CHANT(チャント) 流通経済大学サッカー部

【RKU】 諦めた代表、乗り越えた怪我、自分を変えようと誓い選択した坊主頭…戦う漢 今津佑太が流した涙 【流通経済大学】

2017/12/30 12:56配信

CHANT編集部

カテゴリ:コラム


優勝が決まったピッチから見えた、ピッチに立てなかった選手たちの姿。
たまらず溢れる感謝の気持ちと、涙。

今季に限らず昨季から続いた自身との闘いは、過酷を極めた。
自分を変えようと丸めた頭は、今津の大きな「変化」を象徴した。

インカレ優勝。
今津佑太は、改めて立てることが当たり前ではないことを知ったピッチの上で
その瞬間を 迎えた。

今季のスタートは、大きな決断を自らに下すところからスタートしたシーズンとなった。
昨季から抱えていた、膝の痛み。
半月板を痛めていたが、治っては再発するという状況を繰り返していた。
怪我を抱えながらも、自身の目標として定めていたユニバーシアード大会への代表選出。
全日本大学選抜でプレーし、チャレンジするということを自身のサッカー人生の予定として、定めていた。
もちろん選出されるのは確定ではないが、それでも目標と掲げるよりももっと近い現実的な通過点だったはずだった。

選抜大会であるデンソーチャレンジカップに全日本大学選抜のメンバーとして参加していた今津は、
行く前に流通経済大学 大平コーチから「行ってきてもいいが、まだ完全じゃないんだからプレーはするなよ」と言われていた。
昨季から痛みが出たことで、全日本大学選抜の招集を辞退し、同じ流通経済大学から守田英正が招集されるなど、
自分のいない全日本大学選抜となったことで、焦りがあった。
トレーニングに積極的に参加したわけでも試合に出場したわけでもなかったが、
再発した、と明らかに感じるほどの痛みが襲った。

何度も通った病院。医師やトレーナーに相談し、セカンドオピニオンも受けた。
どうしても、と目指していたユニバーシアード大会に黄色信号が灯る。
「自分の身体だから、これはマズイというのはわかっていた。それでもやっぱり諦めきれない気持ちがあったけど。
でも、そこがゴールじゃない。自分はまだまだその先のサッカー人生があると信じて、踏み切ることにしました」。

決断した、手術。
手術を決断すると数か月となる全治。
諦めなくてはならない、ユニバーシアード大会の時だけ背負うことができる日の丸の蒼いユニフォーム。
今津は、苦渋の究極の選択を決断した。

「どうして俺なんだろう、と考えた。こんなことを考えても仕方ないのはわかっているけど、
自分よりももっと軽い気持ちや取り組み方で選ばれてる人間だっていると感じていたし、必死にやってきて高めてきて
怪我も絶対に治そうと時間もかけて、我慢してきて。でも悪化して結局、手術。
諦めようと決めてからも、しばらくは全日本大学選抜のメンバーたちの様子をSNSとかで見るのはキツかった」

「自分で言いました。もう選んでくれなくていいよ、と。怪我で無理だから、って自分で言ったのに。
あっさり外れて他の選手が選ばれて。俺が一人いなくてもそうだよな、すぐに回るよなって。
わかっていたことと思っていたけど、キツかったですね」。
自ら申し出た、全日本大学選抜辞退。
SNS上には、全日本大学選抜の選手たちの経験してきた事や、楽しそうな写真が並んでいた。
それを受け入れるのには、時間が必要だった。

手術を選択した今津は、入院を経て、長期のリハビリ期間に入った。
己と戦いながらも、今津はシーズンを迎えたチームを最前線に立って応援した。
時にトラメガを手に、時に太鼓を手に、大きな声を張り上げてピッチにいる選手たちにスタンドから魂を届けた。

「今、自分にできることはと考えた時に、応援が自分にできることだと。
きっとトップチームのピッチでやっているのが当たり前と思ってしまったら、スタンドにいる選手たちの気持ちを酌んでプレーしているといっても
なかなかスタンドで100%で応援するなんてできないと思うが、自分は去年も痛みがあってスタンドから応援することもあった。
スタンドの悔しい気持ちも知っている。今自分に伝えられるものは、これが最大限なので。
応援が自分の今の「戦い方」なんです」。

暑い夏が来ると感じさせる、初夏。
「やっと全体練習でボールを蹴ることができるようになりました!」と、晴れやかな表情で話した。
「今津が戻ってくることで後ろから声をかける選手がいるということは、チームにとって踏ん張りたいときにモチベーションになる選手。
ユニバをあきらめて悔しい想いをしてるのに、スタンドからチームを毎試合応援してる姿を見てるのもあって、早くサッカーをさせてあげたいと思ってきましたよ」と話したのは、中野監督。

サッカーから離れ、数か月。
リハビリから徐々にフィジカルや筋トレなども入れながら状態を上げてきたといっても、すぐに100%に持っていくのは難しい。
それを理解しながらも、必死に今津は感覚を取り戻すよう、戦った。

総理大臣杯を目指すアミノバイタルカップで、復帰。
昨季は出場できなかった総理大臣杯への切符を獲り、大阪夏の陣への準備を開始した。

総理大臣杯への準備期間。
ユニバーシアード代表は、台湾を舞台に世界一を獲った。
「まだ直視はできませんでしたね…悔しくて見ていられない。
でも自分はユニバにいかなかった選手だけど、できる!というところを見せたいし、
それがすべてではないとちゃんと自分が納得できるプレーをしたい。きっとこだわっちゃってるところとか、嫉妬のような感情がある自分は
自分に言い聞かせてるだけで、心の底から受け入れられてないんですよね」。

総理大臣杯のピッチに立った。
持ち前のプレーで、最終ラインでボールを跳ね返す。
相手に強くぶつかる姿からは、怪我に対する「こわい」という不安はみえてこない。
見えるのは、全身全霊でできる限りを出し戦っているという気合いと、覚悟だった。

準決勝で敗れた後、中野監督は
「今津は怪我明けから90分の試合をそれほどまだこなしていない中で、よく戦ってくれた。
90分という時間を全力で戦うにはコンディションがまだ良い状態とはいえなかったが、それでも起用しなければならない状況だった。
もっと万全の状態でやらせてあげたかった」と今津を想った言葉を口にした。

大阪夏の陣が終わり、リーグ後期がすぐに始まった。
秋を迎えた関東大学リーグに足を運ぶと、今津佑太の名が、メンバーの中にはなかった。

今津の姿をスタンドで探すも、見つからない。
近くにいたサッカー部員に今津を訪ねると、頭を丸めた坊主頭の今津佑太がいた。

まだ自身でも慣れない坊主姿に、苦い表情をする。
そして、その理由を語った。
「実は、練習試合の時に…最近うまくいってなくて。かなりモヤモヤした状態でプレーしてて。
川本(コーチ)さんに試合中、強く指摘される場面があって、自分的には「わかってる!今やるよ!みとけ!」の意味だったんですけど
口に出たのは「うるせーよ!」っていう言葉で」

「今まで自分を指導してくれる人に対して、そんな言葉を言ったことはなかったし、
そういう言葉を指導してくれる人に対して吐くやつらを、自分は否定していた人間だった。
それなのに、そういうことを自分が口にしたことがショックだった」

「このままじゃいけない。自分を変えなきゃいけないと考えた時に出てきたのが。
坊主頭にすることだった。反省というよりももっと自分を変えたいという。
どこか、かっこつけたがりみたいなところがあって、そうやって生きてきたから今もちょっとまだ慣れていないけど、
でもそういうの一度取っ払って、原点に返って。
もう4年生で残り時間も少なくなっているのに、こんな自分では大学4年間の集大成を迎えられないと思って」。

自身の思い描くように事が進まないことが多かった今津が、ついに張りつめていたものが切れてしまったのかもしれない。
暴言を吐くまでに限界を迎えていたのかもしれない。
出てしまった言葉に反省はもちろん、その言葉を放った自分に受けた大きなショック。
奉仕活動や、サッカー部内での仕事をいつも以上に引き受けるなど自分に課せることを考えたが、
これまで絶対に選択することはないと思っていた、坊主頭になるという行動を選んだ。

罰としての坊主頭ではない。
自分を変えるための、坊主頭だった。

「今津あたりは絶対に坊主にはしない。坊主にするのが良いとか悪いとかではなくて、
サッカーをするよりも、容姿とか外から見る自分を優先するようなところがある。かっこつけなところがこの先のもう一歩を切り開く邪魔をしている」
と、以前大平コーチが話していたことがあった。
今津にある、問題点。
自分の暴言からそこに気づいた今津が、自分を変えるために選択した姿だった。

言葉で言われたわけではない。自分を振り返り感じ取り、答えを探し出す。
ひとつ外し切れていなかった殻を自らが取り、気合いを入れ直してピッチに立つため、全力でトレーニングに向かった。

髪の毛は伸びるはずだが、インカレのピッチに立った今津佑太の頭は
短くきちんと改めて整えられていた、坊主頭だった。
そこには苦い表情はもう、ない。
坊主頭が今津佑太の在る姿であるように、馴染み迫力があった。

大きな今津の声が会場に響く。
相手に真向からぶつかり、ボールを弾き返す。
自陣ゴールを守るため、身体を張って前に出る。

準々決勝では、ゴールも決めた。
120分をプレーしたことにより、軽い肉離れを起こし準決勝は欠場したが、不思議と4年生最後の試合になるかもしれない、という感覚はなかった。
決勝までチームメイトが連れて行ってくれる。必ず決勝までに間に合わせるという想いを持って、
準決勝はスタンドからの応援に力を込めた。

「痛くても、決勝はやれると今津は言うはず。4年生最後の試合になるし、決勝という舞台。
この先の将来のこともあるから指揮を執る人間としては、冷静に判断しなくてはいけないところだが、
4年生の最後をピッチに送り出してあげたいと、そう思っちゃうんですよね」と、中野監督。

インカレ初戦を戦い「田中、今津というコンビは難しいかなと感じた」と話していた中野監督だったが
決勝戦に送り出したセンターバックは、4年生で最後のピッチとなる田中龍志郎と今津佑太のコンビだった。
先に感じた結果よりも、集大成という期待を込めて、もっとできるという指揮官から見た確信とメッセージも込めて ピッチに送り出された。

ユニバーシアード大会を諦め、リハビリの日々を過ごした。
自身と何度も向き合い、自分を変えようと誓った。
慣れない坊主頭は、トレードマークのように存在感を放った。
自分も魂を叫んだスタンドからは、多くの仲間たちが応援してくれた。

優勝の瞬間は、そのすべてを映し出した。

「優勝は、自分の力なんてほんとに少しで。みんなに連れてきてもらって、優勝させてもらったという感覚。
1年生の時よりも自分らしいプレーができたのかわからない。でも4年間で良いところよりも苦しんだ時間だったり、我慢したことだったり、乗り越えたことがあったりして
今の自分として優勝できたことは、本当に良かったなと思います。」

今季、話しを聞くタイミングで偶然ながら、いつも何かを抱え、壁に当たっていたことが多かった 今津。
「いつも話を聞いてくれるのに、こんな自分で申し訳ないです。良いことを報告できなくて、すみません」
と、話していたが
最後に、そういったことを乗り越えた姿と、乗り越えたことで掴んだ優勝という 最高の結果を魅せてくれた。

今津佑太の目から溢れた涙の背景には、これまでの日々と、一人ではなく共に戦ってくれた仲間たちへの感謝が詰まっていた―。

サッカーを中心とした人生を、まだ終えるわけにはいかない。

今津佑太は
戦う漢、なのだから。

Good!!(100%) Bad!!(0%)

この記事も読んでみる