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【コンサドーレ札幌】 稲本潤一、全治8ヶ月…誰かを想うという特別なチカラ 【J2】

2016/06/06 23:29配信

Tomoko Iimori

カテゴリ:コラム


攻撃をしていた札幌の選手たちが多く相手陣内に入っている中で、相手選手がボールを持っているところを自陣に持ち込まれない位置でいつも通りに果敢にボールを奪取しに行く。
そのまま接触する形で一回転し脚を抱え顔を歪ませた稲本は、苦しい表情のまますぐにプレーを続けられないと伝える。
駆けつけたトレーナーもすぐに×を出し、担架で運ばれ負傷交代となった。

その判断の早さは、嫌な予感をさせる。

長く戦ってきた稲本潤一だからこそ、経験したのことのない怪我ながら、それがどういった状態なのか自身でも理解していたのかもしれない。
救急車での緊急搬送にはならず、アイシングやギプスをしてベンチから戦況を観ていた稲本の姿に、最悪の事態は免れたかとポジティブに捉えたかった。

しかし、多くの人々の頭を過ったであろう予測は、現実を告げる診断となって本日、クラブより伝えられた。

右膝前十字靭帯断裂
全治8か月

サッカー選手にとって、十字靭帯の断裂はその後のサッカー選手としての人生に大きな影響を及ぼしてしまうほどの大けがである。
全治8か月といってもピッチに戻るまでに1年半から2年という歳月が流れてしまうことが、ほとんどだ。

現在、36歳。
今年37歳となる稲本潤一にとって、その期間はあまりにも長く、厳しいものとなることであろう。

●日本を代表する稲本潤一という「サッカー選手」

 稲本潤一。
この名はサッカーを日常的に観ない人たちでも知っている サッカー選手の一人であろう。
それほどまでに「国民的」サッカー選手だと言っていい。

稲本潤一の名が全国に浸透したのは言うまでもなく、2002日韓W杯の影響が大きかった。
2002年。W杯史上初となったアジア圏でのW杯開催は日本・韓国共同開催で行われた。
早くも14年という歳月が流れ、日韓W杯を知らないサッカーファンも多く存在するほどの時間が経過したが、日本中を蒼く染め一部ではなく国全体にfootballな時間が流れ続け浸透した「あの時」があったからこそ
今のJリーグはもちろん、日本サッカーの「今」がある。

日本代表がW杯に初出場したのは日韓W杯のひとつ前の大会であった1998年フランスW杯。
悲願の初出場となった日本代表だったが、世界をはじめて目の当たりにし厳しき厚き高き壁が立ちはだかった。
3戦全敗という厳しい世界との戦いを経て、迎えた自国開催のW杯。

日本中が連日蒼く染まり、連日たくさんの人々がfootballな日々を過ごした。
にわかサポーターという言葉が流行したが、W杯のフィーバーに便乗したにわかサポーターは今ではしっかりと日本サッカーファンの土台のひとつとなっている。
14年も経過した今、立派な古参サポーターといっていいであろう。

日本代表が国を代表し、戦った。
国民の期待は今その後のW杯を振り返ってもどの大会のW杯よりも大きく、蒼き選手たちは国を代表する誇り高き戦士たちとして国の中心的な存在となっていた。
日本代表のバスが通る沿道には、たくさんの人々が日本代表のバスを迎え応援を伝えるために多くの人で埋め尽くされ、日本の国旗を振った。

日本ではじめて開催されたW杯。
チケットはプレミアチケットとなり、サッカーを知っている者はもちろん、サッカーを知らない人たちもどんな人たちもサッカーに夢中になった。蒼き選手たちに誇りを持ち応援した。

日本中を夢中にさせた戦う選手たちの中でも代表的な存在が、稲本潤一だった―。

初戦。
ベルギー戦で日本代表初ゴールを決めたのは、FW鈴木隆行だった。
続きわずか8分後、2ゴール目を決めたのがボランチの位置でプレーする稲本潤一だった。
その後失点し引き分けとするも、日本サッカーにおいてW杯で勝ち点をはじめて獲得した試合となった。

続く2戦目のロシア戦でもゴールを決め、日本中が歓喜に湧いた。
このゴールが決勝点となったことで日本代表としてW杯初勝利。日本サッカーの歴史が動いた一日となった。
稲本のはじけるような笑顔が、何度も何度も映し出され、国民の英雄となった。

この日の放送視聴率が66.2%を記録したことを受けても、国民の多くの人々がどれだけこの試合に注目していたかわかるであろう。
日韓W杯があったからこそチケットを持たず試合を観れない人たち向けにパブリックビューイングが開始されたのもこの時期からであった。
パヴリックビューイングやスポーツバーでの観戦など、多くの人々が集まり蒼く一つになり、戦ったその日、稲本潤一がゴールを決めた―。

ワンダーボーイ。
稲本を指したその言葉は瞬く間に日本中に拡がり、まだ22歳でありながらもチームの主力として自信を持ったプレーを魅せる稲本潤一は日本中が知る名となり、輝きを放った。

あれから14年という歳月が経過したが今でも
サッカー選手で知ってる選手がいるかと問うと、普段サッカーを観ない人であっても、稲本潤一の名を挙げる人が多い。
三浦知良や中山雅史という日本サッカーのレジェンドたちに続き、年齢はそこからかなり離れているが稲本潤一という名は日本国民が知る「サッカー選手」の代表格といって良いであろう。


十字靭帯の断裂は、サッカー選手である以上、常に隣り合わせとなる怪我の一人であり、毎年Jリーグの舞台でも多くの選手が負ってしまう。
その診断を聞くたびに、胸が痛む。
日本のスポーツ医学は近年大変発展し、十字靭帯の断裂やアキレス腱の断裂など選手生命に関わると言われる怪我であってもピッチへと戻れるようになった選手が増えた。
それでも元のように戻ることが難しいとされている怪我の一つであることには変わりなく、難しい怪我である。

36歳という年齢で前十字靭帯の断裂を経験してしまうことになってしまったことは、厳しく難しいと言うに避けられない状況にある。
稲本潤一は、大きな怪我を負ってしまった―。


●誰かのために戦うという団結

現在、第16節を終了したが1試合少なく15試合を消化したところのコンサドーレ札幌は、J2首位に立っている。
ホームで迎えた、ジェフ千葉戦。
キャプテン宮澤裕樹の負傷、深井一希の出場停止によってこの日、スタートから起用となった稲本。
宮澤、深井がボランチの位置で今季はスタメン出場が多くなっているが、稲本はポイントで強力な存在感を今季も放ってきた。
スタートから出場していない選手であっても、コンサドーレ札幌の中で存在感ある稲本が控えているというのはとても心強く、チームにとって必要不可欠な存在だ。

昨年指揮を執ったバルバリッチ監督は、稲本の高い能力に重点を置き中心とするサッカーを敷いたことで近年の札幌のサッカーと比べても、方向性が明確なサッカーでありチームとしてのプランが見えた。
しかし、手ごたえがありながらもそのサッカーが続くことで稲本の疲労が重なってしまうことなり、夏場を迎えると稲本が厳しい状態となると共にチームにとっても稲本を欠くことが大きな穴となってしまうことに。
途中から四方田監督に交代すると、四方田監督は試合を重ねながら途中負傷から復帰した小野や稲本を随所で起用し時にスタートから起用しながら、能力を発揮できるポイントを指揮官として見極めたことで
今年に入るとプランに沿って最良となる選択をしながら信頼を持って能力を発揮できるポイントで送り出し、随所で起用してきた。

チームで今、主となっているボランチは宮澤、そして深井だが、特にキャプテン宮澤は稲本がチームに加入してから本来持つ攻撃センスと広い視野を持って繰り出される攻撃のバリエーションの応用など、どこか殻から抜き出しきれていなかった能力が一気に開花した。
守備の面を稲本に安心して任せられるようにことや、試合全体を把握し経験ある判断が効く稲本の安定感、攻撃の面でも一矢報いるゴールに繋がるパスなど稲本のプレーからの刺激を大きく受けたことで、影響があったであろう変化を魅せた。
良い意味で殻を破った自由さと自信を持って、より堂々とプレーするようになったように映る宮澤は今季キャプテンとなった。
深井も若き選手ながら大きな怪我を二度…手術という選択をしなかった右膝前十字靭帯損傷も含めて三度の大きな怪我を負った過去を持つが、稲本潤一という日本を代表するボランチの存在は目指すべき存在の一人であり大きな影響を受けていることであろう。

同じポジション選手たちだけでなくチーム全体に、世界を知る質の高いプレーや誰も持っていない稲本の経験によって大きな影響を与え、日々のサッカーを重ねる中で札幌の選手たちが自分たちのパフォーマンスの「その先」を自然と追求するようになったことで「今」に繋がっているはずだ。
有名選手を加入させ入場者数を増やそうという一時的な現象に期待してだけの獲得ではなかったはずだ。
稲本潤一という存在が与える刺激と影響、そして強化が札幌には在る。


宮澤、そして深井。二人が出場できない試合となったジェフ戦。
稲本潤一がスタートからピッチに立ち戦っていたが、起きてしまった―。

担架で運ばれた直後、失点。そしてまた失点と2失点を負った札幌。
0-2となってしまったが、去年までのチームであれば追いつくのは難しかったかもしれない。
しかし、今は違うという変化をみせた試合となった。
昇格するならばこういった試合もモノにしなくてはならない―。
その気持ちが選手たちからも、サポーターからも一体感を持って伝わってくる。

2-2
ドローだが、負けなかったことに意味がある。困難な状況から勝ち点を1でも獲れることに意味がある。
それが、今のコンサドーレ札幌の「位置」なのだ。


復帰が1年先になるか、2年先になるかはわからない。
ただ願うのは、ピッチに再び立つ稲本潤一を迎えたいというただ、一心だ。

札幌のサポーターだけでなく、サッカーファンだけでなく
footballに熱狂したことのある国民ならば、きっと誰もが願うはずだ。


長い怪我との戦いは、過酷を極める。
自分自身との闘いとなり、サッカーだけをしてきた人間がサッカーの一番近いところでサッカーから距離を感じる生活を送らなくてはならない。
思うように回復しない日々もあるかもしれない。
苦しいと感じることもあるであろう。

だが、たくさんの経験を持つ稲本潤一だからこそ、大怪我を負った仲間たちを奮い立たせてきた経験も持っている。
立ち上がる姿をたくさん知っているはずだ。

―あのピッチに帰りたい。
そう強く稲本が思う場で、あるように。
コンサドーレ札幌は、J1を目指す戦いに、より「想い」を込めることになるであろう。

自分のために戦えとよく言うが、サッカーは多くの人たちと戦うスポーツだ。
ピッチの上で戦う選手たちだけでなく、ベンチにいる選手、メンバー外の選手、スタッフ、サポーター…
全員でひとつとなり戦うことができる。

勝利のために、昇格のために、感謝のために、そして自分のために戦う以上に、
誰かのために戦うという力は、時にとてつもない力を生むものだ―。


稲本潤一が緑鮮やかなピッチの上に戻ってくることを信じ、祈りたいと思う。

(PHOTO by 2015)

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