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チケット、応援、スタジアム…24年前のJリーグの「当たり前」 Jリーグってこんな感じだった!

2017/05/17 10:10配信

サカログ花子

カテゴリ:まとめ


1993年5月15日。
日本中がプロサッカーリーグ発足に沸き、華々しくJリーグが開幕しました。

Jリーグ開幕から、24年。
改めて、今では考えられない?当時のJリーグ初期時代を振り返ってみましょう!

・Jリーグ発足当時は10チーム。J2は存在しなかった!

現在では、「オリジナル10」と呼ばれていますが、Jリーグ発足当時は10チームで戦っていました。

鹿島アントラーズ
浦和レッドダイアモンズ
ジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド千葉)
ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ1969)
横浜マリノス(現横浜Fマリノス)
横浜フリューゲルス(1999年横浜Fマリノスとして合併。横浜FC発足)
清水エスパルス
名古屋グランパスエイト
ガンバ大阪
サンフレッチェ広島

この10チームでサントリーシリーズとNICOSシリーズという、1stステージと2ndステージで総当たり4回戦で戦っていました。
週に2回の試合開催で、水曜日と土曜日に試合が行われていましたね当時。

当時の10チームのホームスタジアムは以下の通り。

鹿島アントラーズ カシマスタジアム
浦和レッドダイヤモンズ 駒場運動公園競技場
ジェフユナイテッド市原 市原緑地運動公園臨海競技場
ヴェルディ川崎 等々力陸上競技場
横浜マリノス 三ツ沢球技場
横浜フリューゲルス 三ツ沢球技場
清水エスパルス 日本平運動公園球技場
名古屋グランパスエイト 瑞穂公園陸上競技場
ガンバ大阪 万博記念公園陸上競技場
サンフレッチェ広島 広島スタジアム

現在でもホームスタジアムとして使用されているスタジアムもありますが、改修工事を経たスタジアムもあります。
収容人数15000人以上のホームスタジアムが必要だったホームスタジアム。球技専用スタジアムとして三ツ沢、日本平、サッカー専用スタジアムとしてカシマスタジアムがありました。

J2が発足する前は、Jリーグだけがプロリーグであり、JFLがアマチュアリーグとしてJリーグのすぐ下に位置していました。
Jリーグを目指すチームを準会員として承認し、準会員となったチームがJFLにて2位以内に入ることで、Jリーグへと参入することができました。

Jリーグ開幕時に参戦したいとしていたチーム(ジュビロ磐田、柏レイソル、セレッソ大阪、湘南ベルマーレ(当時はベルマーレ平塚))もJFLを経て1995年までに昇格を果たしました。

・チケットはプラチナチケット。前日から長蛇の列も。

当時はまだインターネットも家庭用のパソコンも、今ほど普及していなかった時代です。
チケットはすべて電話予約か、店頭販売でした。
当時、Jリーグは一大ブームとなったので、チケットを手に入れるのはとても大変なことでした。
今よりもずっとブームとして大きく話題となっていたこともあり、地上波でも試合が当たり前のように放送されていた頃です。
実際にスタジアムに足を運んでみたい、という人はたくさんいました。
サッカーというスポーツ自体が新しく浸透していく文化のような感覚で、「かっこいい」といったイメージが先行していたこともあったからかもしれません。

チケットを求めて予約電話をかけると、全然電話が繋がらず、チケットが取れませんでした。
そのため店頭販売分を求めて、チケット売り場前に徹夜をして並ぶという人もたくさんいました。
考えてみれば当時はコンビニでもチケットが購入できる時代ではありませんでしたし、店頭販売の度に各所で列ができていました。

スタジアムでの細かな待機列のルールなども当時はほとんどなかったので、自由席のチケットを持った人たちは、前日からスタジアムの前にテントを立てる等して徹夜で並んでいる人々もいたほどでした。

・ユニフォームは全チーム、ミズノだった!

Jリーグ開幕時、全チームのサプライアーとしてミズノが決まり、すべてのチームのユニフォームがミズノ製のものでした。
すべてのチームの胸にマークされていたのはミズノのマーク。当時のユニフォームを持っていてたまに拡げてみると、ミズノだったなぁ…と懐かしむ方も多いのではないでしょうか。

リーグのユニフォームはミズノでしたが、カップ戦のユニフォームは各チームが契約しているメーカーのユニフォームでした。

現在では、各チームが契約するメーカーのユニフォームをそれぞれ着ていることが当たり前のようになっていて、メーカーがひとつのチームの象徴ともいえるほどサポーターも気にするところですが、
当時は全チームで一貫されていたのです。リーグとして契約をしていた時代がありました。

・全国に「カテゴリー1」というJリーグショップがあった

当時は、各クラブのグッズショップがホームタウンにあるような形式ではなく、
全国各地に「カテゴリー1」という、すべてのチームのグッズが販売されているショップがありました。

当時は10チームだったので、ホームであるその地域の他にも応援する層が多くいて、
(もちろん現在でも自分の住んでいる地域外のチームを応援されている方はいますが)
今のようにチームが多かったわけでもないので、日本全国で全チームのグッズが売れていました。

野球グッズの流れからか、当時は野球チームのキャップを被る小学生が多かったこともあり、サッカーグッズの中にもキャップが作られていたことが懐かしく感じます。
サッカークラブのキャップを被って応援に行ったり学校に通う小学生も多くいました。

・応援はチアホーンから声を出すように、メガホンでの応援や紙吹雪も

Jリーグ開幕当初、Jリーグという名と共に一気に日本中に拡がったのは応援アイテムでした。
それが「チアホーン」。

パァァァァァアア!という大きな音が出るラッパ?のようなものでした。
開幕戦が行われたサッカーの聖地・国立競技場では、6万人近い人々が一斉にチアホーンを吹き、腕や顔にペインティングを施し、応援していました。
当時はミサンガを腕に付けるというサッカー的な風習もとても流行りましたね。
チームカラーの刺繍糸を購入し、自分で編むというのも流行していました。

応援団ではなく「サポーター」という文化も、サッカーの発展と共に歩んでいきました。
チアホーンでの応援から、声を出し歌うチャント中心の応援となり、ビッグフラッグが登場したり、紙吹雪が撒かれていたこともありました。

紙吹雪といっても、その大きさにサポーターのこだわりがあり、サイズが決められていました。
当時はインターネットもない時代で、伝えたいことを伝えきれない時代だったにも関わらず、口コミで拡がっていき、スタジアム開場の時間まで、各所でサポーターが新聞紙に長い定規を当てて、切っている姿が見られたものです。
紙幣よりも少し小さな長細い形の紙吹雪は、ヒラヒラと落ち方も美しく、試合後に拾いやすいことから、その大きさになったと当時のサポーターが語っていました。

その後、二つに分かれたメガホンをバンバンと叩く応援なども取り入れられましたが、声や手を使った応援が中心になっていきました。


・サポーター同士の交流は文通や電話だった

現代では気軽にコミュニケーションが取れるインターネットの普及によって、サポーター同士が交流することも気軽にできるようになりました。
Jリーグ開幕当初は、そういったツールはなかったので、現地で知り合う形がほとんどでした。
ゴールが決まると隣の人や周囲の人たちとハイタッチをして共に喜ぶ。そこから仲間意識が生まれ、顔を覚え、挨拶をしているうちに話すようになり…といった形で輪が拡がっていきました。
地方に住んでいる人は手紙や電話で連絡を取り、周囲にサッカー仲間がいないときには、サッカー雑誌のサッカー友達募集欄に投稿されている人に手紙を書くことも。

思えば、Jリーグ開幕から連絡ツールは時代と共に変化をしてきたなと感じます。
手紙や電話から、ポケベルへ。そしてPHS、携帯電話へ。
PHSのPメールと呼ばれたショートメールのようなものが使えるようになり、携帯電話のメールが使えるようになり、そしてインターネットが生まれました。

モバイルサイトでの交流や掲示板などでの交流なども行われ、現在のツイッターやインスタグラムという時代へ。
サポーターのコミュニケーションのツールは時代と共に変わり、どんどん拡がっていきました。

・勝ち点計算ではなかった順位。90分で決着がつかない場合は、サドンデス、そしてPK戦まで行われドローは存在しなかった

現在Jリーグの試合は、90分での結果によって勝利、引き分け、敗戦という結果となりますが、
Jリーグ初期は、90分で試合が決まらない場合は「Vゴール」という方式で15分間の延長戦が行われていました。
ゴールが決まった時点で試合は終わり。ゴールが決まった時点で試合が終わるという方式でした。
合計30分間の前半後半が終わっても決着が付かない場合は、PK戦が行われていました。

当時は勝ち点計算ではなく、勝利、Vゴール勝利、PK戦勝利という勝利の種類の勝ち数によって順位が決められていました。


1993年華々しいJリーグを象徴する存在であり、一躍日本のスターとなりJリーグを牽引したのは、初代最優秀選手賞を獲得した三浦知良選手でした。
真っ赤なタキシードに身を包み、巨大なパルーンが大きく弾けて登場した三浦知良選手を記憶している方が多いことでしょう。
いつしか自然とキングと呼ばれるようになったJリーグの象徴は、50歳を迎えた今も、Jリーグで戦っています。


1993年。
まだ生まれてなかったというサッカーファンも多いと思います。
24年。25年目に突入したJリーグ。

Jリーグ百年構想の1/4を迎え、まだまだJリーグは発展途中です!

Good!!(66%) Bad!!(33%)

これ、いつ書かれた記事ですかね?
「東京ヴェルディ1969」と名乗っていたのは2001年から2007年までで、今は単に「東京ヴェルディ」となり10年以上経過しています。

名無しさん  Good!!0 イエローカード0 2017/05/17|17:14 返信

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