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【サンフレッチェ広島】 目一杯の感情で送り出し、また出会う日まで―。塩谷司、アル・アイン移籍発表 【アル・アイン】

2017/06/15 11:48配信

Tomoko Iimori

カテゴリ:コラム


この感情をどう表して良いのか、わからない。
とにかく、寂しい。
それが、正直な言葉だ。


サンフレッチェ広島 塩谷司のアル・アイン移籍が発表された。
5年契約途中の塩谷に設定されていた移籍金を超えるオファーだったという報道もあり、サンフレッチェ広島には多額の移籍金が入ることになるであろう。
年俸は2億2千万円といわれており、合計10億円以上かと伝えられる大型移籍だ。

日本のサッカー界では今、大きなお金が動く機会があまりないだけに、それではリーグの発展がないと懸念視される声も聞こえる中で、
この大型移籍はサッカー界を活性化させるだけでなく、Jリーグに対するひとつの汽笛ともなるであろう。
同じアジア圏であっても、選手が移籍する時代となりつつあり、日本国内から流出…という表現が良いのかどうかはわからないが、
同じアジアで日本人選手が活躍する時代。それも、旬が決して過ぎたわけではないJリーグを引っ張る選手が、同じアジアの違い国でプレーし、その周囲に刺激をもたらし、強化をもたらせる。
そういう時代に突入したことを気づかせる移籍ともいえる。

しかし、今そんな論理的な話を整理して考えられないほどに、この移籍になんともいえない感情を持っているサンフレッチェ広島サポーターやサッカーファンも多くいるのではないであろうか。


徳島県淡路島から国士舘大学へと入学し、大学時代は、選手として伸び悩んだ時期もあった塩谷。
サッカーを辞めようかと考えたこともあったと後に言葉にしている。
はじめての都会での生活は、精神発達中の大学生にとって、逃げ場となる道がたくさんある地だったはずだ。

大学サッカーで活躍する選手たちは、プロの世界を目指し輝いている一方で、
多感な時期であることに加え、己との戦いが何度も何度も押し寄せる。

関東大学リーグは特に、選手たちの質がかなり高いこともあり、数百人もいるサッカー部員たちの中で輝くのは容易なことではない。
その選手たちの中でプロの世界へと進めるのは、大卒選手がJリーグの舞台で多く活躍しているといっても、やはり特別な者のみ。
その中で毎日を努力し続けることが、当たり前のようで一番難しいことだ。

全国から能力ある選手が集まる名門大学だからこそ、厳しい現実にぶつかり心が折れてしまう選手もいる。
大学生になり、行動範囲が拡がり実家から離れ自由になる部分も多いからこそ、方向が違うところに向いてしまうことも、当然ある。
塩谷はまさにそういう時期を持った選手であった。

うまくいかないことから逃げ場を作ったこともあった。サッカーに取り組んでこの先なにになるのかと考え壁にぶつかる選手は実はそう珍しくない。
迷いを一時的に持っていた塩谷だが、その能力の高さを 国士舘大学で共にプレーした選手たちや、大学でコーチを務めた柱谷哲二氏は感じていた。

大学4年間の中で、すべてがうまくいく選手はそう多くはいない。
己と戦い、精神が成長しながら、厳しい世界で戦うからこそ、大卒の選手たちはプロの舞台でも強いメンタルで戦うことができるのだ。

柱谷氏が監督を務めることになったこともあり、塩谷は水戸ホーリーホックでプロサッカー選手となる。
J2で戦いながらも、ディフェンダーでありながら攻撃的でゴールを決める選手がいる、という話が駆け巡るまでにそんなに時間はかからなかった。


サンフレッチェ広島へと加入。
サンフレッチェ広島がJリーグで一番の強さを誇った期間で、代名詞といえる「堅守」の一角を担った塩谷。

チームの最後尾を努める3バックでボールを落ち着かせながら、前へと強く供給されるパス。
足元からボールが離れる瞬間に、攻撃へと向かう瞬時な動き。
後ろで軽快にそして確実に。ボールをコントロールして組み立てることができるセンターバックを擁するからこそ、広島のサッカーは大きく発展を遂げ、結果を積み重ねた。

得点が欲しい時に、後ろの選手ながら何度もゴールを決めた。
フリーキックでもディフェンダーの選手ながら、何度も決め、スタジアムを歓喜で湧かせてきた。
攻守に優れるとはこのことだと、サッカーのことがあまりわからない人たちにもわかりやすく伝わるそのプレーは、熱があり、冒険しているかのようにワクワクさせ、もっともっとみたいと思わせる魅力がある。

どのポジションでもスペシャリストが存在し、バランスを読める選手も多く、強く誇ったサンフレッチェ広島。
今季はリーグで心配な位置にいることは確かであり、低迷という言葉が当てはまる実状ではあるが、
サンフレッチェ広島が突き詰めてやってきていることに信念を持って、この先に期待も希望も捨てずに持てる。
これまでのチーム熟成と これまで共に歩んできた結束があったからこそだ。


サッカーの世界では、移籍は当たり前のように行われる。
チーム愛や感情も多く存在するのは確かで、それが美しいことのように表現されるが、
決して、それだけではサッカー界は存在できない。

新たな挑戦あってこそ。
選手の最大の評価はお金であるべきこと。
サッカー界で大きなお金が動くことで、発展を遂げること。
それが世界一のスポーツとなるまで発展できた大きな理由でもある。


それを理解していても、やはりサンフレッチェ広島の塩谷司という選手の思い入れを突然消せと言われても困難である。

紫のユニフォームを着て、3度の優勝を掲げた。
良い時期だけではない。今季の低迷も、今となっては優勝の合間として振り返ることができるが2014年だって、相当苦しんだ。

チームに難しい時期があり空気が悪くなりかけても、千葉和彦や清水航平らと共に
まだチーム内で実力格差があった若手たちを盛り上げ、率先して笑った。
苦しい時は笑うことが困難となるが、それを理解しているかのように、笑いを自然とチームに生み引っ張った。

日本代表に選出されるようになった頃からだろうか、チームにとって自分はなにをすべきかというところに重点を置いていると感じるようになったのは。
チームでの自分の責任感と立ち振る舞い。率先して自分のできること、やるべきことを探せる選手となり、苦しい時はとことん打開するため走った。

そう戦ってきた熱き選手だからこそ、サンフレッチェ広島から塩谷司という選手が旅立つことは、
サッカーに絶対はないものだとわかっていても、その穴はお金で埋めることができないという寂しさで覆われる。

複数年契約を結んできた塩谷は、サンフレッチェ広島への愛情を籠めてきた。
自分が移籍という選択をする時は、大きなお金をこのチームに置いていこうと決めていたはずだ。
日本代表で海外で活躍している選手たちから感じる違いや、刺激を受けてきたであろう。
世界で戦い、他の国の選手たちを前に、日本にないものを感じてきたはずだ。
その環境を、自分に置き換えることも一度や二度ではなかったほどリアルなものだったであろう。
海外で活躍する選手たち、海外で対戦する選手たちから、プレーだけの刺激ではなく、環境や文化などさまざまな違いが発され、受け止め、考えることもあったはずだ。

塩谷司の 中東強豪クラブへの挑戦。
サッカー選手としての 次なる覚悟を持った挑戦となる。


多くの人々が涙を流し、心にダメージを受け、永遠ではないもののその突然きてしまった別れを惜しんでいる。
塩谷からサンフレッチェ広島への愛が伝わっていたからこそ、本当に寂しく別れ惜しい。

これからのサンフレッチェ広島のピッチに、塩谷司がいないという事実。
実際にそうならないと実感もできないかもしれない。それほど広島にとって「当たり前」となる欠かせない選手だった。

塩谷司を見て感じ学び競ってきた選手がいる。
塩谷司という選手の魂は、これからもそういう選手たちの背景に見える形で、広島で引き継がれていくであろう。

あの紫のユニフォームを着た逞しい姿は、広島から離れることになるが これまで塩谷から伝わってきた確かに在る熱き想いは続いていくはずだ。

ありがとうと寂しいを素直に伝え、表現して良い。
論理的に無理矢理理解したりせず、目一杯感情的になって送り出して良い。
それが、「伝える」ということだ。


広島の三本の矢に、塩谷の存在は必要不可欠だった。
日本を代表し蒼いユニフォームを着て世界と戦う姿は、広島を重ね未来を期待で溢れさせた。

運命があるのだとしたら。
お互いが高め合って、また最高の状態で出会えたら良い。

サンフレッチェ広島という 紫色のユニフォームを着て―。

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