【FC東京】 東京を動かす力 石川直宏が重ねた戦いの日々が今 【J1】
2015/04/15 12:06配信
カテゴリ:コラム
ナナナナナナナナナ 石川ナオ
ナナナナナナナナナ ナオゴール
東京サポーターの踊るような声が響き渡る。
チームの象徴的存在であり、チームの活力の中心でもある石川直宏。
いつしかベテランとなり、迎えた33歳。今年もう少しで34歳を迎える東京の「顔」は
まだまだ終わってはいないと、その姿を魅せサポーターを惹きつけた。
●苦しんだ昨季。待っていたのは「FC東京」全体だった
昨季、椎間板ヘルニアに苦しみ、リハビリにも時間を要し3試合のみの出場となった。
サッカー選手として3試合の出場は当然少なく、ベテラン選手としてそれだけの出場に留まると契約の部分で心配を抱えるほどの一年だったといえるだろう。
今季も東京でプレーできることと決まった時に胸をなでおろしたサポーターも少なからず存在したはずだ。
チームの顔であり象徴である石川直宏は、東京サポーターにとって、なくてはならない選手であり、いつまでもワクワクした気持ちを抱き、なにかやってくれると期待を懸ける選手であろう。
石川直宏全盛期を知らない人であっても、石川直宏の名前は知っているものだ。
FC東京において、そして日本サッカー界において、自然な形でレジェンドとなってきているから。
石川直宏は元々マリノス出身の選手だ。
ジュニアユース時代から横浜で育ったFマリノスの選手だった。
今考えるとどのへんが狭間の世代だったのかと考えてしまうほどに、後に考えると濃いメンバーだったアテネ五輪世代。
その中心的選手として石川直宏はプレーしていたがマリノスではトップ昇格後は出場していたものの、その後は出場機会が少なく、出場機会を求めてFC東京に当初はレンタルという形で移籍し、マリノスに戻ることなく完全移籍となった。
アテネ五輪前の21歳の時、FC東京の石川直宏が誕生した。
あれから13年目を迎えた今年。
マリノスでスタートしたプロ生活だが、石川直宏といえばFC東京、FC東京といえば石川直宏というイコールで繋がる印象はいつの日が形成され、当たり前となった。
昨年は武藤の活躍もあり、日本代表に多く選手が選出されたことでFC東京に世間の注目が集まった。
その中で、石川直宏の名前を聞くことはメディアではほとんどなかったが、注目され新たな選手たちが育っていく中でなにか足りないものを感じていたサポーターも多かった。
東京サポーターは、その帰りを待っていたのだ。
今年のナビスコ杯初戦。
ホーム味の素スタジアムで行われたアルビレックス新潟戦にて石川直宏がスターティングメンバーの中に名を連ねたことに、いてもたってもいられえない高揚感を抱いた人が多かったのではないだろうか。
待っていたのはサポーターだけではない。
ピッチ上の選手たちも、努力を重ねる日々を送る中でサポートしてきたスタッフたちも
そして石川直宏本人が 一番その時を待っていたのではないだろうか。
味スタのピッチに立って、東京サポーターと時間を共有する。
共に戦い、共に歓ぶ
その時間を誰よりも特別であることを知り、大切にしてきた13年。
昨季、3試合のみの出場となってしまい、自分の思うように身体が動かず我慢した時間が長かったからこそ
スタンドでFC東京の試合を見守った時間が長かったからこそ
ピッチに「立つ」想いは募ったはずだ。
今季はキャンプから好調を維持し、メンバー内となる選手の選考の中に石川直宏も数えられていた。
監督の中に石川直宏を起用するプランも開幕からあったと思われる。
開幕前に負傷した太田宏介の出場が危ぶまれたこともあり、遠征はいつもよりも一人多い19人で大阪入りしたFC東京。
しかし、結果的に太田は強行出場を選択し、ベンチに入れなくなった選手は石川直宏だった。
遠征メンバーに選出されたということは、試合を戦う上で現状としてベストな選手であり、さまざまな想定の中でこの選手を使う場面が来るかもしれないと想定して選出することとなり、その中に石川直宏が入っていたということだ。
しかし、一人だけ多く連れて行った遠征メンバーのその一人というポジションとなってしまった開幕戦。
一人、スタンドから眺めるという開幕戦。
開幕戦というシーズンのはじまりの大切な試合。そしてアウェイ。
アウェイスタジアムのスタンドからチームを見守らなくてはならないその時間が、悔しくないわけがない。
33歳のベテランともなれば、いろいろな場面を経験し、悔しいことだって山のように経験済みであろう。
しかし、それが悔しくないわけはない。経験したことがあるかないかではなく、その場でその立場になることはベテランであっても若手であってもどんなにメンタルが強い人間でも悔しいという感情でいなければならない場面だ。
久しぶりに名前が呼ばれ遠征メンバーとして帯同したときには、やってやろうという気持ちを持っていたはずだ。
そうでなければ戦えない。
長い時間を我慢で過ごしてきた昨季。練習中、footballと向き合う姿は常に真剣そのもので自分自身を確かめながら向上してきた。
石川直宏は試合に出れなくとも戦ってきた。
スタンドで見守る仲間たちの戦い。しかし、スタンドに試合を観に行ったわけではなく、戦いにいった。
それができなかったことで石川直宏の闘志にさらに火をつけたのかもしれない。
スタンドからのピッチの距離。その距離を改めて突き付けられる日となり、ピッチに立つ側となることを改めて貪欲に求めることとなった日。
その後、ホーム開幕戦となった横浜Fマリノス戦。
この試合を待ちに待っていたサポーターも多かったことであろう。
アウェイの地まで足を運ぶことのできないサポーターも多く、シーズンのはじまりとなるホーム開幕戦は久しぶりに見るチームとなり、今年はどんなチームとなっているか期待を胸に集まるサポーター。
しかしこの試合は東京にとって、厳しい試合となった。
負けはしなかったが、良いところもない試合となった。
期待していたホーム開幕戦とは全然違ったものだったと感じたサポーターが多かったのではないだろうか。
ナビスコ杯、初戦。
その日、発表されたスターティングメンバーの中に石川直宏の名前があった。
その名前に思わず声をあげた人も多かったのではないだろうか。
ついに石川直宏がスタメンで、味スタのピッチに立つのだ。
待ちに待った、そんな時だったであろう。
長らくピッチを離れているベテラン選手が入ることにより、不安を抱くことが通常は多いのかもしれない。
しかし、ホーム開幕戦で良いところナシで終わってしまった東京に、なにかを与えてくれるのは石川直宏だと信じ、期待する。
東京といえば石川直宏というあの「武器」が帰ってきた。
その期待に応える形で
そしてその機会を自らモノにする形で
石川直宏「らしい」姿で、その時間はやってきた。
ボールを受け、代名詞ともなっているスピードに乗り、緩急を付ける。
そのスピードは観ている側でも感じることのできる石川直宏独特のスピード感であり、おそらくピッチ上で相手として戦っている側はもっとそれを感じ、嫌な相手となっていることだろう。
緩急をつけるそのコントロールは、止めることが難しい。
そのスピードの緩急の中で見定めている狙いどころ。
培った感性と感覚が、ココだと呼んだ。
左足から放たれたシュートは、ゴールに吸い込まれていく。
そのあっという間の瞬間ながら、記憶に鮮明に残るようなハッキリとした特別な瞬間になっていた。
平日開催でありナビスコ杯。
いつもよりもサポーターは少なめ。しかし、味スタのスタンドから突き上げる歓声。
大きな大きな歓声は、スタジアムを揺らした。
声にならない声での歓声はスタジアムを包み、たくさんの人が手を空に突き上げた。
―石川直宏のゴールが決まったのだ。
この時を待っていた人も当然少なくないが、意識的に待っていたわけではない人でも、その瞬間を目にして帰ってきた!と感じたことであろう。
味スタでゴールを決める。
その特別な瞬間を誰よりも歓んだのは、石川直宏本人だったのではないだろうか。
結果、そのゴールは今季FC東京初勝利へと繋がった。
石川直宏が今年初めての勝利にゴールという形で貢献した。
勝利の時に歌われる 眠らない街東京の大合唱をピッチから耳にする。
石川直宏のチャントと、呼ばれる本日のシャー。
歓びをサポーターと分かち合うその時間は特別で格別で大切で
東京にいるという実感を一番感じることのできる時間となる。
石川直宏のゴールで手にした勝利は、ひとつひとつの勝利も重いものだが、この日石川直宏が帰ってきた勝利となり格別だったことであろう。
繋がってきた石川ナオへの想い。
サポーターから放たれるその想いを石川直宏自身が一番感じてきたはずだが、この日再びがっちりとお互いの通じ合いを感じることができたのではないだろうか。
●ナビスコ後、リーグで魅せたナオゴール
その後、4月4日。
リーグ戦では490日ぶりとなる、ゴールを決めた。
米本がボールが渡るその瞬間に走り出していた、石川直宏。
長年一緒にプレーしたからこそわかる、阿吽の呼吸というのはあのことをいうのであろう。
走り出していた石川直宏が信じて走ったその場所に ピタリと米本のボールが運ばれると、それをワントラップし、左足で振りぬいた。
椎間板ヘルニアとなり、思うように回すことのできなかった腰。その時間はもう終わったのだ。
力強く腰を回し、石川直宏のフォームでシュートを打ち切った。
そして、そのゴールは再びサポーターを歓喜で包んだ。
石川直宏から放たれるパワーがサポーターは 大好きなのだ。
ナナナナナナナナ 石川ナオ
ナナナナナナナナ ナオゴール
いつまでも響き、人々は笑顔で讃える。
気持ち良ささえ覚え、このチャントを歌えることが幸せというサポーターもいる。
ここまでの道は簡単なものではなかった。
期待されたアテネ五輪。
たくさんの仲間の落選もあったからこそ、絶対に結果を残さなければと背負い挑んだ世界の舞台。
結果は、惨敗。
世界の壁を前に、悔し涙を流した石川直宏の姿は今でも記憶に焼き付いている。
その後、代表で活躍していくかに思われた矢先の大けが。
十字靭帯断裂と半月板損傷を伴った大けがは、石川直宏のサッカー人生を変えたという人もいる。
しかし、その怪我がなかったら…ではなく、その怪我があったからこそプレースタイルの幅が広がった。
持ち前のスピードが失われたかに感じられたこともあった。しかし、怪我をしたことで出来ることの幅が広がり攻撃の選手として万能型となり、新たな石川直宏が生まれた。
2009年には誰もが認めるベストイレブンに輝き、大けがを感じさせない石川直宏を感じることができた。
十字靭帯、半月板、そしてヘルニア。
選手として重傷とされる怪我を多く乗り越えてきた。
うまく回復することができず、ピッチを去らなくてはならない選手もいるほどに大きな怪我であるこれらを乗り越えたのは奇跡ではない。
選手生命に関わるような大きな怪我だったからこそ、見えないところでの努力の積み重ね、そして苦しい日々の積み重ねが存在しているはずなのだ。
奇跡のように石川直宏に与えられた回復ではなく、石川直宏が東京のピッチに立つために乗り越えてきた、大きな壁なのだ。
アテネの時にぶつかった大きな壁よりも、大きな壁だったこともあったかもしれない。
そこで流した涙も、存在したかもしれない。
その分、石川直宏は強くなって戻ってきてくれるのだ。
試合に出られずスタンドで眺めた数だけ、強くなれた。
誰もが忘れることなく、サポーターに待っているという言葉をかけられる。
待っていてくれる人がいるからこそ、そこに戻りたかった。期待を裏切りたくなかった。
東京が注目されていく中で、東京を強くしたい、東京をもっと大きくしたい
重なったその想いは、石川直宏を大きく強くした。
サポーターに向かっていく 石川直宏。
特に厳しいこともある。言いたいことを言われたこともある。
それでも長い時間を過ごしてきた、自分を信じて待っていてくれた、「同志」だ。
その声に、全力で応え共通する時間が石川直宏は 大好きなのであろう。
お互いを特別な存在であると意識する、固い絆。
今季のFC東京は、石川直宏だって主役になる。
戦う石川直宏から、目が離せない―。
決勝点は林なのです。。
名無しさん | 0 0 |2015/04/16|00:21 返信
大変失礼いたしました。
訂正いたしました。ご指摘ありがとうございました。
そして、読んでいただきありがとうございます!
飯守 友子 (CHANT編集部) | 0 0 |2015/04/16|08:13