サポーターは流行り物に飛びついてはならないのか。
2014/07/14 07:09配信
カテゴリ:コラム
不定期連載コラム『サポーターとは何者なのか。』
はじめに~当コラムについて~ ※Vol.1からの転載
私はこれまでサッカーに関する記事を書いてきましたが、最近は「ブログを書くことに一体、何の意味があるのか。」という自問自答を繰り返しています。
なぜかといいますと、私は一サポーターとして、何らかの形でサッカーに貢献していきたいと考えているのですが、その気持ちが強くなるにつれ、「自分はそもそもサポーターと言えるのか。」、「自分は何か少しでもサッカーに貢献出来ているのか。」といった疑問が湧いてきたためです。
そこで今回から今までと少し志向を変えた連載コラムを始めることにしました。
このコラムでは、サポーターにまつわる様々な出来事や意見をもとに、
「サポーター論の必要性」
「サポーターの定義・役割」
「サポーターによるサポートの手段」
について考察していきたいと思っています。
最終的には、何らかの結論を出したいと考えていますが、多くの時間を要するかもしれません。
手探りで進めていきますので、本来の目的とは逸れるような話を取り上げることもあるかもしれません。
ただ、そこから何か発見があるかもしれませんので、あまり縛りを強くせず、色々な話題を取り上げ、皆様と意見交換しながら進めていければと思っています。
よろしくお願いします。
Vol.5 サポーターは流行り物に飛びついてはならないのか。
前回Vol.4では、「ニワカ」批判について取り上げましたので、今回は「ミーハー」批判について、考察したいと思います。
「ミーハー」というのは、流行の話題に飛びつく人達のことを指す言葉で、サッカーでいえば、
「ネイマールってまじうまいよね」
といったように、テレビなどで盛んに取り上げられている選手の話ばかりする人ということになるかと思います。
ただ、実際にはこれだけではなく、
「ウッチーってかっこいいよね」
といったように、サッカー選手のビジュアル面に注目してサポーターになる人に対しても、使われているように思われます。
この「ミーハー」批判についても、村上アシシさんの「サポート」の分類を使って考察したいと思います。
「ニワカ」の考察と同様、「ミーハー」でも何らかのサポートできるとしたら、「ミーハー」批判は理不尽なものであるといえるということになるかと思います。
「ミーハー」であっても、現地で応援することもできれば、ユニフォームを買うことだってできます。
これって、立派な「実践的貢献」、「経済的貢献」ですよね。
「布教的貢献」に至っては、
「ウッチーは顔だけでなく、如何に中身も男前か。」
といったミーハーならではの観点から、更なる「ミーハー」サポーターを増やすことができるかもしれません。
あ、、、
「ミーハー」批判も理不尽なものと、早くも結論が出てしまいました。
やっぱり、「ニワカ」と「ミーハー」を別々に考察する必要はなかったかもしれません。
ということで今回は、なぜこのような批判が起こるのか、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。
前回の「ニワカ」批判にも共通して言えることですが、一部のサポーターはどうもどうも競争意識といいますか、自分は他のサポーターとは違うと思いたい節があるように思います。
気持ちはわからなくもありません。
例えば、昔から応援していたチームが優勝を争うようになった途端、応援し出す人達がいたとしたら、
「都合の良いときだけ応援しやがって、おれはチームが低迷している時代もずっと応援してきたんだ。」
と感じるかもしれません。
あるいは、若い頃から目をつけて応援していた選手が有名になってくると急にその選手について語る人が増えてきます。
そうした時には、
「お前が知ったのはどうせ最近だろ、おれは昔から注目していたんだ。」
と感じる人もいるでしょう。
こういった気持ちが「ニワカ」批判や「ミーハー」批判に繋がっている気がします。
ただ、これはあくまで推論に過ぎず、まだ考察不十分ですので、今後また取り上げて考察したいと思います。
そして、この推論が事実だったとしても、もう1つ疑問があります。
どのような形であれ、サポーターが増えることは喜ばしいことのはずです。
にもかかわらず、「ニワカ」や「ミーハー」が許せないという気持ちが優先されてしまうのはなぜなのでしょうか。
サポーターが増えるということよりも自分の気持ちを優先してしまうからでしょうか。
「ニワカ」や「ミーハー」はサポーターではないと考えているからでしょうか。
真のサポーター以外はサッカーに関わってはいけないのでしょうか。
仮に「ニワカ」や「ミーハー」がサポーターでなかったとして、サッカーに関心を持つ人は皆すべからくサポーターでなければならないのでしょうか。
選手をアイドルと捉えて楽しむ人がいても良いのではないでしょうか。
お祭りとして楽しむ人がいても良いのではないでしょうか。
先ほど申し上げたもう1つの疑問とは、「サッカーはサポーターだけのものなのか」というものです。
次回はこの点について、取り上げたいと思います。
それでは、今回はこの辺で。
バックナンバー
Vol.1 失意のうちに終わったW杯。今、サポーターはどう振る舞うべきか。