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■赤黒日記■ 藤ヶ谷陽介選手、引退。コンサドーレに出会わせてくれた唯一無二の特別な選手へ。

2017/11/29 13:29配信

東雲夜雀

カテゴリ:日記


こんにちは。
■赤黒日記■です。

寒くなった季節ということもあり、朝はいつもなら布団からなかなか出られず頭もなかなか動かないのですが、
今日は起きてスマホを開いて…目にした報道ですぐに身体が起き上がりました。
ええ!?思わずそう、声に出してしまいました。

藤ヶ谷陽介選手の引退、という報道です。

現在ガンバ大阪に所属している藤ヶ谷選手。
移籍したのは、もう12年も前のことになるのですね。
移籍が決まった時のことをまだしっかりと覚えています。

藤ヶ谷選手が札幌にやってきたのは、高卒ルーキー18歳の時でした。
その時のことは全然知らないのですが…自分が住んでいたマンションに当時コンサドーレがおそらく部屋を借りていて。
寮のように使用していました。当時はしまふく寮もなく、マンションの数部屋をチームが契約し若い選手たちが住むといった形態だったのだと思います。
藤ヶ谷選手も同じマンションに住んでいました。

身体が大きく出すオーラがふつうの若いおにいちゃんという感じではなかったので気にはなっていたんです。
ただ当時は近くに練習場がありながらもコンサドーレの選手なんて全然知らなくて、たまたま本当にたまたま飲食店に置いてあったスポーツ新聞の道内版で
世代別の代表に選出されたと藤ヶ谷選手の写真が載っていて、あ。と気づいたんです。

そんな身近に選手っているもんなの!?と当時はすごく驚きました。

ご本人は覚えてないと思いますが、駐車場が少し狭くて自分の車が大きかったので停めるのに手間取っているときに通りかかって
車を誘導してくれたり、会えば挨拶をしてくれたりと非常に好青年で
こんな身近に世代別とはいえ日本の日の丸を背負っている選手がいるんだと期待と希望をもって
応援するように自然となっていました。

コンサドーレに足を運ぶようになったのも、その時からです。
その後しまふく寮ができたからか一人暮らしをするからかマンションからは引っ越してしまいましたが
藤ヶ谷選手のどんどん頼もしくなっていく姿を観るのが楽しみになりました。

サッカーのことはふわっとしか知らなかった自分が、どんどんサッカーにものめり込んでいきました。
はじめて買ったユニフォームは藤ヶ谷選手のものでした。
GKユニは赤黒のユニフォームとはまた違いますが絶対に藤ヶ谷選手、と決めていました。

アテネ組から落選し、五輪を逃し。
正GKとしてやっとゴールマウスに立てるようになったもののチームはJ2で最下位という最悪の結果となった2004年シーズン。
天皇杯の一戦で室蘭で当時イビチャ・オシム監督率いる過去最高順位リーグ3位の結果を残しキャプテンは阿部勇樹選手だったジェフと対戦しました。

ジェフは負傷者が多数いたもののJ1で3位の実力チーム。対するコンサドーレはJ2最下位のチーム。
ジェフが勝つことは間違いないといわれていた試合で、ゴールマウスに立っていた藤ヶ谷選手は本当にその日神がかっていました。

巻誠一郎選手を中心としたジェフの攻撃をことごとくシャットアウト。得点を許さず、試合は延長まで進みました。
ナイター照明施設のない室蘭入江競技場で薄暗くなっている中、手にした勝利。
天皇杯で室蘭開催ということもあり観客が目一杯入っていたわけではなかったものの
その勝利は優勝でもしたかのような歓喜に包まれたことを今でも昨日のことのように思い出しては、あの感動を思い出します。

藤ヶ谷選手のユニフォームを着ていた自分に、声をかけてくださったサポーターさんもその日は一番多かった気がします。
守護神・藤ヶ谷だったね!藤ヶ谷最高!と声をかけられ背中や肩をポンと叩いていくサポーターさんたち。
自分がプレーをしたわけでもないのに、本当に誇らしかった。

その後のオフのことでした。
ガンバ大阪への移籍が決まったのは。

ある程度覚悟していただけに、もっと大きなクラブにいって頑張ってほしい!そしていつか札幌に戻ってきてほしいなんて淡い期待を抱きながら
新天地でまた日の丸を背負うような選手になってほしいと願って、送り出した気持ちでいた気がします。

移籍後すぐのシーズンで、ナビスコカップの決勝の舞台でガンバ大阪が決勝に進み
ゴールマウスに立つ姿をテレビ画面越しに見た時には思わず涙が出ましたね。
サッカーのことで泣いたのは、思い返すとあの時がはじめてだったかもしれません。

誇らしいな、移籍してすごいところに昇っていったんだなと感慨深く感じたものです。
本当に嬉しかったことを覚えています。

札幌を離れ、時間が経っても気になる選手であることは変わらず、応援する気持ちを持って見ていました。

数年前。札幌であるサッカー教室を開かれた際には、自分の子供が藤ヶ谷選手に教えていただくという機会もありました。
夢のような出来事で、同じマンションの時には結婚も子供もいなかった自分が、自分の子供を教えてもらうまでに時間が経過したんだと
感慨深く、それだけの時間サッカー選手であり続けてくれていること、北海道に帰ってきて子供たちにサッカーを教えてくれることが本当にありがたく、
嬉しい気持ちでいっぱいになりました。

そろそろかな…と引退の知らせが聞こえてくることを予感させる年齢になったなと感じていました。
でも、いつか札幌に戻ってきてくれないかな…と淡い期待を持っていたものが野々村社長になったことで
本当に実現しないかなと思うようになりました。
藤ヶ谷選手がプレーしていた頃の頼れるキャプテンだったノノさんが、藤ヶ谷選手を呼び寄せてくれないかなんて安易な考えを持っていたりして。

でも届いてしまいましたね。
引退のお知らせが…。

ガンバに移籍してから12年も経ったんですね。
札幌にいたのは5シーズンだったから、ずっとガンバでプレーした期間、そして大阪で過ごした期間が長いですが
札幌にも藤ヶ谷選手に心躍り、幸せをもらい、過ごしたサポーターがきっとたくさんいます。

自分もその一人です。

本当に、本当にお疲れさまといつか伝えに行きたいです。
サッカーに出会えたのは、ほんの偶然の重なり合いですが、藤ヶ谷選手がいたからです。

本当に寂しいですが、でもこれからもサッカーに関わってくれることを信じて。
自分の子供も藤ヶ谷選手に教えてもらって、一緒にサッカーをして今も楽しくサッカーをしています。


引退…いつか来てしまうものですが、本当に寂しいですね。
藤ヶ谷選手のユニフォームを久々に出してみようと思います。


読んでいただき、ありがとうございます。

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