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【FC東京】 久保建英という日本の未来 FC東京下部組織に入団か 【U-15】

2015/04/07 14:34配信

Tomoko Iimori

カテゴリ:ニュース


日本に生まれた天才が、ついに帰国を決断したようだ。
まだ若干13歳。
しかし、彼の名はプロサッカー選手たちよりも有名かもしれない。
日本から遠く離れた名門中の名門スペイン・バルセロナで選手としての人生を歩んでいた彼のプレーが、日本で観られるようになる。


サッカーの神様が日本に産んでいったのは、久保建英くん。
天才として騒がれた時はまだ一桁の年齢だった彼は今、中学生の年となった。
小さな頃からバルセロナのカンテラで育つというのは異例中の異例。
日本サッカーという枠を飛び越えて育った彼は、日本でどんな姿を見せてくれるのだろうか。

●6歳の時に設定したのは 夢ではなく「目標」

神奈川県神奈川市にて2001年に産声を上げた。
2000年以降の生まれということに改めて驚かされる。

久保くんが最初にバルサに入団したいという目標を持ったのは、6歳の頃だったという。
6歳の頃の夢。ではなく「目標」。
この夢のような言葉を「目標」と捉え、そのためにはどうするかと本気で取り組んだ久保くんはもちろん、親御さんに至っても本当にすごい決断だと言わざるを得ない。
私自身、一人の子供の親としての立場ではあるが、子どもが6歳の頃に口にした夢を目標と捉え、それに向かって邁進するような生活が送れたのかというと無理だったであろう。
その頃に芽が出ていて、可能性を感じていたとしても、それでもその高い目標設定を現実のものとして受け止め取り組むには相当な努力と情報量、そして行動力が必要だったはずだ。

その目標に向かっていく上で可能性が拡がるのは、バルセロナの下部組織に入ることだったという。
下部組織に入るためには日本で開催されるバルセロナキャンプに参加すること。それが大きな一歩だった。

久保くんがバルセロナキャンプに参加したのは、2009年のこと。
そして見事MVPを獲得する。それは偶然でもたまたまでも僅差で獲得したのではなく、久保くんしか考えられないといったレベルでの獲得だったという。
その直後に、川崎フロンターレジュニアセレクションに合格。
全体で600人が参加したセレクションの中で、小学校3年生で合格したのはたったの3名。
その中の一人が久保くんだったのだ。

2010年には、バルサキャンプの特典としてバルセロナスクール選抜チームに参加し、大会に出場した。
そこでも存在感をしっかりと示し、その大会でもMVPを獲得する。
当時の年齢は8歳。7試合に出場し、6ゴール1アシストの結果を残した。

翌年、2011年にはバルセロナカンテラ(下部組織)コーチである、オスカル・エルナンデス氏に推薦され、バルセロナの下部組織の練習に参加。
その頃、川崎フロンターレでも飛び級し、4年生でU12のチームに昇格した。

練習参加が実質的な入団テストとなり、合格となった久保くんは2011年9月。
10歳でバルセロナカンテラで契約を交わした。
これも特例だった。本来であれば13歳未満の選手はカタルーニャ自治州出身でなければ契約しないのだが、久保くんは特例で10歳で入団が認められたのだ。


バルセロナのカンテラとは、トップを頂点としたピラミッド型の下部組織のことである。
Jリーグも同じく下部組織をピラミッド型に考え組まれているが、バルセロナはさらに細かく10のカテゴリーに分類されている。
常にトップチームと同じシステムでプレーし、トップの選手を育てるための機関として位置づけられ、一貫したバルセロナのサッカー哲学を各カテゴリーで植え付ける。

現在バルセロナ、そして世界のスーパープレーヤーとして名前が一番に挙がるであろうメッシも、このカンテラ出身なのだ。

久保くんのプレーを観た人は誰もが、「異次元」という言葉を使う。
日本人のプレーヤーとしては考えられなかった姿がそこには、在る。

日本に生まれたサッカーの申し子は目標を設定し、その目標に向かって進み続けていた。
しかし、思いもよらない事態となる。

EU圏内では16歳未満、圏外では18歳未満の選手の国際移籍を原則禁止とするFIFAの規約が存在し、その規約に違反しているとして、バルセロナがFIFAから該当選手たちの活動停止を命じられた。
それが2013年2月のことだった。
その該当選手に久保くんの名前はなかったものの規約違反として指摘されることが考えられる久保くん他2名計3選手の出場に関して、バルセロナは自制することを決めた。
FIFA公認試合に限らず、FIFA非公認の試合であっても出場できない日々を送ることとなってしまったのだ。

その後、バルセロナはスポーツ仲裁裁判所にFIFAの処分取り消し、または軽減を求めて上訴した。
しかし、棄却。
その後争う道もあったが、その道を取ってしまうとすでに何年も試合に出場できていない選手が出てきてしまっている上に、結果に数年かかってしまうことでこれからも試合に出場できない環境が続くことは所属の未来ある子供たちを潰してしまう可能性もあるため、バルセロナはこれ以上の追及を断念した。

結果、EU圏外の国籍選手である久保くんは、18歳まで出場できないこととなってしまう。
10歳の早い時期に入団した彼だからこそ、その期間は最長となってしまった。
バルセロナで練習を重ねることはもちろんプラスであることであろう。
しかし、この土台の一番大切な時期に試合経験を重ねられないというのは、とても厳しいサッカー生活となってしまうのも確かだ。

日本から初めてバルセロナ・カンテラの狭き門を最年少という形でくぐった日本の未来の輝ける星は、日本に帰国する苦渋の決断をしたようだ。

●問われる日本の育成。今後の久保くんを成長させるプログラムはいかに

異次元と言われる彼を今後伸ばせることができるかというのは日本サッカーとして未来を懸けて取り組まなくてはいけない「育成」であろう。
FC東京の入団が決まったという報道があったが、FC東京のU-15は深川とむさしとがあるがどちらの所属になるのであろうか。
FC東京はJリーグの中でもアカデミー組織としては屈指の巨大組織だ。
アカデミー全体の選手の数は5000人。
この人数はJリーグのアカデミーの中でも一番多い人数となっている。

その莫大な人数の中からピラミッド式で形成されるアカデミーは
外部からのセレクション受験生も入れると、振るいにかけられる人数は一番多いであろう。
数千人の中から10人前後が合格することができるのはU12以上のカテゴリーだ。

現在の東京U-15にまずは所属することが考えられるが、飛び級でU-18ということも充分に考えられるであろう。
日本のサッカーにおいて第2種=18歳未満の選手で構成されるチームであることとされており、年齢の何歳以上という項目はない。
現在13歳の久保くんがU-18ユース年代の試合に出場することも可能だ。

さらにはトップの試合に出場することも可能である。
現在J1での最年少出場記録は、森本貴幸の15歳10か月10日。
16歳以下で出場していたことを考えると、久保くんの今後次第ではそれ以下でトップの試合に出場することも可能性として考えられる。

久保くんは今後も目標に向かっていくことには変わりなく、目標設定は「バルセロナの一員になること」だ。
そのためには規約にある18歳以上となる頃にバルセロナに入団できるような選手になっていたいと目標を定めることとなるであろう。
現在バルセロナで必要とされた日本人選手は今のことろ存在しない。
日本人一人目として一番近い場所にいたのは、間違いなく久保くんなのだ。
そのレベルも現地で経験し、その中でトップレベルで育ってきた。
バルセロナのトップがプレーするバルセロナスタイルが身体にしっかりと染みついていることであろう。

今後、FC東京で育っていくことになるか注目されるが、これから先、日本で「異次元」を感じられることになるのはサッカーファンとしてはとても興味があり、体感してみたいと思うことであろう。
日本サッカーが今、アジアでも勝てなくなってきている現状を考えると頼みの綱といっても良いほどの光り輝く日本サッカーの星なのだ。


日本に帰ってきたから…なんて言葉で評価はされたくないときっと久保くん自身が、思っているはずだ。
日本サッカーという枠を飛び越えた天才と呼ばれる申し子が、日本でどんなプレーを魅せてくれるのか、楽しみだ。

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