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フットボールの発展とサポーターの「目」4/4

2014/04/07 20:04配信

ミノル・スアレス

カテゴリ:コラム

素晴らしいものに対価を支払わなければ、それを得ることができなくなる。

それでは、我々はサポーターとしてチームのパフォーマンスを評価し、その結果をフィードバックすればそれで良いのかというと、そうではない。再び、フットボールから少し視野を広げて、ビジネスの世界に目を向けたい。現代社会において、買い手となる多くの人々は、物事の価値を見極める「目」を持たないばかりか、「素晴らしいものには、それに見合った対価を払う。」というモラルというべき姿勢が欠如している。「安いに越したことはない。」と考えている人が大勢いるのだ。

購買の局面だけにフォーカスすれば、間違いではないかもしれないが、素晴らしいものに対価を払わなければ、売り手はそのクォリティの向上どころか、維持することもできなくなり、やがてはアウトプットを生み出すことすらできなくなるだろう。買い手は、素晴らしいと思っていたものに対価を払わなかったばかりに、今後、それを得ることができなくなるのだ。

対価に関する人々のモラルは低下している。

対価に関する人々のモラルが低下していることを象徴するエピソードを紹介したい。皆さんはRadioheadというバンドをご存知だろうか。彼らは2007年に「IN RAINBOWS」というアルバムを画期的であり、ある意味では本質的な方法でリリースしている。それはアルバムをWebサイト上でダウンロード販売するというものだが、驚くべきは価格をダウンロードするユーザー自身が決められるようにしたことだ。つまり、音楽に対する対価は買い手が決めるという形をとったということだ。

この賞賛されるべき取り組みは、音楽業界の現状に一石を投じると共に、買い手のモラル低下を浮き彫りにした。ダウンロードしたユーザーの4割はお金を支払わなかったのだ。(ユーザーが決定する価格は0円も認められていた。)ここから人々の卑しい考えが見えてくる。アルバムのクォリティが低かったという見方もできるであろう。ただし、本当に聴くに値しないものであれば、ダウンロードすらされないはずだ。価値があると評価しているにも関わらず、対価を支払わずにそれを手にしようとする行為は、許されざることである。クォリティの高いものを求めるのであれば、そのような行為はすべきではない。

サポーターは対価として、フットボールの発展により貢献しなければならない。

話をフットボールに戻そう。我々サポーターは、フットボールを見る「目」を養い、そのクォリティが十分ではない場合は、クラブやプレーヤーに対して、不満の意を表明し、現実を突きつけなければならないということは先に述べた通りである。それでは、素晴らしいフットボールを目の当たりにすることが出来た場合はどうか。もうお分かりであろうが、サポーターはその対価を支払わなければならない。これは現地で観戦した場合に限らず、テレビで観戦した場合も同様だ。そうしなければ、やがてクラブはそのクォリティを維持することができなくなるだろう。

そうはいっても、チケットの値段は決まっており、試合をする前に支払いを済ませるため、それ以上の費用を払うというのは、現実ではない。しかし、対価とは必ずしも金銭である必要はない。友人との交流やブログ、SNS上での情報発信を通して、チームの素晴らしさを人に伝え、サポーターを増やしていく行為もまた対価であるといえる。どのような形で対価を支払うかは重要でない。しかし、フットボールを通して何かを得たのであれば、サポーターは必ずその対価としてフットボールの発展により貢献しなければならない。これは原則であり、金銭を払っているので楽しませてもらおうというのは、あるべきサポーターの姿ではない。

プロフットボールは、クラブ、プレーヤー、サポーターが全員で作り上げるものだ。だからこそ、フットボールの発展を望む全てのサポーターは、フットボールを見る目を養い、また、フットボールが自身にもたらした価値への対価を支払い続けなければならない。これは世知辛いことではない。見方を変えれば、我々サポーターもフットボールの発展に寄与することができるということであり、応援するチームを強くすることができるということである。フットボールとサポーターの間には、そのような深いつながりがあるのだ。何とも素晴らしい関係ではないだろうか。

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