CHANT(チャント) 北海道コンサドーレ札幌

北の大地が生んだ偉大なフットボーラー 3/4

2014/04/10 20:44配信

ミノル・スアレス

カテゴリ:コラム

ピッチの中央をドリブルで突破できるプレーヤーはほんの一握りである。

山瀬は、フィジカル面においても、アタッカーとしては異色の存在だといえる。スピードが抜きん出いているわけではないことは前述の通りであるが、その反面、ボディバランスが非常に良い、要は当たりに強いのだ。インテリジェンスの高いフットボーラーの多くは、中央でプレーする場合、少ないタッチでコンビネーションから相手ディフェンスを崩そうとする。密集地帯でボールを保持した場合、フィジカルコンタクトを避けられないからだ。中にはファン・ロマン・リケルメのように中央でボールをキープすることができるプレーヤーもいるが、そのほとんどは相手に背負ってのプレー、あるいは横や後ろへのドリブル等の相手から逃げるプレーによるボールキープであり、山瀬のように相手と対面したプレーではない。

山瀬が中央でも果敢にドリブルで仕掛けられるのは、高いインテリジェンスに加えて足腰の強さを持っているからであろう。一部のトッププレーヤーを除き、多くのドリブラーのフィジカル面はスピード偏重型で、コンタクトに弱いプレーヤーが多い。日本人において、相手ディフェンダーをはじき飛ばすようなドリブルができたのは、若かりし頃の中田英寿くらいであり、ドリブル技術という点においては、山瀬は中田を遥かに凌ぐだろう。

山瀬は高いインテリジェンスとフィジカルコンタクトの強さを兼ね備えているが、これは彼が優れたフットボーラーであると同時に、希少なプレーヤーだということを意味する。その希少性が山瀬のキャリアをより高みに押し上げたという見方もできるだろう。現代サッカーにおいては、ピッチの中央をドリブルで突破できるプレーヤーはほんの一握りである。山瀬にそれができたのは、Jリーグだったからなのかもしれない。山瀬は、アテネオリンピック代表から落選し、ワールドカップに出場する機会にも恵まれなかった。山瀬が世界でどれだけ通用するのか見たかったという思いは今でも拭いきれない。

監督の苦悩が山瀬の希少価値を物語っている。

山瀬を語る上で欠かせない人物がいる。岡田武史である。山瀬がコンサドーレ札幌でデビューし、新人王を獲得した当時の監督が岡田であり、その後、山瀬を横浜F・マリノスに呼び寄せたのも岡田である。どうやら、岡田という監督はトップ下にアタッカーを置くのが好きらしい。事実、イビチャ・オシムの後任として、日本代表監督に再度就任した当初、岡田は山瀬を積極的に起用していた。その後、山瀬は怪我でコンディションを崩し代表から遠ざかることになるが、山瀬を失って以降の岡田の苦悩が彼の希少価値を物語っている。

2010年、W杯前の親善試合で、岡田はトップ下からボランチにコンバートして数年が経過していた小笠原をトップ下で試すという一見不可解な起用をした。これは岡田の求めるトップ下が日本にはほとんどいないということを示したエピソードだといえる。岡田自身も当時、トップ下が不足していると語っており、最終的にトップ下を置かないフォーメーションを採用したことは周知の事実だ。怪我に祟られなければ、山瀬は南アフリカのピッチに立ち、日本代表のフットボールも異なるものとなっていたかもしれない。

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