CHANT(チャント) 流通経済大学サッカー部

【RKU】 威風堂々ここに在り―。優勝とMVPを掲げた守田英正が求める「今の自分では通用しない」場所 【川崎フロンターレ】

2017/12/27 14:33配信

CHANT編集部

カテゴリ:コラム


「ここまで来たら、優勝しないと意味がない。ここで負けてしまったら、初戦で負けるのと同じ」
決勝を前に、守田英正が口にしたタイトルに懸ける強い覚悟。
多くの選手たちが、大学最後となる試合を前にしても、実際に優勝を果たし大学4年間が終わった現実を迎えても「実感がない」と表現したが、
守田は決勝前から「実感ありますよ。すごく。あと1つで大学が終わる、と。そうやってひとつひとつ考えて残りの大学生活を過ごしてきましたから」と言い切った。

常に、未来を計算してきた。
自分の過ごす時間と平行しポイントを置いて、目標を掲げ到達しなければならない場所を目指してきた。
だからこそ、出た言葉だった。
「ここまで来たら、優勝しかない」。

優勝という最高到達点を達成し、さらには満場一致でMVPにも選出された。
今季スタートとなった選抜大会 デンソーチャレンジカップでも関東選抜Aで出場し、優勝。
その大会でMVPを獲得している守田は、インカレでも優勝、そしてMVPを獲った。
今年は、守田の年だったと言っても過言ではないであろう。

デンソーチャレンジカップ時、大きな手ごたえがあった。
「今までで一番自分ができる!という自信になった大会だった。自分でもこんなに自分ができるなんてと驚くというか、本当に無双といっても良いほどに、
自分がやれる、と」
「ベストイレブンは間違いないと思ってた。これで選ばれなかったら納得いかないな、というくらいに自信があった。
でもベストイレブンが先に呼ばれて。自分は呼ばれなかったので、え?は?って(笑)」
MVPという賞がこの大会であることを知らなかったという、守田。
最優秀選手で自分の名前が呼ばれると、「あ、MVPがあるのか。よかった」とホッとしたという。

「ちゃんと見ていてくれている人がいるんだ、って。評価してくれる人がいるんだって改めて思いましたね。
デンチャレがあったから、今の自分がいる。あの時、あの大会であのプレーができていなかったら、また違っていたと思いますね」。

誰が見ても、超大学級のプレーで大会の中心となった守田は、
全日本大学選抜入りを果たし、その後ドイツ遠征にも帯同。はじめての欧州遠征で、多くの刺激とモチベーションを得た。
「ドイツは、やはりサッカーの国で。すべてが違いましたね環境面もだけど、空気感が一番違った。
雰囲気的なものがサッカーで染まっていて」
「サッカーの部分では、あたりまえに知られていることだけど身体の当たりとか高さは、桁違いだった。
でも組織的な細かいことをやったり、頭を使った動きだったりというところは、日本人の方が勝っている…というよりも特徴として合っているのかなという気がした」
と、語る。

3年生の秋。
はじめて全日本大学選抜に選出されたが、同じく流通経済大学でプレーするDF今津佑太が負傷により辞退したことで、追加招集という形ではじめて全日本大学選抜に選出された。
「運命の、といっても良いくらいの機会でしたね。そのくらい大きな出来事だった」。

大学4年の終わりとなった今、インカレで優勝し、MVPを獲得という偉業。
大学サッカーが守田一色に湧くことは、4年前には自身も含め誰もが思いもしないことだった。
この4年間で大きな変革があったことが、その後に繋がったプロの道までの大きなターニングポイントとなったことは間違いない。


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幼稚園の頃。
サッカーをしていた兄の影響で、サッカーをはじめたという守田。
「うちはテニス一家なんですよ。だからテニスもうまいですよ(笑)
なんでサッカーだったのかは覚えていないけど…でも兄がやっているのを見て、自分もサッカーがしたいと言ったんです」

小学校時をクラブチーム、中学時は部活でサッカーに取り組んだ。Jクラブアカデミーも受けたが、落とされた。
中学の時のチームは強く、全中で全国3位となるなど手応えを感じ
「大阪が一番サッカー強いと思ってたんですよ」とキャプテンを務めていた当時。
「ゴリゴリの攻撃的な選手だった。守備なんてできなかったんですよ」と、振り返る。

しかし、高校に進学すると「全国」という壁が大きく立ちはだかる。
「全国大会に行くなんてことにも全然絡めなかったですね。調子に乗っていたんですけどね、俺たちは強い、大阪が一番強いと。
でも大阪でも勝てなくて。全国なんて届かなくて。そんな時に、付属と試合をやる機会があったんです。」

付属―。
それは流通経済大学付属柏高校のことだ。
高円宮杯プレミアリーグを高体連チームとしてはじめて優勝した、最強という呼び声もある当時の流経柏高と対戦したという。
「衝撃的でしたね。こんなにも巧いのか、と。高校生でここまでできるんや、って。
選抜とかそういうので選ばれて一緒にやってきた選手たちが最高だと思ってたけど、そんなことはなかった。
流経柏は、とんでもない集団だった」

「そこではじめて知りました。この高校の選手たちの多くが、流通経済大学という大学でプレーするということを。
関西にも強い大学はあるけど、自分は大阪から出てもっとすごいやつらとプレーしなきゃと思いました。
自分がちょっとできちゃうんじゃダメ。まったく通用しないなと思ったから、そこにいかないと、と思いました」

自分が通用しない場所として選択したのが、流通経済大学だった。
入学してからしばらくは、トップチームを目指してドラゴンズでプレーした。
「トップチームはとにかくすごかった。プレー面が、というところよりも、とにかく華やかだった。
トップチームにしか着ることが許されない練習着やスウェット、持ち物すべてがとにかく違った。
自分もあそこにいかなきゃ着れない、手にすることもできないんだと、モチベーションになりましたね」

流通経済大学には、トップチームだけが着用できるウェアや、今では移動バスもトップチームのものはJクラブでもなかなか手の届かない最高級のものが使用されている。
中野監督は、理由を語る。
「選手たちに、それを着たい、乗りたい、そこでプレーしたいというモチベーションを与えることが大切。
もちろんそれだけではないが、そういったものがあるからこそ、という目標のひとつになる。
日本代表だって、日本を代表する青いユニフォームが着たくて選手たちは目指す。チームの中でもそういった競争に繋がる『差』を設けることで、選手たちが感じる良い意味での『格差』がモチベーションになっていると思う」。
守田はまさに、それを感じてきた選手だった。

「ドラゴンズで全社、地域決勝を戦って、JFLに昇格を果たすという勝ち上がって手にするものという結果を得られたことは、良い経験になった。
自分なりに手応えも感じていたので、これでトップに上がれると感じていた」
1年生の時、トップチームはインカレ優勝を果たした。
その時、守田はスタンドで応援という形で、チームの力となっていた。

「トップチームに自分と同じ代の選手たちがいることが悔しかった。
自分よりも巧い選手たちの中に飛び込んだ選択をしたが、追いつかないと、この大学を選んだ意味がない。
高校のときに衝撃を受けた同い年の付属の選手たちがピッチにいた。自分も絶対そこに立つ、と。目標を定めた」。

超攻撃的な選手だった守田に、守備という新たなチャレンジを課せたのは、中野監督だった。
「サイドバックをやることになって…驚きましたね。自分は全然守備できなかったから。
守備!?と。守備に関して本当によく怒られましたね(笑)今考えるとすごく怒られていました(笑)」
中野監督も、当時を振り返る。
「守田は攻撃ばかりの選手でしたから。それを考えると、今は後ろでよく我慢してくれてるなと思いますよ。
でも守備をするようになって守田は大きく変わりました。あそこまでできるようになったのは、守田の努力ですよ」。

守備のことはわからなかった、という守田だが
「攻撃的な選手としてドラゴンズではやれたし手応えもあったけど、トップでは全然試合に出れる気がしなかった。
そこにはプロにいくような先輩たちが前線にいたから、構わないな、と。
試合に出られるのなら守備でもいい、前線や攻撃にこだわらず守備を学ぼうと。監督に怒られたことも自分の中で整理して考えて、何度も振り返りましたね」
と、語る。

3年生を迎えると、大きな転機を迎える。
「とにかくチームが勝てなかった。流大がこんなにも勝てなくなるものかと。
同じ流大でも、やる選手たちの意識で全然変わるんだということを痛感した。
このままではいけない。もう自分たちには時間が残されていないと、4年になった時のことも考え、意識をガラリと変えた」。
それまでは、ストイックといえるまでのことは、していなかったという守田。
筋トレも日々の生活も、なんとなくで過ごしていたというが
「もっとやらなきゃと思った。筋トレも必ず自分の結果についてくると思って毎日取り組むようになったし、だらしないことは一切やめた。
自分で考えて先頭に立つくらいの気持ちでやらないと、と ストイックになってサッカーだけに打ち込むことにした」と、話す。

3年生の時は、総理大臣杯もインカレ出場も、天皇杯の代表も逃し、リーグは残留争いをするという苦しいシーズンを送った。
その苦しいシーズンの中で、飛躍的にチームの中で成長したのが、守田英正だった。
苦しく厳しいシーズンだったからこそ「自分たちが4年になったときに、このままではいけない」と反面教師のように捉え、自分に厳しく取り組んだ。

追加招集ではなく全日本大学選抜に選出されるようになり、Jクラブからも声がかかる選手となった。
トレーニングに参加するなどチームを離れる機会が多くなりながらも、キャプテン石田和希と常に連携し、チームの主軸となりシーズンを過ごしてきた。

卒業後は、川崎フロンターレに進むが
この先を川崎フロンターレに決めた理由も、守田「らしさ」が詰まっている。

「複数チームのトレーニングにいってみて。フロンターレでサッカーをしたときに、このままの自分では通用しないということがわかったんです」
「フロンターレのサッカーでは、自分に今ないものが備わっていないと成り立たない。今のままの自分ではいきないんです。だから、フロンターレに決めました。」

「今の自分は大学の舞台ではできる。という自信があります。プロの世界でもその力で、ある程度はできるのかもしれません。
でもフロンターレでは、自分が一番下だった。今の自分ではダメだと突き付けられた。
だからフロンターレに行きたいな、と。もっともっと自分にないところを身に付けて、選手としてもっと伸びたいんです」。

同じ理由を持って流通経済大学という道を選択した守田英正は、4年間で大きく「化けた」。
それは自らに常「できないこと」を突き付け、身に付けてきたから、在る。

今できることを生かすのではなく、今できることを土台として、さらにできることを増やすことが守田の目標。
選手としてもっともっと伸びたい、という貪欲さを持って、プロの舞台へと挑むこととなる。

今年の夏。
川崎フロンターレが北海道・函館に近い七飯にてキャンプを行った際、守田も参加していたが、その直後にこう話していた。
「いい感じに鼻をへし折られましたね。俺サッカー下手だなぁって。一番下手でしたね。」
落ち込むのではなく、とにかく楽しそうに充実した表情で、そう話していたことが印象的だった。

全日本大学選抜でユニバーシアード大会に挑む、チームで総理大臣杯に挑む前に
いい形で鼻をへし折られたことが良かった、と笑っていた。

その笑顔には、なにかを見つけた喜びがあった。

MVPを獲っても、守田の存在がどんどん勢いを増し大学サッカー界で響いても、
いつでも調子に乗るのではなく、ココで満足してしまったらプロでは通用しない、と強い気持ちを持って戦い続けて来た。

自ら、毎試合のように状態を観に来てくれる川崎強化スカウトスタッフに「自分についてダメ出しをしてほしい」と、申し出た。
「監督含め、周囲は今日良かったね、今日もすごかったねと評価してくれますが、自分にはもっと足りない部分があるんですよ。なので、言ってくださいとお願いしました。
例えば、センターバックとして出た試合でも『もっとやれるでしょ』、と。『あれはセンターバックの仕事ではないよ』ということだったり、ダメ出しをしてくれるので、
そのアドバイスを自分で考えながら、次の試合に生かせることができて、なるほどこういうことだったんだと理解したりして。
すごくありがたいし、足りない部分をもっと見つけたいという気持ちになりますね」。

選手の多くは、自分が評価されても、自分自身に手応えを感じていても、まずは謙遜するところから始まる。
それが日本人特有の気遣いという文化だが、、
守田は、自信を持って「自分はできる」と言い切ることができる選手だ。

大学の世界で一番であることも、自分でしっかりと理解し、認めている。
それは決して調子に乗っているのではなく、自分自身の「今」をしっかりと見つめることができているからこそ、出せる表現だ。
しかし、それを引っ提げていっても、すぐに川崎フロンターレで通用しないことを知っている。

「ここからですね。大学で達成できるものは自分が思っていた以上に出来たと思っている。チャンスもものに出来てきた。
それでもでもまだ足りないものがあるとフロンターレが教えてくれた。与えられるだけでなく自分でも見つけて、しっかりと吸収して活躍できる選手にならなくては、と今は次の目標も持っています」と、守田。

インカレ前には、珍しく自分の迷いも口にしていた。
「自分ではなかなか出なかったミスがここところ出ていて、周りのせいにしてしまう。
お前がこうだからとか、もっとこうしてくれないと、とか。…何様ですかね。
こんな自分じゃいけないし、こんな自分がチームの雰囲気を悪くしてしまっている。
こんなんじゃダメだとわかっているのに、なかなかココから出られない。人のせいにしてるんじゃダメですね」と、メンタルが強い守田でも、ぶつかる壁が大学最後の大会を前に、出現していた。

夏には、総理大臣杯出場を決めた後から、ハードなスケジュールがはじまった。
川崎フロンターレのキャンプに、ユニバーシアード大会に向けての合宿と本大会。
そして総理大臣杯の本戦と、「チーム」それぞれに向き合いながら自身に出来る目一杯で、過ごしていた。
中野監督は、「身体というよりも自分が気づかないところで頭が疲れてしまっている。普段はでないミスも多くなっているのは、そういう現象。
それでも守田の代わりはいなくて起用しなくてはならないところが申し訳ないし、本当は休ませてあげたい。
100%の状態でやらせてあげたかったが、評価されて求められる選手が通らなくてはならない道。
目を伏せたくなるくらいに、疲れていたな、と。でもこの経験が今後の守田を強くしてくれるはず」と語っていた。

その通り、大会前には最後の壁に当たりつつも、インカレのピッチに立った守田英正は、威風堂々その存在を輝かせた。

「これ以上ない終わり方だったと思う。最高ですね。思っていたよりも現実は、改めて最高でした」。

守田英正の 流通経済大学での4年間が終わった。
川崎フロンターレで、さらなる成長を求め、進む。

「自分だけのことを考えるのではなく、流大からはじめてのフロンターレの選手になるという重みも背負っていく。
生意気かもしれないけど、自分がチームの力になれたら、流大への信頼も強くなると思っている。
フロンターレと流大を繋いで、後輩たちといつかフロンターレでまた一緒にプレーすることができたら、と思う。
そのためにも自分がまずは、信用を作らなければ」。

流通経済大学という、誇りを胸に
川崎フロンターレでの 新たな挑戦が始まる。

Writing 飯守友子 Photo 遠山ヤスコ

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