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【RKU】 最終学年は試練のスタート 乗り越えた先に誓う「強く逞しく」 DF今津佑太 【流通経済大学】

2017/05/29 12:09配信

CHANT編集部

カテゴリ:コラム


現在、JR東日本カップ2017 関東大学リーグ戦1部にて首位を走っている 流通経済大学。
今季の目標を「リーグ優勝」と掲げたチームは今、目標に達成に向け戦っている。

流通経済大学の今季は、強力といえる4年生の主力選手たちが軸となっているが、
ディフェンスの一角の選手であり、大学サッカー界を代表する存在でもあった 流通経済大学のひとつの「顔」ともいえるであろう選手が
現在ピッチの中に、見つけることができない。

今津佑太。
大きな声でチームを鼓舞する姿は、チームの枠を越え、大学サッカー界に在る ひとつのカラー。
しかし、今ピッチにはその姿は、ない。

今季最終学年を迎えた今津だが、4月、半月板の手術を受けた―。

タイトルを狙い突き進むチーム、そしてユニバーシアード大会を控える全日本大学選抜で戦ってきた彼は今
自分自身との戦いに 挑んでいる。


すべての全国大会への切符を逃した 厳しい昨季。
厳しい昨季の結果を受け踏まえ、新たな気持ちを持って、最終学年となる自身の覚悟と目標を強く握り歩み始めていた 1月の終わり。

今津佑太の半月板が、悲鳴を上げた。

「その時はまだ全然手術という考えもないくらいな怪我だった」
と話す。

「半月板の損傷だったんですけど、その時はまだ全然軽い感じで保存療法で治療を進めていたんですが…」
「2週間くらいしてもういいかなという感覚があったので、ボールを蹴ってみたらダメで。それからまた2週間して…という感じで」

2週間周期で状況が変わっていく中で、再び大丈夫と踏み、サポートメンバーとして参加したデンソーチャレンジカップ。
全日本大学選抜として参加したサッカー教室でのことだった。

「そんな大したことは全然やっていないのに」と振り返るその瞬間。
再び感じた、痛み。

そこからは、歩くのも困難となる状況となった。

「その時には、半月板損傷というものがどんなものかを自分が理解してなかった。」という今津。
「ちょっとのことでまた痛めること、走るのは大丈夫でも歩いてまた痛めることもあるとか…そういったことを全く理解していなかった」と振り返る。

「そこから、再び2週間周期で状況が大きく変化をしていった」と今津。
その後、2月終盤に行われたチームの宮崎合宿では復帰するなど、状況は良好と感じていたが、再びボールを蹴った時、痛みが走った。

手術―。
繰り返す状況に、ついに出てきた選択権。
手術をすると長期離脱となるが故に、迫る不安と焦り。
悩む時間と共に近づく最終学年のシーズン開幕と、脳裏に浮かぶ全日本大学選抜でのユニバーシアードという目標。

選択にあたり、セカンドオピニオンへと走った。
さまざまな視点からの見解や意見を聞きたかったという今津は、
「ドクターはもちろん、柔道整復師、トレーナー…いろんな立場の方に診てもらい、意見を聞いた」
自分の中で答えが出るまで悩んだ時間は、先への不安が積み重なる苦しい時間となった。
「まだできるんじゃないか…っていう、その迷いがあるうちはなかなか決断できずに苦しかったと今振り返ると感じる」と話す。

そして、決断が出る。
さまざまな意見や見解を聞いたからではなく、最終的には自分自身が「もうダメだ」と感じたというタイミングで、手術を選択した。

半月板の手術を受けることで、長期離脱を余儀なくされる。
全治にさらにリハビリ期間も必要となり、合流するのもおおよそでしか判断ができないが、7月を目指すこととなる。
1月の終わりに負傷し、半年がかかることとなった。

8月に控える 全日本大学選抜でのユニバーシアード大会に出場するという大きな目標があり、意識をしてこれまで歩みを進めてきただけに
自らが抱えた怪我が思うように回復せず繰り返し、悪化し手術を選択することで、その道が険しくなるという現実を受け入れることにも、覚悟と決断が必要だった。

「自分が順調に回復したとしても7月。そこから自分が全日本レベルに戻すよう努力をしても、試合感やフィジカル的なものが絶対に戻るとは言い切れないし、リハビリが順調に進むことも100%ではない。
デンソーチャレンジカップの時は自分が怪我をしていても呼んでくれて、すごくありがたかったし、それだけ期待されていると感じた。
でも、全日本の選手枠は怪我人のためにあるべき場所ではないし、自分が迷惑をかけることにもなるかもしれない。
だから、自分で申し出ました。もう外してくれていいよ、と。」

少しでも可能性があるのなら、そこに向かって目指していきたいというのが、負傷した選手に生まれる「希望」となるが、今津は全日本大学選抜に自ら辞退を申し出た。
ユニバーシアードでピッチに立つことを考え、目指し、誰よりも厳しく追及してきたつもりだった。
それだけに、自分から手を下げるその決断は、重く厳しいものだったであろう。

今津は自らの希望を 全日本大学選抜ではなく、最大の原点である流通経済大学サッカー部に見据えた。
大学でサッカーをする者たちの代表として立つ場だとプライドを持って戦ってきた全日本大学選抜の場だが、
「それもこれも、流大での日々があるからこそ」と、常に言葉にしていた今津。

いつ治るかわからない大きな怪我。復帰は予定であり、まだまだ戦いは始まったばかりだ。
全日本は辞退したが、それがすべてではない。
チームで目標に向け、突き進むこと。その一員として全うすることを決めた。


「7月から1ヶ月で8月いっぱいも視野に入れて、治していくことになると思う。
9月開催の総理大臣杯、遅くてもその後すぐに始まることになるリーグ後期に間に合わせるという形で、今津が戻ることになる」
と、中野監督。

「うちがこのまま首位を走っていたとしても、上位に位置していたとしても。どうしても後期に重い時期が来る。
すべてが順調に行くなんてことはない。それがリーグの難しさ。そういった時にチームの雰囲気を作れる今津が戻ってくることは、リーグ優勝に向けて必要なこと」
と、中野監督は今津の必要性を語った。


今津佑太は今、スタンドでトラメガを持ち、流大応援団の先頭に立って、チームの応援をリードする存在として鼓舞している。
「試合の時は今、90分全力で心から応援に徹している。それが自分のできることだと思っていますし、自分にしかできないことだと思っている。」
「ピッチに立つことだけが戦いじゃないと思っているし、自分は自分で戦っている。自分に今できることを最大限チームのためにやる。それが今自分がやりたいこと・やらなきゃいけないことだと思っています。」

「首位に立つうちのチームをみて、自分なんてもう必要ないんじゃないかと不安になることも焦りを感じることもある。…怪我をしてサッカーができないから、卑屈になっているんだなと感じます。
当たり前にやってきたことができない。日頃は感じなかった部分に、イライラしたり、嫉妬もあるし…。」
「でもそういったものも全部籠めて乗り越えて、必ずピッチに立ちます。戻ります。」

「期待を今までしてくれた人たちに、応援してくれていた人たちに、待っていてくれる人たちに。全力で魅せたい。今津佑太はココにいる、と。」
「今津佑太は、一人しかいないんで。」


熱き、夏。
プライド漲る、熱い漢が帰ってくる。
そう、宣言しておきたい。
今津佑太の背中が、これまでよりも強く逞しいと感じることができるであろうと、期待を込めて。

◇今津佑太◇

DF
1995.7.8生まれ
184㎝/80㎏
トラベッソ→流経大柏高

Witing by Tomoko Iimori / Photo Yasuko Tohyama

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