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【ガンバ大阪】 絶対的エース 宇佐美が魅せる これから創る未来の形 【J1】

2014/09/25 08:57配信

Tomoko Iimori

カテゴリ:コラム


ガンバ大阪に、宇佐美あり―。

今のガンバ大阪を象徴する筆頭は宇佐美だといっても過言ではないだろう。
圧倒的なエースの存在感。

今、宇佐美を止めることができる選手がJリーグにいるだろうか―。

 

●ドイツで得たものを肉付けした今


宇佐美のドイツ挑戦を失敗だったと表現する人が多い。
それは本人も感じていることだろうが、試合に出て結果を残すことが結果だとしても宇佐美の海外挑戦は失敗だったと今の宇佐美を観て言えるだろうか―。

宇佐美は海外挑戦を経て、日本に帰ってきた。
名門バイエルンに移籍してから十分な結果は残すことができず、ホッフェンハイムを経て帰ってきたが、それでもそれは無駄ではなく世界を制するほどのクラブであるバイエルンでの日々の練習や競争の中で得たものは大きかったと帰国後、証明している。

バイエルン、そしてホッフェンハイム。
ドイツで得たものは宇佐美にとって大きな大きなものだった。

天才といわれた宇佐美は、一時的に控えが多い時期があってもベンチを長期に渡り温めるなんて体験はあまりしたことがなかったであろう。
サッカーをはじめてから一番我慢した時期なのではないだろうか。

人一倍の負けず嫌いで、自分に自信のある宇佐美にとっては厳しい時期だった。
でもその時期に折れる選手であれば、今の宇佐美は存在していない。
この時期にしっかりと自分を見つめ追及し、自分に足りないものに気づき、そして課題を克服するためのトレーニングを自分なりにこなした。
その結果、潰れることなく、結果を残したとはいえないがそれでもパワーアップして帰ってきたのは悔しい想いを想いとしてしただけでなく、行動としてトレーニングとして自分に取り入れ、克服し、自分に足りないものを肉付けしたからであろう。

それは本田圭佑に似ている。

本田圭佑も孤高のように言われがちだが、そうではない。
本田圭佑は努力の人、だ。
自分に足りないものを見つけると、それを克服するためのトレーニングメニューを組む。
そしてチームのトレーニングはチームのためにあるトレーニングであり、個人を伸ばすためのレーニングではないという本田は、チームのトレーニング以外のところでトレーナーやコーチを自身のお金で雇い、自分だけのトレーニング時間を作り取り組む。
チームとしてのトレーニング、そして自分を向上させるためのトレーニングをこなすのだ。

自分はサッカーでお金を得ている。
そのお金を自分をより高めることに使うのは当然のこと と言う。
自分の弱点をできるだけ少なくするために、トレーニングに時間もお金も身体も費やす。
それが本田圭佑のfootballとの向き合い方だ。

宇佐美も孤高の天才のように言われてきた。
実際能力だけで日本では昇ってきたことだろう。
しかし、それはドイツでは通用しなかった。
それを一番感じたのは自分自身だったはずだ。

日本代表に呼ばれることで、そういったストイックな選手たちの行動やトレーニングを目の当たりにしたことも経験として大きかった。
気づかされるのだ。
日本人選手が海外で成功するためには、当然日本でプレーした頃よりも何十倍も意識もトレーニングも必要だということを。

能力だけでは戦えないことを知った。
それが宇佐美の最大の変化だったのかもしれない。

●愛する場所に帰る。迷わず戻る場所。

宇佐美は自分が育ったガンバ大阪がJ2に降格し、そのJ2でも序盤に苦しんでいる状況を知っていた。
日本に帰ってきてサッカーでお金を稼ぎ、代表に入ってというだけの目的の元でプレーするのであれば、どのJ1クラブにだって入れたであろう。
宇佐美を欲しいとしているクラブはたくさんあったはずだ。

しかし、宇佐美はJ2で戦うガンバ大阪復帰を迷わず選択した。

帰る場所はガンバ。
それは宇佐美にとって 家に帰るというのと同じ感覚だったのであろう。


ガンバに帰ってきた初戦。
7月20日 ヴィッセル神戸戦。

同じく関西にあるクラブであり同じくJ1から降格し、一年での昇格を目指すライバルヴィッセル神戸。
J2ので対戦となる関西ダービーはお互いにとって絶対に落とせない試合だった。

リーグ序盤、圧倒的な結果が求められるガンバ大阪は思うような結果が残せずヴィッセルに次いで2位の時期も経験し、さらに順位が落ちたこともあった。
その時期には1位につけていたもののJ2での戦いは簡単ではないとガンバ大阪は気づかされていた。

宇佐美の帰国後初試合は偶然か運命か
関西ダービーとなった。

その試合の朝。

宇佐美は感じたことのない緊張に襲われていた。
どんな時も冷静に試合を迎えることができていた宇佐美は、朝起きると緊張で肩が凝り、胸がモヤモヤし気持ち悪くなった。

万博のあのピッチに立つ…。
海外で結果を残せず帰ってきた自分をサポーターがどんな風に受け止めるだろうか、自分はガンバでお荷物にならないだろうか。
そんな複雑な想いが宇佐美を襲った。

いつでも強く勝つ気な宇佐美が覚えた恐怖にも似た不安。

しかし、そんなことは「家」である万博のピッチが開放させてくれた。

懐かしい
嬉しい
居心地がいい

万博のピッチで自然と宇佐美貴史は躍動し、結果2得点を自身で決めたこともあり勝利を飾った。

復帰後初ゴール、初勝利。
ガンバ大阪の宇佐美貴史として「帰ってきた」のだ。

 

●止められないストライカー

宇佐美はガンバに戻り17試合で19得点という記録を残した。
ガンバ大阪はJ2優勝という結果を残し一年でJ1へと戻ることになった。

宇佐美は独自のリズムから繰り広げるドリブルが武器だったが、そのドリブルにもさらに磨きがかかっていた。
ボールのタッチは楽譜の音符が躍るかのように見える。独自のリズムがありそれを止めることはできない。
相手とするディフェンダーにとっては、あの音楽を奏でるようなボールタッチからのドリブルは間合いも取りづらくどこに抜けるかわからないから嫌であろう。

そんな軽快さ、そして宇佐美独自のらしさを見せつける結果を次々と出した。

J1に復帰したガンバ大阪だったが、開幕直前に宇佐美は左腓骨筋腱脱臼という怪我をしてしまい、開幕には間に合わずにしばらく離脱。
ガンバ大阪としての結果も、なかなか結果が出ない状況が続いていた。

4月26日 9節川崎フロンターレ戦からベンチ入りした宇佐美は、しばらくベンチスタートで様子を見る状態が続いていたが、スタメンに名を連ねた12節徳島戦では今季初ゴールをゲット。
そこから現在7ゴールを挙げている。

宇佐美復活からのガンバ大阪は、やりたいサッカーが噛みあい攻撃に厚みが出たことで順位をみるみる伸ばし、一時期は降格圏にいたとは思えないほどの強さを現在は見せつけている。
現在5位まで上がるガンバ大阪のエースはやはり宇佐美貴史の存在だ。

宇佐美がドイツから戻り、はじめての大阪ダービー。
昨年はガンバがJ2にいたため、そして今年の前半戦での大阪ダービーは負傷のため宇佐美は出場することができていなかった。

宇佐美にとって2011年開幕以来となる大阪ダービー。
万博の地で迎えた大阪ダービーは特別な想いがあったことだろう。

ゴールこそならなかったものの、宇佐美はゴールを生んだ。
前半途中まで少しフワついた感じがあったものの、ボールを受け相手選手たちの状況を見るとスイッチが入った。
その時、ボールをもった宇佐美を見ただけで、今何かが起きると感じさせるものがあった。
宇佐美は針に糸を通す、ココにしかないといったボールの残像が残るようなバスを供給。
飛び出していた阿部がゴールを決めた。

宇佐美がボールを持った時に浮かんであろう図と完全にマッチしたゴールだったであろう。

ガンバ大阪の2点目も宇佐美が起点となったゴールだった。
宇佐美がボールを受けると相手がプレスにきていた前のコースではなく横でフリーとなっていた二川へ。
二川が打ったシュートをセレッソ大阪GKが防ぎ、そこを佐藤晃大が詰め2点目を奪った。

現在のガンバ大阪のゲームとしては、大阪ダービーという緊迫したいつもとは違う中で今のガンバらしさというものをうまく表現できなかった試合だろう。
セレッソ大阪含めピッチ上にいる22人が切迫している試合だったが、それでも2点の起点となった部分は宇佐美らしさが出たといっていいだろう。

宇佐美はゴールを決めることが一番の結果だと意識している。
しかし、宇佐美はドイツに行く前のゴールだけを決めるために動くのではなく、チームの勝利を最優先に、それを創り出す選手になったと感じる。


小学生の頃は年間200ゴールをたたき出し、小学校4年生から6年生までの間に600ゴール以上を生んだ
とんでもないモンスターと呼ばれた宇佐美貴史。

世代別代表で常にチームの中心として王様のように君臨してきた。

なかなか日本代表として結果を出せず、海外でも結果を出せない宇佐美は伸びなかったなんて簡易的な見方をしていた人も多いのではないだろうか。

しかし、宇佐美はドイツに行ったことを無駄にはしていない。
ドイツでの2年間は悔しく、そして行って良かったとは思えていないだろう。

それでも宇佐美の得たものは大きな大きなものだったと今、自身のプレーで魅せている。

バイエルン時代。
チームの中心選手であったフランス代表リベリがいつでもスタメンでエース的な存在であるにも関わらず、いつでも練習で一番目立つほどにアピールを続けていた。
絶対に出られるとは限らないとはよくいうが、チームの中でも圧巻の能力と実力、そして経験を持つリベリはスタメンの位置が不動のものとなっていた。
しかし、練習でも試合でもいつでも自分はココだと言わんばかりにアピールを続けた。

宇佐美は自分が活躍した次の試合は出れるだろうと、試合で活躍するといつもどこか気を抜いてトレーニングでフワフワと過ごした日々もあったという。
しかし、リベリを見てその甘えは消えた。

リベリからかけられた言葉

エゴイストになれ という言葉は宇佐美にとって忘れられない言葉だ。


ブラジルW杯には行けなかった。
そして代表入り確実とまで言われた9月の代表2連戦も呼ばれることはなかった。

悔しくないわけがない。
俺だってやれる そう思っているに違いない。

昔の宇佐美だったらそこで納得がいかず荒れたり不貞腐れたり自暴自棄のような時間を過ごすこともあったかもしれない。
でも今の宇佐美は違う。
俺はやれる。その後に続く言葉がある。

結果を出し続けることで目をひくだろうから、自分は結果を出し続けるだけ―。

 

宇佐美貴史は少年時代からその名を全国に届けるほどの結果を出してきた。
ビッグマウスの言動からは生意気さが滲み出て、その姿に不快さを感じる人も多くいたことだろう。

しかし、あのくらい滲み出るものがあるほうが、点を取る選手の気質としては適正といっていいのかもしれない。

宇佐美貴史の名前がサッカー界で挙がるようになって何年も経つが、まだ宇佐美は22歳。
次のW杯も十分に狙える年齢だ。


アギーレ監督が次の日本代表候補の名前に宇佐美の名を読み上げるかどうかはわからない。
しかし、今日本のサッカー界で選手として注目すべき選手の一人であることは間違いない。


宇佐美貴史が刻む歴史は


これから、だ。

 

 

 


 

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