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“平成の怪物”平山相太が現役引退へ

2018/01/29 19:31配信

武蔵

カテゴリ:コラム

「ついに日本にもワールドクラスのストライカーが現れた」

日本中のサッカーファンが平山相太に夢を見ていた。国見高校時代、彼は日本サッカー界を席巻した。

190cmという規格外の体躯、その見た目に似合わない柔らかなボールタッチ、海外のFWを彷彿とされるような迫力満点のヘディング、そして多彩な得点パターン。

“平成の怪物”と呼ばれた平山はその爆発的な得点力を武器にチームをけん引し、全国高校選手権では3年間で2度の優勝と1度の準優勝を経験した。

平山の活躍は高校サッカーの枠に留まらず、高校生ながらワールドユースに出場するとチームをベスト8へ導く活躍を見せた。

大学進学後も飛び級でアテネ五輪日本代表に招集。近いうちに日本サッカー界を背負って立つ存在になる。誰もがそう信じて疑わなかった。

順風満帆に見えたサッカー人生だが…

しかし、その輝かしいサッカー人生は徐々に狂い始めていく。大学を中退して海外挑戦に踏み切るも2シーズンで帰国。

FC東京に加入してからも平山がかつての輝きを取り戻すことはなく、北京五輪のメンバーからも落選した。

潜在能力だけで言えば日本随一だっただろう。だが、平山の中に巣食うメンタル面での甘さがその成長を阻害していた。

ストイックに自分を追い込んで貪欲に成長を追い求める姿勢こそ平山が唯一持ち合わせていなかったものだったのだ。

行く手を阻んだ度重なる怪我

このまま終わってしまうのか。多くのサポーターがそう思っていた頃、平山が変わり始める。

城福監督のもとで日頃の練習姿勢やプロとしての意識を改めた平山は、ピッチ上を献身的に動き回る前線のターゲットマンとして信頼を勝ち取り、スタメンに定着。

2010年には日本代表にも選出され、デビュー戦でハットトリックという離れ業までやってのけた。

かつてその将来を嘱望された大器がついに目を覚ます。そんな予感に誰もが胸を躍らせていた。

ところが、復調の兆しが見られた平山を怪我が襲う。チームの軸として期待された2011年、練習中に脛骨・腓骨を骨折。

長期離脱を余儀なくされると、その後も怪我を繰り返し、ピッチに戻ってくるまでに2年間を要した。

しかし、平山は力強く立ち上がった。限られた出場時間の中でブランクを感じさせないプレーを披露し、ライバルであるエドゥーとの熾烈なポジション争いの末、2014年には再び定位置を獲得。

マッシモ・フィッカデンティ監督のもと、前線のキーマンとしてFC東京に欠かせない選手へと変貌していった。

そんな平山をまたもや悪夢が襲った。浦和レッズ戦で危険なタックルを受けた平山は右足首の内側を骨折。戦線離脱を余儀なくされてしまったのだ。その後も再起を目指して懸命にリハビリに打ち込んだ平山だったが、なかなかコンディションを取り戻すことができず、移籍したベガルタ仙台でもピッチに立てない日々が続いた。

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