CHANT(チャント) FC東京

【FC東京】石川直宏が現役引退を表明

2017/08/04 19:20配信

武蔵

カテゴリ:コラム

8月2日、FC東京に所属する石川直宏が今シーズン限りでの現役引退を発表した。

シーズン途中での引退宣言に驚いたファンも多いだろう。その18年の選手人生は決して平たんな道のりではなかった。

普通なら選手生命を脅かされかねない怪我に何度も見舞われながら、石川はピッチに戻ってきた。

そして、そのプレーとスピリットでチームを勝利に導いてくれたのだ。

右サイドをウサギのように駆け回る背番号18をもう見れなくなるのは寂しいが、また新たな形でサッカーに関わって行ってもらいたいと思う。

石川がFC東京にやって来たのは2002年。

横浜F・マリノスで出場機会を失っていた際に、当時の監督である原博実監督から熱烈なオファーを受けた。

「うちに来たらすぐ使っちゃうよ」

という口説き文句は今でも語り草になっている。

その甲斐あってか、石川はFC東京に渡り、すぐにレギュラーに定着。右サイドのスピードスターとして一気に評価を高める。

アテネ五輪代表として戦いながら、2003年にはA代表にも初招集。

2004年にはナビスコ杯優勝でFC東京に初のタイトルをもたらすなど順調にステップアップを重ねた。

しかし、2005年、古巣の横浜F・マリノス戦で右前十字靭帯損傷および右膝外側半月板損傷という怪我を負うことになる。

普通なら選手生命の危機とも呼べるほどの大怪我だ。しかし、石川は以前よりも大きくなってピッチに戻ってきた。

右サイドを主戦場にアップダウンを繰り返すスタイルからさらなる進化を遂げ、より中へ、よりゴールに向かうプレーが増えていった。

その努力が身を結んだのが2009年。FC東京サポーターにとっては印象的な年だろう。このときの石川はまさしく神がかっていた。

大宮アルディージャ戦での自身初ハットトリックや6試合連続ゴールを含めるリーグ戦15得点の大車輪の活躍。

特に清水エスパルス戦で見せたアウトサイドにかかったボレーシュートは今でも多くのファンの脳裏に焼き付いていることだろう。

当時の代表監督である岡田監督にも“攻撃の切り札”と言わしめ、翌年に控えたドイツW杯への選出も現実的なものになってきたところ、

再び悪夢が石川を襲う。10月の柏レイソル戦で負傷、長期離脱を余儀なくされたのだ。サッカーの神様がいたとすれば、いささか悪趣味だと思う。

大怪我を乗り越えて不死鳥のごとく見事な復活を果たした男の夢を、手が届く直前で再び取り上げてしまったのだから。

しかし、石川はいつもと変わらない様子でリハビリに打ち込んだ。

そして、2012年にはザッケローニ監督の下で代表に復帰するなど、見事復活を果たした。

その後は出場機会を減らす時期もありながら、ベテランとしてチームを支え続ける。しかし、怪我は石川を悩ませ続けた。

2014年には腰椎椎間板ヘルニア、2015年には左膝前十字靭帯断裂を負った。もう身体はボロボロだった。

そんな中でも石川は弱音を漏らさず、いつでも明るく振舞っていた。今回の引退表明も本当は遅すぎるくらいなのかもしれない。

しかし、私はここまで石川直宏というプレイヤーを見てこれたことに感謝しているし、そのスピリットは確実に次の世代に受け継がれただろう。

石川直宏は、プレー以上にファンに愛される選手だったと思う。

ダイナミックで豪快なプレーには何度も度肝を抜かれたが、それ以上に1人の人間としても非常に魅力があった。

真面目で明るく、いつでも爽やか。それが私の印象だ。

2年前くらいだろうか、練習場でファン一人一人に丁寧に対応している姿を見て、

「こういう選手だからこそ、ここまで長く現役を続けてこれたんだな」

と感じたのを覚えている。

おそらく引退した後も“FC東京の背番号18”の記憶が色褪せることはないだろう。

いや、そんな話をするのは気が早かったかもしれない。残りのシーズン、石川らしく全力で駆け抜けて欲しいと思う。

芝生の鮮やかな緑がよく似合う爽やかな雰囲気を身にまといながら、うちに秘めた闘志を燃やして闘い続けた18年間。

私たちは決してナオを忘れないだろう。

Good!!(100%) Bad!!(0%)

この記事も読んでみる