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【サンフレッチェ広島】 森崎和幸400試合達成。光の射す希望を与える「偉業」 【J1】

2016/05/24 12:04配信

CHANT編集部

カテゴリ:コラム


青空高く、サッカー日和。
ピッチの上では別メニューながら、汗を流す姿があった。

サッカー選手はサッカーをすることが当たり前とされているかもしれない。
しかし、そこに立ちボールを蹴るその姿からは当たり前ではない「奇跡」を感じさせた。

一歩、一歩前へ足を出す。
ボールを蹴る音が心地良い。

森崎和幸はその日、ボールを蹴っていた―。


●若き日から背負ったサンフレッチェ広島という誇り

5月21日。
2016 明治安田生命J1リーグ第13節。
サンフレッチェ広島×ガンバ大阪の一戦はサンフレッチェ広島ホーム・エディオンスタジアム広島で行われ、
この試合で大記録が達成された。

サンフレッチェ広島でデビューしたのはクラブ史上初となる高校生の時だった。
今となってはJリーグに多くの双子の選手が存在するが、「ツインズ」と指して真っ先に想い浮かぶ存在といえば森崎兄弟を指すであろう。
Jリーグ初の双子選手は世間の注目を集めた。
広島ユース時代にデビューしトップ入団を果たすと、ドーハの悲劇で知られるW杯アメリカ大会最終予選を戦ったJリーグが誕生してから初めての日本中の注目を集めた日本代表で当時でいうディフェンシブハーフ…現在のボランチの選手としてプレーした現在の広島監督・森保一からポジションを奪った。
期待の若手というよりも、即戦力であり輝くことが決まっている原石のような存在であった。

双子であるJリーガー森崎和幸・浩司の存在はJリーグを観ない人たちにも浸透するほど注目され、森崎ツインズとして存在が世間に拡がった。

小さな頃からポジションに違いはあったものの、森崎兄弟のサッカーにおける存在感は兄である森崎和幸が常に筆頭だった。
熟練されたようなサッカー感性を持つ森崎和幸は常に評価高く、将来を有望視され大きな期待と共に若くしてサンフレッチェ広島という大きな看板を背負った。

狭間の世代と呼ばれた世代で若き頃から代表に選出され長年に渡り目指していた、アテネ五輪。
本戦に出場するそのメンバーに、森崎和幸の名は無かった。

アテネ世代はボランチのポジション争いが激化し、キャプテンを務めた鈴木啓太さえも本戦メンバーから落選という結果となった。
年代的にはひとつ下の世代となる今野泰幸の台頭や、オーバーエイジ枠で選出された小野伸二等、18人という狭き枠に入ることができなかったという厳しい現実。
弟の浩司は選出されアテネへ向かうことになり、運命を分けたようになってしまった。
その年、最終節までもつれ込んだもののチームはJ2に降格してしまったことも重くのしかかったのかもしれないと、今振り返ると感じる。

その後、少しづつ忍び寄った黒い波にいつの日が呑まれてしまうその感覚は非常に苦しく、厳しい現実だったであろう。
「慢性疲労症候群」と診断されたその「出来事」は何度も森崎和幸の身体に。頭の中に。襲い掛かった―。

ピッチに立てない日々を過ごし、重ねた。
その期間の苦しみは、おそらく想像を超えるものであるであろう。


●私も慢性疲労症候群の一人である

おかしい、おかしい…。
そう感じていた日々を過ごし、
ついには布団から起き上がることができなくなった。
その時、本格的に自分が相当おかしい事態であるということに気づいた―。


毎日続くマイナス思考、原因不明の痛みと闘った。
病院へ行き数字や目に見えてくる検査をしても、それに繋がる大きな異常は見つからないと告げられた。
それでも続く痛みと不眠。そして目の前が真っ暗になるような感覚。

おかしくないわけはない。
そう思い病院を転々とする。セカンドオピニオンのようなものも受け、病院を転々としてなにもないを繰り返す医師たちを疑い、
自分の身体に起きている普通ではない状態をマイナスにマイナスに考える負の連鎖。

なにもしたくない。
なにもできない。

一点を見つめて、数時間を過ごすこともあった。
身体が重く、起き上がることができない。
原因がないにも関わらず、身体に強い痛みを感じる箇所ができる。
強い痛み止めを点滴で打ってもらっても、その痛みは消えない。

痛いことへの耐えられない苦しみが増し、恐怖心が加わる。

原因不明のまま苦しい状態で数か月を過ごし、何度も繰り返し行く病院で精神科への受診を促された。
自分が精神科という場所を受診するからには、どうしても葛藤が生まれ受け入れるのに時間がかかるものだ。
精神的に病んでしまっていること身体に支障が出ているという関係性は、向き合いたくないものだった。
そんなはずはない、身体のどこかがおかしいのだと、強く疑う。
分からないから精神科に投げられる。そんな感覚すら覚えてしまう。

強い抵抗のあった精神科ながら、どうしようもならない改善しない苦しさにすがるような気持ちでたどり着き、
付いた診断は、「慢性疲労症候群」という病名だった。

私は、慢性疲労症候群という病気を抱えた一人となった。

真っ暗な長きトンネルをじわりじわりと時間をかけて歩む中で、森崎和幸が同じ病から復活していたという記事に辿り着いた。
同じ病名といえども人それぞれの症状や状況があるが、それでもその事実は明るい兆しだった。
光を射す感覚というのはこういうことだと知るほどに、その事実は立ち上がるに大きな力となった。

ピッチに立っているその姿は、「希望」だった。


●青空が拡がった、あの日


あの時期も、そうだった。

W杯が行われる2014年6月。
ブラジル大会で戦う日本代表に大きな期待がかかり、日本代表を応援しようという雰囲気に包まれていた。
サッカーが好きな人はもちろん普段見ない人たちにとっても、4年に1度のサッカーの年。
日本代表の戦いへの相乗効果もありJリーグも盛り上がりを魅せていた。

私は機会をもらい、ココでサッカーの文章を書かせてもらうことになりW杯イヤーである直前に再びサッカーを伝える立場となったことで、先行きは明るいと捉えていた。
―はずだった。

なぜかやってきてしまった「あの感覚」。
起き上がれない。極度の疲れの状態が続き、ピンと張りつめたような緊張状態が続く。
マイナスに働くその感覚が、W杯が行われる直前だというのに、サッカーを観たいではなく観なくてはならないという感覚に陥らせた。

その中、行われたサンフレッチェ広島室蘭キャンプ。
そこにだけはどうしても足を運びたかった。
森崎和幸の姿を目にしておきたかったのだ。

札幌から室蘭まで高速道路を利用して約1時間半。
札幌からは120㎞ほど離れている。

日常生活では遠くても自分で運転できる人間だが、絶不調だった私は車の運転すらできる状態になかった。
夫と娘に支えられながら車に乗り込み、後部座席でぐったりしながら、ただ空を見つめていた。
その日は久々に青空が広がった。北海道は梅雨がないといっても、6月にはどんよりとした空が続く期間があり、湿度もいつもよりも高くなる。
どんよりじっとりとした空気の中、毎日スッキリとした青空が見たいと思いながら、動かない身体を横にし空を見ていただけに、待ちに待った青空だった。

しかし、気分は思ったよりも高まらなかった。

室蘭入江サッカー場の駐車場に到着すると、ボールを蹴る音が聞こえてきた。
サッカーを観なくてはならないという感覚に追われていたが、久々に聞くその音は、自然と私を引き寄せた。

車に乗るときには自分で歩くこともつらく支えられていた私が、気づけば駆け出していた。
ボールの音がするその方向へ急ぐ理由はひとつもないのに、自然と走り出していた。

目の前に拡がる、紫の練習着を着た選手たち。
ボールを蹴る音と、選手たちの活気のある声が溢れていた。
芝の匂いも心地良い。

ごめん!いいクロスだったのに!俺が決められないのが悪い!ごめん!
響いたのは佐藤寿人の声だった。
周囲の選手たちに大きな声をかける。自分が力がないのだと周囲の選手に声をかける姿が印象的だった。
決して周囲を責めたりせず、どんな時でも自分が決められなくてはならないのだという強い気持ちと周囲への気遣いを感じさせる声。
それに呼応し、他の選手たちもひとつのプレーに大きな声で声掛けをし雰囲気を作る。

サンフレッチェ広島の練習風景は、サンフレッチェらしさが拡がっていた。

別メニューながら、ボールを軽く蹴り走る森崎和幸の姿があった。
ピッチにいる仲間たちの練習を見つめ、時に笑みをこぼし、時に考える表情を見せる。
汗を流し、自分のメニューをこなす。

その上には眩しいほどの青空が拡がっていた―。

車の中から見えた青空と同じ青空とは思えないほどに、目を霞ませるほどの青空は、紫を強く輝かせた。
―私の空は、この時に晴れたのだ。


午前の練習が終わり、私はよくしゃべった。
楽しい、楽しいを連呼しているのが、自分でもわかる。
おそらく口には出さないようにしてくれていたのであろう、まだ小学生の娘の気遣いに申し訳ないと感じる日々をはじめ
家族にも迷惑をかけていることもわかっていた。
それでも止まらなかった私の身体の不調だったが、広島のサッカーを観たこと、そして森崎和幸の走る姿を観たことによって
どんなにもがいても出ることが困難となる真っ暗なトンネルから意図も簡単に抜け出すことができた。

「希望」はチカラを持ち、与えてくれた。

午後の練習も充実の内容だった。

このチームはいいチームだなぁ…

そんな言葉を自然に口にしながら、気づけば頭の中に記憶されている広島サッカーのデータと試合を照らし合わせ、この練習がどういった意図を持って行われているのかと考えながら練習を観ていた。
ワクワクする。ドキドキする。楽しい。そう心の底から純粋に感じサッカーを観るのは、久しぶりの感覚だった。


帰る時、室蘭の海には夕日が反射していた。
また来よう。楽しかった。
そう決めて室蘭を後にし、それからできる限りでキャンプの間、室蘭へと通い詰めた。
車の運転もできなくなっていた私は、連日の室蘭までの運転も全然苦にならないほどに元気になった。

森崎和幸は連日別メニュー調整ながら、日々練習のメニューを上げているのがわかった。
サーキットトレーニングを加えながらボールを蹴っている、今日は長いボールを蹴った、今日は対人も取り入れていた…と
日々上がるメニューに合流も近いと感じていたが、キャンプ最終日のコンサドーレ札幌との練習試合には、主力選手の一員としてピッチに立ちプレーした。

その時は慢性疲労症候群とは関係なく足首の痛みによって練習から離れていたが、森崎和幸が徐々にトレーニングメニューを上げながら合流するまでの日々を見れたことが大きかった。

慢性疲労症候群は治ってもまたいつ発症するかわからない。
何度が経験するうちに少しコントロールができるようになり、予防に努めることもできるものの、それでもどんなきっかけでそれが突然やってくるかはわからない。

何度も暗闇の中を経験しながらも今、ボールを蹴って青空の下で汗を流している。
サッカー選手ながらサッカーをしていることが当たり前ではない、その「今」を 観ることができたのは大きなチカラとなったのだ。

J1 400試合達成。
二度J2へ降格してしまった経験を持つサンフレッチェ広島で、若き日から戦い続けている森崎和幸の出場記録は合わせて現在470試合を越えている。

慢性疲労症候群との戦いもあった。
真っ暗なトンネルを何度もくぐり抜けながら重ねたJ1出場400試合。
これは偉大な記録であり、偉業である。

慢性疲労症候群で苦しむ人たちは、日本中にたくさんいるであろう。
偶然ながら、私もその一人であるが、日々footballな日常を幸せながら過ごすことができている。

そして、森崎和幸という偉大な選手の姿を観ることができている。
「希望」は光り輝き、強さを与えて続けてくれている。

今日も青空は高く、拡がっている―。

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