CHANT(チャント) 大分トリニータ

大分トリニータ 田坂監督と歩んだドン底からの道

2015/06/09 19:15配信

武蔵

カテゴリ:コラム

名将・田坂監督、解任

6月1日、J2大分トリニータの青野社長は

田坂和昭監督を解任したと発表しました。

就任5年目となった田坂大分は、16節を終え最下位。

目下のところ、プレシーズンに明言した「優勝」とは

真逆の結果となっているところでした。

大分はこれまで田坂監督の下で

数々のジャイアントキリングを起こし、J1昇格も経験しました。

しかし、J2にも降格があり、それは回避しなければなりません。

そのための結果が出せなければ、いかに名将といえど

解任の憂き目に遭ってしまうのは仕方のないところであります。

しかし、だからといって、田坂監督が大分に残した足跡が消えるわけではありません。

サッカークラブにサイクルという現象がある以上

良いこともあれば悪いこともあります。

出会いがあれば別れもあります。

それは当然のことです。

クラブ規模などの要素も関係しますが、個人的には監督の評価は

「悪い順位ではなく、良い順位で為されるべき」

との思いがあります。

そういった意味で、田坂監督は最下位転落による解任ではありますが

大分にとって「名将であった」と言えるのではないでしょうか。

田坂監督とのドン底からの歩み

田坂監督が大分の監督に就任した2011年

クラブは経営危機の真っ只中でした。

クラブはJリーグ公式試合安定開催基金の融資を受けており

もちろん予算は限られ、何よりも肩身の狭い思いをしていました。

田坂監督はその前年までの清水、長谷川健太政権において

サテライトの監督やヘッドコーチを歴任しており

優勝争い、タイトル争いの常連であった時代の清水の躍進を支えていました。

大分の初タイトルとなった2008年のヤマザキナビスコカップでは

国立競技場での決勝の舞台で反対のベンチに座っていたのが、この田坂和昭でした。

ちなみに、長谷川健太時代の清水のブレーンとして

攻撃は田坂和昭、守備は吉永一明(現・山梨学院大学付属高校監督)が

それぞれ基礎を築いたと言われています。

そんな、コーチとしての実績があり、将来有望な田坂和昭が

監督としてのキャリアの第一歩を記したのが、大分でした。

大分のクラブとしての目標はJ1昇格というようなものではなく

出来るだけ良い順位に付け、良いサッカーをし

クラブ存続を第一義としたものでした。

内容と結果を両立して魅せた田坂大分

田坂大分の1年目は12位でした。

しかし、前年から順位、勝点、得点、失点がいずれも改善されました。

3421という一見守備に人数を掛けやすいフォーメーションでありながら

FWの三平和司やチェ・ジョンハンをWBで起用するなど

攻撃的に、アグレッシブに、サッカーを展開しました。

また、勝敗を五分で終えた要因となったのは田坂監督のバランス能力の賜物で

第7節の、国立競技場での首位・FC東京戦では

前掛かりになるFC東京の攻撃を受け切り

後半ATの見事なカウンターによる逆転弾で勝利しました。

この試合は、シーズンの中でも1,2を争う好ゲームだったと言えるでしょう。

翌2012年シーズンでは昇格争いを演じることになります。

3142の導入を進め、前年よりさらに攻撃的なチームを作りあげました。

このような見事な試合を繰り返したおかげか

または恵まれない予算規模から昇格争いを演じたおかげか

あるいはそれらの後押しを受けた県や市の支援のおかげか。

ともかく、上記の公式試合安定開催基金からの融資を完済するに至りました。

そして忘れられないあのJ1昇格プレーオフ決勝。
大分のクラブにとって思い出の国立に、また1ページが加わることになりました。
この試合、勝たなければ昇格は無いこの試合後半30分以降の
森島康仁を中心とした攻撃的な布陣は、永遠に語り継がれるでしょう。

昇格を果たして迎えた2013年

限られた予算規模の中で結果を残すことは難しく

勝利数や勝点で最低記録を残してしまいました。

そして何より、ホーム未勝利という記録は

県や市の支援者のことを考えると、大変な深手と言えるものでした。

しかし、これにしても田坂監督は四方八方に手を尽くしたと言え

第21節の浦和戦では、一時は3-0でリードするなどしました。

また、一発勝負の天皇杯では後に優勝する横浜相手に延長戦に持ち込み

ベスト8という結果を残しました。

最後は個の力に屈しつつも、やれることはやり切ったと言えるシーズンでした。

2014年

チーム得点王、正GK、主将、松原などが流出し

相変わらずの財政規模での運営となります。

このシーズンは7位となり、プレーオフ圏内からも漏れてしまいますが

クラブ規模からすれば健闘したと言え

J2の強豪ということで、クラブの認知度を確かにしたシーズンと言えるでしょう。

その甲斐もあってか、有料入場者数は増え

この年になり、2009年から続いていた債務超過を解消するに至りました。

田坂監督と大分は、クラブとしての1つの大きな目標を達成したのです。

別れ、そしてそれぞれの道へ

2015年、田坂大分は最下位に沈み、田坂監督は解任されました。

今シーズンの大分は、監督の戦術と選手の編成面とに齟齬があり

名のある選手の補強に成功したものの

それを生かすためのチームビルディングに失敗した感があります。

また、J1での戦いを視野に入れた戦術の再編成をした結果

フィジカル的な問題を抱えてしまったとも言えるでしょう。

ただ、J1昇格を果たした3バックからの転換は

昨シーズンから進められており、フォーメーション自体は

大きく変わったわけではありませんでした。

つまり、田坂大分のサイクルが限界に来た、ということが言えるのかもしれません。

そして、別れの時が来ました。

クラブ存続の危機というドン底からのJ1昇格、J2の強豪という地位の確立は

大分というクラブにとってはまさに理想通りの夢でした。

その夢を紡いだのは間違いなく田坂監督の手腕によるもので

「クラブの歴史をここまで引き継いでくれた(青野社長)」功績は

いつまでも色褪せることは無いでしょう。

クラブとして、また、残された選手達としては

その色褪せないはずである、田坂監督とともに気付いた功績のために

今後、J2残留はもちろん、1つでも上の順位で終わりたいものです。


田坂監督は指導者であり続けるでしょう。

もしかしたら大分と対峙することもあるでしょう。

その時、例えば温かい拍手で迎えられるような

あるいは敬意としてのブーイングで迎えられるような

そんな関係であってほしいと思います。

田坂監督と大分というクラブの関係が良いものであり続けること

それを、今シーズンを戦う理由の1つとして

選手達に、是非とも持っていてほしいなと願うものです。

Good!!(50%) Bad!!(50%)

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