあった。
敷き詰められた砂。ザクザクとしたそのグラウンドでは当然足腰が鍛えられる効果があるという。
今はGKが主にその場所を使いトレーニングを重ねている。
流経大がプロ選手を輩出し続けるところでひとつ注目したいポイントは、GKの輩出も多いところにある。
GKをコンスタントに育てるという方法は難しいと感じるが、流経大からGKのプロ選手も多く輩出されているのは、こういったトレーニング方法もひとつの鍵となっているのかもしれない。
この砂も中野監督は考えに考え選択した。細かすぎる砂だと風で飛ばされてしまうが、粗すぎると当然痛みを感じてしまう。
サッカーをする上で、そして施設を維持する上でと考えぬき選択した砂なのだ。
日本のサッカーの弱点のひとつはGKだと言われることが多いが、それを重々重く受け止めGK強化に流経大として一石を投じ、育てていきたいと大平コーチは話す。
ただ大きいだけではダメ。世界有数の大型FWにも対応できるGKが必要であると唱える。日本サッカーに必要なものはなにか―。
施設を見せてもらいながら大平コーチのたくさんのお話を聞かせてもらう中で驚いたのが
流通経済大学は自らの流経大という枠に収まらず日本サッカー全体の向上のために流経大がなにをしていくべきかを考えているという点だ。
流経大が強ければ満足なわけではない。
日本サッカーにどういった選手を送り込めるか、今後の日本のサッカーにどういった選手が必要か。
日本サッカーがもっと向上するためにはどういった動きが必要かを考え、流経大は動いてるのだ。
東京五輪に選手を輩出したい。
2020年に開催されることが決まった東京五輪。
日本国内の注目はいつもの五輪以上になること必至だが、その五輪に流経大からサッカー代表選手を出したいと考え、すでにそのプロジェクトは動き出している。
それを見据えて選手をスカウティングし、育てる準備がもう始まっているのだ。
今年は流通経済大学サッカー部創立50周年の節目の年となっている。
その創立50周年を見越していつも以上に強化を進め、その節目の年に大きな結果を残すようにしっかりと考えられたシナリオがあり、それに向けて強化されてきている選手たちが今、今年は強いと評価されている選手たちなのだ。
毎年プランがなく強くなった年があったわけではなく、プランを持ち先をみてチーム作りをしているという。
今年は強い・今年の4年生は粒揃いと言われるのは偶然ではなく、この50周年の節目を見越して準備されてきた必然の結果なのだと聞き驚いた。
ただ単にサッカー部として毎年求めている結果なのではなく、強化の先には日本サッカー界があり、理由がある。
しっかりとマネジネントされているのが、流経大サッカー部なのだと知った。
(第一回 終。次回に続く。)
誤 RYUフットボールフィールド 2箇所
正 RKUフットボールフィールド
名無しさん | 1 0 |2015/05/27|08:43 返信
大変申し訳ございません。訂正させていただきました。
ご指摘ありがとうございました。
Tomoko Iimori | 0 0 |2015/05/27|16:40