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【サガン鳥栖】 監督電撃退団…。何度も立ち上がったハングリー精神 【Jリーグ】

2014/08/08 09:14配信

Tomoko Iimori

カテゴリ:コラム

 

ついにサガン鳥栖が首位に立った。
J1昇格から3シーズン目にして初の首位というポジション。
鳥栖が強いことは年々サッカーファンの中で浸透したものの、まさか首位に立つということを予想できた人は少なかったであろう。
まだシーズン途中といえども、鳥栖が今年優勝という位置を狙えるチームであることは現実として示されたのだ。

2012年。
はじめてのJ1を前に、サッカー雑誌などではシーズン前予想で鳥栖が降格すると予想した評論家がほとんどだった。
J2から昇格したことすら奇跡に近いと評されていたのだ。

今までJ1に昇格したクラブの中ではきっと史上最少のチーム予算と運営で昇格を決めたサガン鳥栖。そのクラブがこんなにもJ1に浸透し、強さを確立させることを予想できた人は当時少なかったのだ。

サガン鳥栖は現在、首位のクラブだ。


●暗黒時代


サガン鳥栖は前身の鳥栖フューチャーズから歴史が始まっている。
厳しい戦いを強いられた時期もあり、常に金銭面でのトラブルを抱えてきた。
フロントでの問題も多く抱え、一時期はJリーグ側から存続の危機を名指しで示されたこともある。
チームが勝てない時期もそれと並行して起きた。年間44試合で3勝しかできないシーズンも経験し、マネージャーであり現強化部長である永井氏を選手として試合に出場させなくてはいけない状況となったこともある。
大口スポンサーの撤退で起こったチーム解散も経験し、アルバイトのような金額で選手たちとなんとか契約をしたり、浦和や京都から練習着が提供され、地元の高校からビブスや用具を譲ってもらったりとチームとして立ち上がるためにたくさんの力を借りて立ち上がった歴史も持っている。

その後も資金難から苦しい状況が続く中で、フロントの問題が解決し少しづつチーム状況が上向きになるとサガン鳥栖としてJ1昇格を視野にできるチームとなる。
徐々に結果を出し、存在も大きくなった鳥栖は2011年ついにJ1昇格を決める。

J2・2位で昇格を決めたサガン鳥栖はJ1にはじめてのチャレンジをすることとなった。

2012年。
前評判においてサガン鳥栖がJ1で結果を出すことは難しいという見解をする評論家が多い中、鳥栖は裏切るような形で快進撃を続ける。
その結果J1への挑戦一年目は降格どころか最終的には5位という結果に。
同じ年に昇格したFC東京は10位、札幌は最下位に沈んだことを考えると鳥栖の残した結果は良い意味でたくさんの人を裏切る形となった。

サガン鳥栖の存在感をJ1一年目でしっかりと植え付けることに成功した。


●負けない練習量とハングリー精神

今年行われたブラジルW杯で見えたことがひとつある。
それは相手の実力が上でもハングリー精神やチーム力で試合は動く、ということだった。
チリやコスタリカなどブラジルの地であれだけ輝けたのはチーム力、そして一体感から生まれたものだろう。
それと似た感覚をイメージさせてくれるのが鳥栖だ。

鳥栖というとエース豊田が第一に思い浮かぶ。
絶対的エースである豊田は、鳥栖が近年築いた歴史の主人公といって良いだろう。
しかし、豊田だけではなく鳥栖の選手たちはチーム全体がチームのことを考えてプレー…いや、サガン鳥栖のための「生活」をしており、誰かのために自分を犠牲にできる、そんなチームなのだ。

W杯選考時に話題となったのは豊田が選ばれるかどうかということ。
最終的に大久保嘉人がサプライズと呼ばれる形で選ばれた結果となり、豊田の名前はなかったのだが、選考前の試合で興味深い出来事があった。

大久保嘉人はその時で今シーズン8得点という結果を残していた。もちろん大久保の活躍は昨年の活躍も大きく選考に関係したが、豊田も数字としては負けてはいなかった。
豊田の昨年の得点の結果は大久保と6得点差の4位だったものの12位だった鳥栖で一人で20得点以上という結果に。そして今季も7得点と大久保の位置付近にいたことは間違いない。
むしろ大久保よりも選考という部分においては近年の招集をみても優先だと考えられていた。

しかし、選考直前の試合で自身が獲得したPKを豊田は蹴らなかった。
そこで蹴ってゴールをすると当然ゴールカウントが1増えることになり、得点は大久保の8に並んだ。
が。
その時。韓国で起きた旅客船沈没事故があり、その事故があったことで韓国人選手でありチームメイトの金民友が結果を出したいと意気込んでいたいたことを豊田は知っていた。
韓国は鳥栖にとっても深き関係にある国であり、監督である尹晶煥監督、そしてチームの10を背負う金民友がいること、そして中断期などに韓国遠征に行くことが多い鳥栖にとって沈没事故への追悼の気持ちが深くあった。
豊田は自分のW杯への望みよりもチームメイトの気持ち、そして韓国旅客船沈没事故への哀悼を優先したのだ。

数字としての記録の他に、自身でPKを得ておきながら自分で蹴らない選手としてハングリーの部分でマイナスの評価となってしまうかもしれない。
そういった見方をされてしまうかもしれない可能性もあったことだろう。
それでも豊田は蹴らなかった。お前が蹴ってこいとチームメイトの背名を押したのだ。


豊田は軽い言葉ではなく誰よりも重い言葉で サガン鳥栖のためにという言葉を使う。

そしてサガン鳥栖は誰かが誰かのことを常に想い合っているチームだと言う。

フィーチャーズ時代にマネージャーをし、選手としてもピッチに立った経験のある永井氏が現在強化部長を務めているが
その永井強化部長が選手を選ぶ際に求めることは、ハングリー精神という部分だという。
たくさんの逆境の中で、鳥栖の選手たちはそれでも上に行きたい!サッカーがしたい!と駆け上がってきた。
資金がなくクラブハウスも当時は充分な施設ではない建物で、J1に昇格できるチームのような予算も持っていなかった。
その中でも戦い、そして求める。そんなハングリー精神が鳥栖には必要でそれがあるからこそ何度も立ち上がってきたのだ。

チームが数多く存在する九州という土地で、今現在は一番に名前があがるほどの存在となった。
鳥栖の集客は県外から足を運ぶサポーターの数が多いことで有名だ。
31%以上が県外からのサポーターとなっており、佐賀県だけでなく他の九州の県からを中心に全国から鳥栖に訪れる人が多い。
近くに違うクラブがあっても鳥栖に魅力を感じることで遠くまで足を運んでくれるサポーターが多いのだ。

その魅力と鳥栖が示している強さは=で繋がっていると考えられる。
鳥栖には鳥栖にしかない大きなストロングポイントがあるのだ。

●絶対に負けないフィジカルというスタイル

サガン鳥栖はどういったサッカーをするかと問われると誰もが答えるポイントはフィジカルサッカーだということだ。
シーズン前の練習では連日3部練が組まれることが有名だが、鳥栖はどこよりも練習量を増やすことで90分足が止まることがないサッカーを表現している。
プレスをかけ続けても足が止まらないサッカーをする鳥栖は、後半の疲れる時間帯に何度も逆転劇を繰り広げてきた。
どんな状況であってもとにかくあきらめずに走り続けるという姿は、サッカーを知らない者であっても一生懸命という形で伝わり人々の応援したいという心を動かす。

鳥栖のサッカーで欠かすことができないこの強靭な体力、そして練習量が多いことで造られた強いフィジカルは絶対的な武器となっており、どのチームもその部分だけは鳥栖に勝つことができないポイントとなっている。
それを引っ提げた結果として現在首位という位置があるのではないだろうか。

しかし。
この記事を書いている途中でとんでもない一報が入ってしまった―。

鳥栖のフィジカルサッカーを創りあげ、J1昇格、そして今の首位といううポジションまで鳥栖を創りあげた尹晶煥監督が
鳥栖を去ることが発表されたのだ―。


●前代未聞の首位クラブの監督交代

突然の出来事だった。
クラブが首位という位置にありながら監督が代わるという事態になるクラブは今まで考えられなかったが、今現実として起こってしまった。
今の鳥栖のスタイルを確立させ、選手たちやサポーターからも絶大な信頼だったと思われる監督の突然の退団に衝撃が走っている。

報道の中で、今現在の鳥栖のフィジカルサッカーというスタイルは長期的なチーム作りとしてフロントは疑問を持ち、現在の首位という位置も評価としてそこまで高いものではなかったというニュアンスがあった。

…え?
というのが率直に出た言葉だ。
この退団にはさまざまな背景があり当然簡単ではなく起こった選択だと思われる。
しかし、鳥栖の絶対に負けない部分であり、それが結果を出してきたこの4シーズンの結果を受けて、長期的なビジョンではなく評価は高くできないというのが本当なのであれば、それこそ疑問だ。
鳥栖のサッカースタイルが生んだものは結果としてだけでなく、多くのサポーターも呼んだ。
人々の心を動かし、地域に浸透したのは、日本人が一番求める一生懸命な姿があったからではないだろうか。

この文章を書き始めたのも、鳥栖の一生懸命で繋がるチーム力というものが与える影響を伝え、現在の鳥栖の快進撃を伝えたかったからだ。
現在のスタイルをフロントが否定してしまったのであれば、鳥栖は方向転換を強いられるのであろうか。
はじめての首位に立ち、手ごたえを感じているであろう選手たち、そしてなによりそこに喜びを感じているであろう信頼で繋がっている鳥栖サポーターたちの心は大丈夫なのだろうか。

この発表を受けて、鳥栖サポーターだけならず全国のサッカー関係者、他サポーターやサッカーファン含め、全国的に大激震が起きた。


サガン鳥栖は暗黒時代を経て何度もチームの存続が危なくなりながらも、立ち上がり今やっと形となり、サッカーとしてそしてクラブとして、確立したところだ。
これからどのように転換するのか、その先は明るく今よりも向上することができるのか。
監督の突然の退団の理由はまだわからない。
鳥栖側がフィジカルのサッカーを評価していないと出たものの、そうではなく金銭面の衝突からの信頼関係の崩壊である可能性もある。

どちらにしてもこの影響は大きく出てしまうことは必至だが、鳥栖の良さは「みんなが一人のために 一人はみんなのために」というあり方だ。
そういった部分を失うことなくこれを乗り越えてほしいと願う。

今年のJリーグはもちろん、今後の日本サッカーにサガン鳥栖という存在が与える刺激を これからも熱望している。


鳥栖のためにと走り続けるサッカーを これからも観たいと願う。

 

 

 

 

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